ねじれた呪いはほどけない2
「中心街で買い物をするが、貴様も一緒に行くか? 傘を返したいのだろう?」
目抜き通りのパン屋で傘を借りてから一週間。ウィルフレッドの用事に同行するというかたちで、シャノンは再び王都の中心街へ行くことになった。
街路樹として植えられている広葉樹から、色づいた葉がはらはらと風に揺られて舞う。青い空と赤い葉のコントラストは美しいが、強い風が吹くとストールを巻いていても肌寒い。季節は間もなく冬になるのだ。
そんな目抜き通りをシャノンはウィルフレッドの斜め後ろを歩いて、彼についていく。長身の彼と、成人女性としては背の低いシャノンとでは当然歩幅が違う。不思議なことにウィルフレッドは後ろを全く振り返ることもせず、シャノンに歩調を合わせている。
後ろに目がついているのでないのなら、シャノンがまとう魔力の気配を察知しながら歩いているのではないか、などと彼女は予想した。
「ここに寄る」
ウィルフレッドが中心街で最初に立ち寄ったのは衣料品店だ。この店は彼の
「ようこそ、おいでくださいました」
きっちりとスーツに身を包み、白髪混じりの髪を頭に撫でつけるように整えた紳士が二人を出迎える。
そのまま商談用の個室に案内され、シャノンも用意されたソファに座るよう促される。
「本日はいかがされますか?」
「冬物を数着仕立てたい。それと、この者のコートも」
「!?」
シャノンは驚いて思わず声を上げそうになるのをなんとか堪える。彼女としては自分で用意できるから必要ないのだと訴えたい。だが、店員の前でそんなことを言うとウィルフレッドの矜持を傷つけるので、言えるはずもない。
困惑したシャノンがウィルフレッドの様子をうかがうと、どこか嬉しそうに目尻を下げている。断られないように予告なしに連れてきたのだとわかり、シャノンは少しだけ彼のことをにらんだ。
「遠慮しないでいい。衣食住は保障すると言ったはずだ」
「あの! レイ先生、ありがとうございます」
断れないのならせめてお礼だけはしっかりしないといけないだろうと、シャノンは慌ててウィルフレッドにそう言った。ウィルフレッドは彼女の礼に満足そうに
男性のスーツは基本的にオーダーだが、女性用のコートは規制品もたくさん用意されていた。商談用の個室にずらりとシャノンに似合いそうなコートが並べられ、その中からウィルフレッドが勝手に選ぶ。
「黒髪に暗い色は似合わない。その色がいいだろう」
彼が選んだのは明るい茶色のコートだ。織物の
表地はウールのラクダ色、裏地は保湿性のある絹が使われている。見えない裏地は薄桃色の花柄で、中に着ているスカートが皺になりにくいように、ウエストからふわりと広がるよう数カ所にタックが入っているかなり上質なコートだ。
「まぁ! よくお似合いですよ」
「レイ先生、どうですか? 少し子供っぽいでしょうか?」
丸襟でふわりと広がるコートは可愛らしいシルエットだ。シャノンは二十歳の成人女性なので、ウィルフレッドの選んだコートが正直子供っぽいのではないかと心配になる。
「う、うむ。……子供のような容姿の貴様が、大人びた服を選んでも似合わない。それくらいがちょうどいいだろう」
ばっさりと断言される。ウィルフレッドの言うことは真実で、本人にはまったく悪気はない。シャノンもそれはわかっているのだが、ほかに言いようがないのかと突っ込みたくなるのだ。
店の店員も同じ気持ちでシャノンと目配せをしたが、常連客に対し女性のあしらい方がなっていないなどと説教をする訳にもいかず、ウィルフレッド以外の人間は沈黙するしかない。
ウィルフレッドのほうは生地を選ぶだけで採寸はしなかった。彼は栄養管理にこだわるので、成人してからミリ単位でサイズが変わっていないのだという。
注文したものは屋敷に届けてもらうことにして、二人は何も持たずに店を出る。
目抜き通りを南下し途中で文具を扱う店や古書店に立ち寄り、昼食を済ませてからパン屋へと向かう。
赤い扉が特徴的な店の中に入ると、ちょうど馴染みの客が女将と話し込んでいるところだった。
「あら、この前のお嬢さんじゃないかい。いらっしゃい」
「じゃ、じゃあ私はこのへんで!」
白髪混じりの髪を柔らかく結い上げた女将がシャノンの存在に気がつく。馴染みの客がシャノンたちに遠慮して立ち去ってしまったような気がして、シャノンは少し申し訳なく思った。
「先日はありがとうございました。傘を返しにうかがいました」
「そうかい。濡れずに帰れたのならよかったねぇ。……ところでそちらの方は?」
「私がお仕えしているお屋敷のご主人様です」
「家の者が世話になった。私はウィルフレッド・レイという」
ウィルフレッドが名乗った瞬間、女将はあんぐりと口を開けてしばらく声も出さない。厨房のほうからは焼き型が崩れるガシャンという音がした。
「どうかされました?」
「ハーティアで一番の魔術師様じゃないかい……。すごいご主人様に仕えているんだねぇ」
ウィルフレッドは純粋にとんでもない魔力を持っているという点で王国一の実力者なのだが、魔術の研究者としても有名だ。
彼は人々の生活に役立つような魔術の使用方法を編み出し、便利な『魔具』の製造をしているため、王都の住人なら知らない者はいない存在だ。
地方に住んでいたシャノンは、実はハーティアの現国王の名前すら正確に言えない。だから当然、有名な魔術師の名前も知らなかった。
女将や作業場にいる男性たちがウィルフレッドに向ける視線は、単純な驚きと、偉大な魔術師に対する尊敬だ。シャノンはただ保護されている身だというのに、ウィルフレッドと一緒にいられることを誇らしく思った。
「この店は家族で営んでいるのか?」
