呪いと一緒に暮らす方法3

 ウィルフレッドとドミニクは屋敷から一時間ほどの距離にある王都の中心――――王宮に来ていた。

 ウィルフレッドは国に仕えている魔術師であり、その配属先として王立学園の教師という職務を担っている。一週間のうち三日間は学園で魔術の実技指導をし、残りは屋敷で研究をするか王宮で仕事をしている。以前はこの国の王太子の魔術指南役をしていたが、優秀な王太子に対し教えるべきことが段々と少なくなり、ほぼお役御免といった状態だ。

 それでも時々、王宮の北側にある魔術師の研究室にわざわざ出向いて質問にやってくる王太子の姿を見て、彼の成長を感じることがウィルフレッドの生きがいになっている。


 魔術師の正装であるローブを羽織ったウィルフレッドが王宮の柱に囲まれた回廊を歩くと、皆が視線を向ける。魔術師という少し陰気なイメージにふさわしくないシミ一つない真っ白なローブには金糸の縁取りがされていて目を引く。

 単純にハーティア王国一の魔術師に対する尊敬の眼差し、その血筋のせいで不安定な立場に立たされている彼への警戒心、それらを気にせずウィルフレッドは颯爽と目的の場所へ向かう。


 今日、王宮へ出仕したのは、本来の仕事であるサイアーズ視察についての報告のためだが、同時にチェルトンという村のこと、呪いに関する資料が王宮に保管されていないか調査するためでもある。

 実は、ウィルフレッドは昨日のうちに早馬を出して、呪いについての資料が残ってないか調査するように、ほかの魔術師に命じておいたのだ。

 シャノンの話によると、チェルトンという村は暗殺者の隠れ里であったという。具体的にどういった者を標的に暗躍していたのかは今となってはわからないが、いつの時代も暗殺者に一番狙われるのは王家だ。

 チェルトンという村に残された魔術書に魔術の仕組みについての記述はあったが、解呪に関する記述はなかった。もし、チェルトンの呪いが過去、王族に対し使われていたとしたら、そのときの解呪方法が残されている可能性がある。


「あら、ウィルフレッド? 何だか面白い手紙を受け取りましたけれど……?」


 魔術師の研究室に入ってすぐ、ウィルフレッドに声をかけてきたのは、金の長い巻き髪を左肩に流して鮮やかな赤いローブをまとった女性だ。成人女性であることは確かだが、年齢不詳でローブの上からでも大人の色香を隠せない美女。印象的なつり目がちの青い瞳に浮かんでいるのは好奇心で、彼女の様子を見たウィルフレッドは思わずため息を漏らす。


「貴様か……グレース・プリムローズ」

「ふふっ。なんだか面白い魔術を見つけたようですわね。この私が自ら調べておきましたわ」


 グレースはウィルフレッドの母方の親戚で幼い頃から時々顔を合わせている女性だ。彼女も優秀な魔術師だが、昔から生真面目なウィルフレッドをからかって遊ぶ悪い癖がある。彼にとっては苦手な相手である。


「資料を」

「感謝の言葉がありませんわね、ひどい方!」


 グレースがかなり昔に書かれたと思われる本、そして彼女が調査した内容が記されている数枚の資料をウィルフレッドに手渡す。


「百三十年ほど前、その魔術で二名の御方が亡くなっているようですわ」

「解呪方法は?」

「うーん、その魔術、仕組みさえわかってしまえば暗殺には向かない欠点だらけの魔術ですの。だから術を解く方法は研究されなかったようですわ」

「どういう意味だ?」

「……だって、誰かに移してしまえばいいんですから、簡単でしょ?」


 簡単だというグレースの笑みは美しく毒を含んでいる。グレースから受け取った資料を見ながらウィルフレッドは眉間の皺を増やしていった。


***


 資料に目を通し、いくつかの報告を必要な部署におこなったのち、ウィルフレッドは馬車に乗り屋敷へ戻ることにした。


「ドミニク、パン屋と八百屋に寄ってくれ。明日の食材が足りない」

「王国一の魔術師が所帯じみたことを言わないでください……脱力してしまいます」

「仕方がなかろう。貴様と違い、使用人がやってくれるわけではないのだから。セルマはあまり歩けないし、あの者はまだ外出させられん」


 ウィルフレッドは使用人を雇えないわけではない。一流の魔術師は高給取りなのだ。

 彼が今まで使用人をまともに雇わなかったのは単純に自分で何でもできるので不自由しないのと、他人の魔力を察知する体質から一人のほうが心穏やかに暮らせるというだけの話だ。


