ねじれた呪いはほどけない3
ウィルフレッドとの関係を完全に壊してしまったシャノンは、まったく眠ることができないまま朝を迎えた。
今まで解呪を望んでいないということを彼女はあえて言っていなかった。言ったらおそらく
ウィルフレッドという人物を知れば知るほど、そして親身になって解呪方法を考えてくれればくれるほど、彼を騙して居心地のいい屋敷に留まり続けることが苦しくなってきた。
本心を口にしたらその苦しさから解放されるのではないかと期待したが、結果は真逆だった。ほかのことが全く考えられないくらいウィルフレッドから言われた言葉が胸に突き刺さり、
誰かに嫌われたり憎まれたりすることには耐性があると思っていたシャノンだが、考えてみれば好意を抱いている人間から軽蔑された経験など生まれて初めてのことだった。
けれども朝はやって来て、部屋に閉じこもっているわけにはいかない。
彼女はハンカチで目元を拭ってから、身支度を整える。一階に下りるとウィルフレッドがいつもどおり朝の掃除をしている。
「あ、あの……おはようございます」
なんとか声を絞り出すシャノンのほうを彼が振り返る。昨日までと決定的に違うのはお互いに目を合わさないことだった。シャノンはひたすら次の言葉を待つ。出ていけと言われるか、無視されるか――――恐怖で心臓の鼓動が速くなる。
「ああ――――昨夜のことだが、少し冷静さを欠いていた。すまなかった」
「いいえ、私が悪いので」
それきり、昨夜の件を話すこともなく、シャノンが屋敷から追い出されることもなかった。シャノンもウィルフレッドもお互いの仕事をいつもどおりに淡々とこなす。
だが、やはり二人の関係は完全に変わってしまったのだろう。食事中に世間話をしなくなり、お互いに視線を合わさないようになった。そしてシャノンに魔術をかけたあと、ウィルフレッドが彼女の髪に触れることも、体調を気にすることもなくなった。
それから数日後、ウィルフレッドが王立学園へ仕事に出かけたあと、セルマと一緒に庭の落ち葉をほうきで集めていると一台の馬車が屋敷の前に停まった。
黒塗りの馬車はとても豪華なもので、扉の部分にはどこかの家の紋章が描かれている。辻馬車ではなく名のある家の持ち物だと誰が見てもわかるものだ。
シャノンがほうきを持ったまま作業の手を止めていると、馬車から一人の女性が降りてくる。金髪の巻き髪を横に流し、真っ赤なドレスを身にまとった美しい女性がシャノンの前まで歩みを進める。シャノンは反射的にほうきを持ったまま頭を下げた。
「ごきげんよう。……あなたがシャノン・エイベルさんね?」
「は、はい」
「まぁまぁ、グレース様! お久しぶりでございます」
花壇を整えていたセルマが来客に気がついてシャノンたちのほうへ歩いてくる。セルマの知っている人物だということにシャノンは安堵する。
「ふふ、セルマ、お久しぶりですわ。……それで、シャノンさん。私はグレース・プリムローズですわ。ウィルフレッドとは魔術師仲間で、幼馴染。それと元許嫁ということになるわね」
「そ、そうですか……」
グレースの言葉を聞いたシャノンの心臓がドクンと音を立てる。「レイ先生」のことを「ウィルフレッド」と下の名前で呼ぶことか、それとも元許嫁という部分なのか。なぜ動揺するのかシャノン自身にもわからない。
お客様を立たせたままにしておくわけにもいかず、ひとまずソファセットのあるリビングに案内し、シャノンはセルマと協力してお茶の支度をする。
三人掛けのソファの中央に腰を下ろすグレースにお茶をすすめて、シャノン自身は彼女の斜め前に立つ。
「あなたにお話がありますの。セルマは外してくださる?」
ウィルフレッドの同僚だというグレースが、
セルマはシャノンの事情やウィルフレッドの仕事にはあまり関わらないようにしているし、仮に知っても他言しない人間だ。ウィルフレッドの仕事は時々
シャノンとしても彼女を巻き込むつもりはないが、初対面のグレースと二人きりにされることはやはり心細い。
長い話になるから座るように促され、グレースの向かいに腰を下ろした彼女の額には、暑くもないのに汗がにじむ。
「緊張しなくていいのよ? 別にあなたを排除しに来たわけでも、いじめに来たわけでもないの。ただ、興味があるんですの」
「興味ですか?」
「そう。王家の血を色濃く引いていて、その強すぎる魔力でまっとうな人生を送れないウィルフレッドが唯一、一緒に暮らせる相手ですもの」
グレースの真っ赤な唇から予想外の言葉が紡がれ、シャノンは目を見開いた。