「いえいえ、夫と……跡取りがいないから弟子を取ったんですよ。娘がいたんですけどねぇ、十五で駆け落ちしましてねぇ……」
女将は一旦話始めると止まらない性格だったようで、聞いてもいない身の上話が延々と続く。
お礼の代わりにパンを購入したがそれを受け取っても話は終らず、完全に帰るタイミングを逃している。
「そういうわけで、血は繋がってないんですけどねぇ、まぁ息子のようなものですよ」
「そうか、だが跡取りがいるのはいいことだ。うむ、先日こちらのパンを食したが次世代に継がせるべき味であった」
「そうでしょう、そうでしょう! 私たち夫婦が結婚した時、夫はまだ店も持っていなかったんですけど、この腕前ならと信じて一緒になったんですから」
「う、うむ。女将は見る目があったということだな」
女将の話は弟子の話から夫婦の馴れ初めに変わり、まだ続きそうだ。ウィルフレッドはどうしたら話が終わるのかわからないといった表情でシャノンを見つめる。どうにかしろと言われても、シャノンにもどうすればいいのかまったくわからない。
先ほどの常連客がなぜ二人と入れ替わるようにして立ち去ったのか。その理由を察することができたが、時すでに遅しという状態だった。
「じゃ、じゃあ私たちはこのへんで……」
扉に取りつけてある鈴が音を立てて、女将が新たな来店客に注意を向けた瞬間、シャノンたちも先ほどの常連客とほぼ同じ言葉を残し、パン屋をあとにする。
「話は長いが、いい人物のようだな」
「そうですね……」
ウィルフレッドがパンの袋を抱えて、二人は帰路についた。
***
就寝前、シャノンはレース編みをしていた。レース編みは仕事が少ないときの内職としてやっていたのだが、目的もなく暇つぶしのために編むのは人生で初めてだ。
ただ一目一目を均一に編むことだけに集中していれば、余計なことを考えなくて済む。今のシャノンにとって都合のいい趣味だ。
「私だ、入ってもいいか?」
扉をノックする音のあとにウィルレッドの声がする。シャノンが許可を出すと、手に何冊かの本を抱えたウィルフレッドが顔を出す。
「なんだ? レースを編んでいたのか?」
「はい。暇つぶしのようなものです」
「そうか、暇ならこれを貴様にやる」
ウィルフレッドが持ってきたのは何冊かの子供向けの本と子供向けの辞書、それに束になった白紙の紙だった。彼はそれらを物書き机の上に置く。
「暇なら、文字を習うといい。この辞書は簡単な言葉で書かれているから、わからない言葉を調べて書き取りをしながら読めば勉強になるだろう」
「…………」
「どうしたのだ?」
「……やりたくありません」
シャノンは下を向いて小さな声でボソボソとつぶやく。彼女からそんな言葉が出てくると予想していなかったウィルフレッドはあぜんとしてしばらく沈黙する。
「今、なんと言った?」
「やりたく、ありません」
今度は、はっきりと否定の言葉を口にする。シャノンのその言葉に、ウィルフレッドは眉間の皺を深くする。
「なぜだ? 貴様は勤勉な人間だと思っていたが?」
「……そんなことありません」
ウィルフレッドは明らかに苛立った様子でシャノンをにらみつける。
「紅茶のいれかたを習うのと何が違う? 文字を覚えれば、新たな知識を得られるし今後の役に立つだろう。ここにいる間に習っておけば――――」
「紅茶はっ、紅茶は今すぐ役立ちます! 文字は今すぐ役に立たないでしょう!?」
ウィルフレッドの言葉をさえぎるかたちでシャノンも声を荒げる。紅茶のいれ方を覚えるのも新しい料理を覚えるのも、残りの時間を穏やかに、できることなら世話になっているウィルフレッドの役に立ちたいという思いからだ。あるかどうかわからない未来のことを考えて文字を覚えることはシャノンには耐えられない。それに文字を覚えたら知らないほうが幸せなことを知ってしまう可能性がある。シャノンにはそれが耐えられないのだ。
「先生は不確実なことを言って期待を持たせるのを避けてくれていたのだと思っていましたが、違うんですか?」
「私が貴様に無責任な未来を提示しないのと、貴様が自分自身の先のことを考えないのとは違う!」
ウィルフレッドの言葉がさらに厳しいものになる。
「レイ先生……もう終われると思って納得していたものを、もう一度やり直せって言われるのはすごく、すごくつらいんです。お願いですから……私のこと、助けないでください」
「なっ……!」
そう告白したシャノンの頬に涙が伝う。ウィルフレッドが彼女の涙を見たのはこれが初めてだ。思い返すとサイアーズの港町で保護をしたとき、本来なら絶望的な状況だったというのに、どこか楽しそうに見えた。解呪方法が見つからないと話したときも異常なほど冷静だった。
ウィルフレッドは彼女のことを明るい前向きな人間なのだと思っていた。実際は逆だということに気がついた彼が、まず最初に感じた感情は怒りだった。
「死にたがっている者を助けようと思うほど、私は暇ではない! 勝手にするといい。恐ろしいからといって前を見ようともしない人間を私は
「……ごめんなさい」
藍色の瞳が伏せられて、そこからさらに透明な雫があふれる。ウィルフレッドの胸のあたりに込み上げてくるどす黒い怒りの感情が、彼女に向けられているものなのか、それとも彼女を理解しようともしなかった自分自身に向けられたものなのか彼自身もわからなくなる。
それでも感情のままに口にした言葉はシャノンを傷つけるためのものだった。
声を出さずに涙を流すシャノンから目を逸らして、ウィルフレッドは彼女の部屋の扉を乱暴に閉じた。
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