ねじれた呪いはほどけない4

「ウィルフレッドは国王陛下に恩義を感じているようだし、彼を慕っている王太子殿下を弟のように思っているの。だから態度は大きいくせに『あくまで教師』なんて言って、徹底して権力とは無縁でいたいのだわ」

「……そうなのですか」


 グレースの青い瞳が正面に座るシャノンの顔をじっと見つめる。まるで、シャノンがどういう人物かを見定めるように。


「私はね、幼い頃に親が決めた許嫁同士であったことは確かだけれど、正直あの方と結婚するのは無理ですわ! 今だって、この屋敷にいるだけで実は結構息苦しいんですの! ……ただ、幼馴染としては少し放っておけない方ですから、できることがあれば協力してさしあげたいの」

「なぜ、私は先生の魔術の影響下でも平気でいられるんでしょうか?」

「たまたま保護した人物が運命のお相手だったら素敵なお話しですけど、普通に考えれば呪いの副作用だと思いますわ」

「副作用……ですか?」

「本当に何も感じませんの? 私には空間すら歪んでいる気がします。……彼の魔力は他者を寄せつけない絶対的な力なのですわ。才能の有無にかかわらず、絶対的な力を感じると人間は恐れるものでしょう?」


 恐れるものという言葉を聞いて、シャノンは少し考えた。グレースの説明では、ウィルフレッドの魔力は他者を威圧して恐れを与えるのだという。強い者への恐怖、それは人間として必ず備わっているはずの本能のようなもの。

 だが、シャノンは全てを諦めてしまって死ぬことすら怖くないのだ。もしかしたら自分が死にたがっているから、彼の魔力が恐ろしくないのかもしれない。

 もし、そうだとしたら彼と一緒に暮らせる人間は、彼をより一層孤独にする存在だ。生きる気力すら奪われた状態でなら共にいられる。けれども、例えば彼を愛して、もっと生きたいと思えばその瞬間から彼を恐ろしく感じるのかもしれないのだから。そう思ったシャノンは真っ青になる。

 正直な自分の気持ちを言ってしまいウィルフレッドに軽蔑されたばかりのシャノンは、初対面のグレースに本当の気持ちを打ち明けることに抵抗があった。でも、これ以上ウィルフレッドのそばにいることは、人に軽蔑されて嫌われる以上に恐ろしいことのように思えて、考えていることを正直に話そうと思った。


「私が生きたいと思っていないから……先生の魔力が怖くないという可能性はありますか?」


 グレースはシャノンの告白に一瞬目を見開いて驚くが、顎に手を添えてしばらく何かを考える素振りを見せる。


「……そういう可能性もあるわね。だとしたら、あなたとっても残酷なことをしているわ」


***


 寒くなり、夕日の沈む時間が段々と早まる。午前中に予想外の来客があったが、その後はいつもどおりの仕事をして、忙しくしていたらあっという間に影が長くなってしまうのだ。

 シャノンは部屋の明かりを灯しに行こうと、夕食の支度をしていた手を止める。

 ロウソクを探していると、玄関から扉を開ける音がする。セルマが何か忘れ物でもして戻って来たのかと思ったシャノンだが、少し遅れて厨房に現れた人物はセルマではなかった。


「レイ先生 ……おかえりなさい」

「あぁ……」


 以前なら、なぜ早く帰って来たのか、などと他愛もない話ができていたのに、最近は挨拶以降の会話がない。顔を合わせるだけで、シャノンの胸がちくりと痛む。


「今日、グレースがここへ来たようだな? 何を話した?」

「先生のお話しを、少し聞きました」


 以前ドミニクが、屋敷の中に入るとそれがウィルフレッドに伝わると言っていたことを、彼女は思い出す。いろいろな魔術で取り囲まれたこの屋敷は、来客の存在まで彼に知らせるのだ。


「私の、何だ?」

「……レイ先生は王家の血筋を引く方だと。それから、私が先生の魔術の影響下で平気なのはなぜかという話です。答えは出ませんでしたが……」

「そうか。……今日早く帰って来たのは貴女あなたに大切な話があるからだ」


 突然「貴様」から「貴女」に呼び方が変わったことに、シャノンはもちろん気がついた。だが、正直それどころではない。


「まずはこれを」


 リビングの三人掛けのソファに座るように促され、ウィルフレッドが差し出したのは白いアイリスの花束だった。アイリスは春の花のはずで、この季節に出回っているものは温室栽培か魔術で育てたか――――どちらにしても、かなり高価な花だ。