「王家!?」
「まぁ! 知らなかったの? 彼は王家の直系で、曽祖父にあたる方が二代前の国王陛下。わかりやすく言えば、現在の王太子殿下とは“はとこ”同士ということね」
出会ったときに、誰も彼の
「存じ上げませんでした。……魔術師で教師という肩書きしかないとおっしゃっていましたから」
「そんな顔をしないで。それは彼の口癖なのよ。彼はとことん権力や権威というものから逃げたがっているから。政治的に利用されないために……」
そうしてグレースは知らされていなかったウィルフレッドの過去をシャノンに語る。
発端は先々代の国王、クラレンス五世の
それまでの王位継承は長子ではなく、基本的に強い者――――とくに魔術の才能が重視され、時の王が継承順位を決定していた。
クラレンス五世はその制度を改め、特別な事情がない限り長子に継承させるよう法を作った。平和な時代に骨肉の争いを避けるためだ。
ウィルフレッドの祖父にあたる人物は当時、第二王子という立場だったが後継指名間違いなしといわれるほどの魔力を持っていた。結果としてクラレンス五世が退位し、第一王子であった兄が王位を継ぐタイミングで臣に下ることになったが、彼としては幼い頃から将来は王になるのだと思い続けてきたのだから、相当な不満はあったはずだ。
ウィルフレッドの祖父が臣に下るとき、すでにウィルフレッドの父は少年と呼ばれる年齢だった。多感な時期に王子という立場を失った父の不満は祖父よりも根が深かった。
もちろん、祖父は王子として与えられていた領地に加え、王家の直轄地の一部も与えられ、広範囲を統治する領主となったので、暮らしは豊かで制約の多い王族よりも自由な身であったはずだ。
それでもウィルフレッドの父は
ウィルフレッドは幼い頃から父や祖父を凌ぐ魔術の才能があり、周囲の期待も大きかった。
幼い頃から強すぎる魔力と、それを過敏に察知してしまう能力により不眠に悩まされ、田舎の別邸で暮らしていたが、体の成長とともにいずれ治まるものだと当時の大人たちは考えていたのだ。
大人達の期待をよそに、彼自身は田舎の別邸に引き
屋敷の改造のお陰でウィルフレッド自身は快適に暮らせるようになったのだが、そのことが皮肉にも他人を遠ざけることに繋がった。
使用人は住み込みだと体調を崩すために近所から通ってもらうようになった。
そして生まれたときからの許嫁であったグレースも、ウィルフレッドの屋敷を訪れると数時間で
彼の安息の地は彼を孤独にしたのだ。
ウィルフレッドが十三歳のとき、ある重大な事件が発生し、彼の人生は大きく変わる。
きっかけは当時まだ王太子だった現ハーティア国王の妃が懐妊したことだ。結婚してから八年ほど経っているにもかかわらず当時の王太子妃は子を授かることができなかった。懐妊前、強い魔力を持つウィルフレッドを王太子の養子にする案がかなり真剣に議論されていたのだ。
ウィルフレッド本人は別邸に籠っていたし、到底そのような責任ある立場が務まるような体質ではないと考えていたが、魔力を重視する傾向のある彼の父を筆頭にした多くの国の重鎮は、真剣にそうなるべきだと考えていた。
王太子妃の懐妊によって、息子を王にするという父の野望がついえてしまった。
結果としてウィルフレッドの祖父と父は、王位を奪おうと政変を企て罪人となり――――最終的には斬首となった。
ウィルフレッドの母は縁のある修道院に身を寄せることになったが、数年のうちに病死した。
祖父が持っていた領地や財産、屋敷は全て没収され、苗字は母方の途絶えた分家の名を名乗ることになったウィルフレッドだが、幸いにしていくつかの魔術理論や『魔具』を売って、別邸だけは手元に残すことができた。
当時の王や王太子はウィルフレッドの魔術師として才能を惜しんで保護したいと考えていたこともあり、屋敷に軟禁状態ではあったが研究だけは許された。
しばらくの間、屋敷に閉じこもり魔術の研究をする日々を過ごしていた彼だが、いつの時代も体制に反発する人間はいるもので、何度かウィルフレッドを
ウィルフレッドが十八歳のとき、彼は現在の王太子であるウォルター王子の教師に任命された。これは単純に才能を買われたということもあるのだが、彼が王家の駒であり敵対勢力が利用できる人間ではないことを外にアピールする狙いがあった。
そして二十歳のときに王立学園の教師も兼任することになり、今の屋敷に移り住むことになった。
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