魔術師は呪われたい1

(ドミニクさんの所へ行こう……)


 ウィルフレッドの提案を聞いて、シャノンはそうしようと考えた。けれど、それは今すぐではない。優しく情に厚いウィルフレッドが知ったら、引き留めるはずだとドミニクが言っていたのだ。ウィルフレッドやセルマに気づかれないタイミングを選ばなくてはならないだろう。

 それからシャノンはいつもどおりの生活を心がけた。

 ウィルフレッドは以前よりもシャノンのことを気にかけるようになったが、シャノンは会話も態度もぎこちないままだった。彼に気持ちを悟られないように、とにかく与えられた仕事だけは一生懸命にやった。

 そして、五日後にやっと機会が訪れる。ウィルフレッドはいつもどおり王立学園で仕事、セルマは用事があるから休みだという。


「それなら、また中心街に行ってきてもいいですか? レース編みの材料を買いたくて」

「そうか、そうするといい」


 声が震えないように、表情で悟られないように、鼓動が速くなっているのを気づかれないように、そう思いながら中心街へ行くことを彼女は告げた。ウィルフレッドはシャノンの胸の内に隠しているものには気づかず、いつもどおり彼女に魔術をかけてから仕事に向かった。

 ウィルフレッドが去ったあと、シャノンは使わせてもらっていた部屋を中心に掃除を済ませて、荷物をまとめる。旅の荷物と唯一家から持ってきた小物入れ、そしてウィルフレッドに買ってもらった服や下着も必要な分だけ持っていくことにする。

 部屋に飾っていたアイリスの花は少ししおれてまったが、捨てることができず、そのまま置いていく。


 辻馬車に乗って、たどり着いたカーライル邸は、ウィルフレッドの屋敷の十倍はある、その区画でも抜きんでた大豪邸だった。高い塀と閉ざされた鉄製の門、その前に直立不動で立つ二人の門番、武人の家系というだけあって物々しい雰囲気だ。

 シャノンは恐る恐る門番の青年に近づく。シャノンが言葉を発する前に彼女の存在に気がついた青年が声をかけてくる。


「この屋敷に御用ですか?」

「はい。あの……私は、シャノン・エイベルと申します。ドミニク・カーライル様にお会いしたくて参りました」

「少しお待ちください」


 青年の門番は、もう一人の門番に目配せをする。するともう一人のほうが屋敷の中に確認をしに行き、数分で戻って来る。


「どうぞ、ご案内します」


 シャノンが通されたのは応接室と思われる部屋だった。しばらく待っているとお仕着せを着た使用人が、お茶を持ってきてくれる。紅茶と一緒に焼き菓子まで用意され客人として扱われていることに戸惑いつつ、シャノンは心を落ち着かせるためにカップに口をつける。紅茶はシャノンが今まで飲んだことのない、何か果実でも混ぜられているような爽やかな強い香りがする珍しいものだった。


「それ、美味しいでしょう? 柑橘類の一種で香りづけしてあるんですよ」


 そう言いながら現れたのはいつも変わらない温和そうな表情のドミニクだ。


「シャノンさん、こんにちは。やっぱり来てしまいましたか」

「はい……」

「レイ様があなたの呪いを肩代わりするって言いだしましたか? いやぁ、あの方ちょっと猪突猛進系なんですよね。困った方ですよ! こちらであなたを保護する条件として、あなたが隠していることを洗いざらい話してもらいますが、それでもいいでしょうか? と言っても、ほとんど調査済みですが」


 シャノンは大きくうなずく。ウィルフレッドは本人が話したくないことを無理に聞く気がないようだった。シャノンにはいろいろと話していないことがあるのに聞かずにいてくれたのだ。でも、もうきちんと話さなければならない。


***


 チェルトンは閉ざされた村だった。チェルトンが特別なのではない、辺境に行けば行くほど閉鎖的で外部の人間に厳しいのだ。シャノンと彼女の母親、サラ・エイベルは「余所者よそもの」という扱いで村の外れでひっそりと暮らしていた。

 サラは元々、王都に住んでいた。サラが十五歳のとき、チェルトンから王都へ出稼ぎに来ていた男と恋に落ち、駆け落ち同然で男の故郷であるチェルトンに移り住んだのだ。

 たとえサラの両親から勘当されても、彼と一緒に幸せな家庭を築けるはずだと、未熟な少女は考えていたのだろう。

 でも、現実はそんなに甘くはない。男には許嫁がいたのだ。二人で王都を発つときは男も許嫁と別れ、サラと一緒になるつもりだった。しかし、村に帰り周囲からの非難にさらされると段々とサラの存在がわずらわしくなっていった。

 結果として彼女は「余所者」「許嫁のいる男をたぶらかした女」と揶揄やゆされ、男のほうは一時のあやまちだったと反省し、幼馴染の許嫁と結婚した。

 両親を捨てるようにチェルトンに来たサラは王都に戻ることができなかった。今さら両親に合わせる顔がないと思ったのと、その頃には腹が膨らみはじめ、とても旅ができる状況ではなかったのだ。


 母子二人きりの生活はとても貧しいものだった。だが、シャノンの記憶の中にあるサラは儚げな美しい女性で、いつも娘を慈しむように見つめている藍色の瞳が綺麗だった。

 シャノンは母から、一度も父の話や父に対する不満を聞いたことがなかった。けれども時々親切な大人・・・・・がやってきてシャノンに父のことを教えてくれたので、母や自分自身が村でどういう存在なのか、シャノンは十になる前に正しく理解していた。