「ここ何日か、酷い態度だったな。……これは詫びだ。貴女の過去を何も知らぬのにすまないことをした」


 シャノンは両手で花束を受け取り、壊れないよう、包み込むように抱える。大輪の白い花は中心部分だけが鮮やかな黄色。一本でも存在感がある豪華にして清楚な花が全部で十本。くすみのない白が少しまぶしく、シャノンは涙が流れそうになるのをぐっとこらえる。


「……悪いのは私です。一生懸命解呪しようとしてくれていたのに、私はそれを裏切ってしまいました。……申しわけありません」


 ウィルフレッドはシャノンの隣に座ると、シャノンが抱えていた花束を無理やり押しやり、ローテーブルの上に乱暴に置く。自分にくれたものではないのかとあぜんとしているシャノンの両手をウィルフレッドはぎゅっと握る。

 仕事や家事で豆だらけのカサカサとした手を握られて、シャノンはどうしようもないほど恥ずかしくなる。ウィルフレッドのほうを見るとアイスブルーの瞳と目が合って、視線を逸らせない。


「私は貴女に死んでほしくない」


 ウィルフレッドは真摯しんしな瞳で彼女に告げる。けれど、その言葉を聞いてシャノンが感じたことは後悔だけだ。この屋敷でウィルフレッドと一緒にいられる人間など今まで一人もいなかったのだとグレースは言っていた。シャノンはグレースの話を聞くまで、そこまで特別なことだとは思っていなかったのだ。

 彼にそう思わせてしまったことをシャノンはただ悔やむ。


「あと二ヶ月くらいの時間があれば、理論上かなりの高確率で解呪できるはずだ」

「二ヶ月?」


 シャノンの呪いが発動するまで残り一カ月と少しだ。だから二ヶ月では到底間に合わない。それなのにウィルフレッドがなぜそんな話をするのか、シャノンには理解できない。


「呪いを私に移せばいい」

「何を言っているんですかっ!?」


 シャノンの心臓は飛び跳ねるようにドクンと大きく鼓動を刻む。動揺して手が震える。それに気がついたウィルフレッドがより強く手を握る。


「高確率ってどれくらいですか?」

「八割といったところだ」


 だから安心しろ、というつもりでウィルフレッドは具体的な数字を示すが、シャノンにとっては一割でも二割でも失敗する確率があるなら、彼に背負わせるべきではないと思う。

 ウィルフレッドは王家の血を引く高貴な身分で、国で一番の魔術師なのだ。多くの人間から必要とされ、尊敬されている人間を危険な目に合わせる必要などこにもない。


「……私の呪いは、私のものです。そんなことしてまで助けないでください。それに、グレースさんと話したんです! 私がこの屋敷で暮らせるのは呪いの影響なんじゃないかって、だから呪いが解けたらきっと特別な存在ではなくなります!」

「貴女は何がそんなに不安なのだ? もし、私の魔力の影響を受けるようになったら、私のほうが屋敷にかけている魔術を縮小すればいい。今までそれを研究してこなかったのは、時間を割いてまでそれをする価値を私自身が見出せなかったからだ。貴女の過去を無理に話す必要はないが、未来のことなら……貴女の心配を取り除くことは私にもできる」


 ウィルフレッドが幸福な未来を示してくれるのなら、シャノンに可能性をくれるのなら、それは心を壊す凶器になる。最初に出会ったときからそうわかっていたのに、なぜこうなってしまったのか。シャノンは今すぐ彼から逃げ出したかった。


「まだ、時間はある。今すぐに全てを決めろと言っているわけではない。……だが、考えてほしい」


 考え直すつもりも、ましてや彼に呪いを移すつもりもない。

 それなのに握られた手が温かくて、優しくて、その手を振り払って彼を拒絶するのが互いの傷をこれ以上拡げないたった一つの答えだとわかっているのに、シャノンにはどうしてもそれができない。



『だとしたら、あなたとっても残酷なことをしているわ』



 グレースに言われた言葉がシャノンの頭の中に何度も響く。本当に彼女の言うとおりだという自覚は十分にある。

 シャノンの望みは残された時間をただ穏やかに過ごすことだった。決して誰かの心に自分の存在を刻みつけてから散ってしまいたいわけではなかった。

 シャノンが堪えきれずに流す涙をウィルフレッドは恐る恐る手を伸ばして拭う。

 彼女が流す涙の意味をウィルフレッドは正しく理解していない。彼の指先も、困惑した表情も全てがシャノンを苦しめる甘い毒に変わっていた。

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