 サラが亡くなったとき、シャノンはまだ十一歳になったばかりだった。サラの少ない遺品の中に四通の手紙があった。紙の傷み具合から、それぞれ別の年に書かれたものであること、住所が王都であること、あて名が「エイベル」という姓だったことから、おそらく母の実家宛てなのだとわかった。シャノンは中身を読んでみようとしたが、あて名と違い、くずし字で書かれていたそれらの手紙は読むことができなかった。

 村の住人の中には読み書きができる者もいたので、手紙を読んでもらうことはできたはずだが、シャノンは何が書いてあるのかを知ることが怖くて箱にしまったままにした。


 シャノンを産んだことを後悔している――――もし、そう書かれていたら、という不安があったのだ。


 未婚だったサラが産んだ娘が誰の子であるのかは村人全員が知っていた。さすがの父親も実の娘を野垂れ死にさせるわけにはいかず、母屋の隣の物置小屋に少し手を加えただけの建物に彼女を住まわせた。

 基礎もない土間に藁で作られた敷物を敷いただけの小さな小屋で、冬は隙間風が入り込み、雨が降れば天井から水が滴り、夏は虫の侵入を防ぐ手段もない。母屋からの笑い声を聞きながら、たった一本のロウソクの灯りで夜を過ごす。それがシャノンの日常だった。

 雇ってもらえる年齢になるとシャノンはすぐに機織りの工場こうばで、職人見習いとして働いた。それまで父から食事や多少の金銭的な援助はあったが、働き始めてすぐに給金のほとんどを持っていかれるようになった。

 それでも彼女にとって働くことは楽しかった。外に出ることも許されず、大人たちに言われているのか彼女と仲良くしようと考える子供は誰もいない。だから恋人も友人もいなかった。しかし、工場で働けば嫌でも多少の会話はある。何人かの職人はシャノンの真面目な働きぶりを評価して、態度を改め世間話につき合ってくれる者もいた。

 もう少し実績を積んで村人からの信頼を得れば、工場の近くに一人で住む家を借りられるかもしれない。もうすでに父親から受けたほどこし以上の給金をシャノンは搾取されている。早く自立して、たとえ一人でもいいから自由になりたい。

 シャノンはそう考えて手元に残る少しの金を蓄え、いつの間にか二十歳になっていた。


 吸い込む空気が少し冷たく感じられるようになった秋のはじめ、工場から帰ってきたシャノンは母屋の方が騒がしいことに気がついた。

 継母や祖母の泣いている声や父の罵声が聞こえる。そっと母屋を覗くと家族だけでなく村長や何人かの村の住人、そして十歳くらいの男の子が数人いた。

 母屋に住んでいる腹違いの兄弟は全部で四人いる。今年九歳になった三番目の弟と彼の遊び友達の間で何かがあったのだ。

 何があったのか気になったが、関係のない者が口を挟むなと罵倒され、機嫌を損ねた父親から暴力を受ける可能性もあるので、シャノンは彼女の棲みかである小屋に戻った。

 耳を塞ぎたくなるような鳴き声や罵倒が止んでしばらくすると、シャノンの住んでいる小屋の扉が叩かれた。

 扉を開くとなぜか笑みを浮かべる父と継母が立っていて、母屋に来るようにシャノンに命じた。

 母屋には祖母と九歳の弟のほかに、村長と村で唯一の魔術師がいて、にこにこと微笑んでいた。

 母屋の人間や村長から笑みを向けられたシャノンは、戸惑うことしかできなかった。


「村の禁域のほこらでな、子供たちが度胸だめしなどをしおってなぁ」


 村長は単なる子供のいたずらをたしなめる程度の軽い口調で話すが、その程度のことでシャノンがわざわざ呼ばれることなどありえない。彼女にはそれがわかっていたので悪寒しか感じなかった。


「まったく。あれほど触れてはいかんと言っておるのに、お前の弟が呪いに触れてしまってのう……すまんが、弟の代わりに王都あたりまで行ってきておくれ」


「は?」


 シャノンには村長の話しの意味がまったくわからなかった。

 村で唯一の魔術師が呪いの詳しい内容を説明しだすが、最後まで聞いてもシャノンが呪われなければならない理由は結局わからないままだった。


「なに、心配しなさんな。王都かサイアーズには一流の魔術師がたくさんおる。依頼料も村からかき集めて十分に用意したからのう」

「お断りします。名字すら名乗ることを許されていない私が、この家の人間のために死ぬと本気で考えているのですか?」

「この恩知らずが! 俺の助けがなければ、お前などとっくに死んでいたぞ!」

「血のつながった弟でしょ? なんという薄情者なの!?」


 父と継母が急に本性を現したように表情を変えてシャノンに怒声を浴びせる。


「あなたがいなければ私は生まれていなかったでしょうけど、あなたが母をたぶらかさなければ、きっと母は王都で幸せに暮らしていたと思いますよ。母は優しくて美しい人でしたから。安全だというのなら、あなたたちが行けばいいでしょう? 大切な家族なんだからっ!」


 呪いをシャノンに移すことは、彼らのなかではすでに決定事項なのだと彼女は理解していた。だから最後に言いたいことは言っておこうと、思いつく全ての不満や悪態を絞り出す。

 母を不幸にして死なせたこと、実の娘であるのに粗末な小屋で暮らさせて、ほかの兄弟たちと差別したこと、そんなに本妻が恐ろしいのかとシャノンは父を罵った。私の母は寿命を削ることになっても自分の手で娘を守ろうとする優しく美しい人だった、自分で手を下さないだけであなたはただの醜い殺人犯だと継母に言い放った。

 殴られても蹴られても、シャノンは意識のある限り彼らを非難し続けた。


 そして翌朝、全身の痛みで目が覚めたシャノンの手の甲には、小さなあざができていた。

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