「それにしても……結局、夜は妙齢の女性と一つ屋根の下ではありませんか」

「住み込みの使用人という立場ならおかしくはないだろう? むしろ今までそういった者を雇わなかったほうがおかしいのだ。それに、呪いを他人に移せないように対策が整うまでの一時的なことだ。私の屋敷に長く住むことなど、どうせできないのだから」


 特に問題がないと言い切るウィルフレッドを呆れた顔で見つめて、ドミニクは大きくため息を漏らす。


「ほかにも住み込みの使用人がいれば問題ないですけどね! 間違いは起こさないでくださいよ? それと、申しわけありませんが、もし軍が彼女について口を出すような事態になった場合、私は味方できませんからね」

「それはわかっている。王都の治安を守るのは魔術師の管轄ではないからな。越権行為だという自覚はあるが、軍に預けたら彼女はおそらく……」


 シャノンのような危険人物を管理する部署は本来なら王都の治安を守る王国軍の王都警備隊という組織になる。

 王国軍には様々な部署があり、それぞれ管轄というものがある。ドミニクは武官の名門といわれているカーライル家の本流に近い分家の人間だ。武人としての能力だけでなく情報分析にも長けていて、本家当主から一目置かれている将来有望な武官なのだ。

 カーライル家は王国軍に対してとてつもない影響力を有している。けれども、彼自身は要人の警護を行う部隊の所属であり、王都の治安を維持する王都警備隊に直接指示ができる立場ではない。仮に家の力で命令できたとしても、それは権力で規則原則を無視する行為となり、ドミニクとしてはそこまでして彼女を守るつもりはない。彼には彼で守るべきものがあるのだ。

 今回、シャノンを保護するにあたり、ウィルフレッドは研究のために必要な措置であると屁理屈を並べて必要な部署に申請だけはしたのだが、それがどこまで通用するかはわからない。


「出会ったばかりの彼女に肩入れされているのは同情ですか? ご自身の境遇と重ねていらっしゃる?」

「否定はしない。誰にも会えず、閉じ込められ、ただ生かされる――――それがどれだけ人に苦痛を与えるか、貴様には理解できない話だと思うが」

「彼女……何か隠していますね。そもそも子供の肝試しじゃあるまいし、成人女性が禁域のほこらに入って呪いを宿してしまったという話自体、きな臭いと思いますよ?」

「暗殺業を廃業したというのは偽りで、目的があって王都に来たとでも言いたいのか?」

「そこまではわかりかねます。ですが、辺境に住んでいたという割にはなまりがないですし……こちらはこちらで、勝手に調査しますので」

「それを止める権利は私には与えられていない。勝手にすればいい」


 屋敷の門をくぐり抜け、馬車を止めると屋敷に明かりが灯されているのが見える。この屋敷に移り住んでから一度もなかったことにウィルフレッドの口もとが無意識に緩む。


「私もシャノンさんに挨拶をしてから帰りますね」

「そうか……」


 ドミニクは常に一緒に行動をしているわけではない。そもそも魔術でも武力でもウィルフレッドに危害を加えられる人間など存在しない。名目上は護衛となっているだけで、ドミニクの役目はウィルフレッドを利用しようと近づいてくる人間をけん制することと、監視することだ。

 いつもなら、馬車から降りることのないドミニクがわざわざそうするのは、シャノンの様子を確認するためだ。


「レイ先生! お帰りなさい。ドミニクさんもこんばんは!」


 玄関扉を開けてすぐに、白いエプロンを身につけた小柄な女性が姿を現す。肩より上で切り揃えられた髪は、昨日とは違い艶があり、まとまっている。大きめの瞳はなぜか少し潤んでいて零れ落ちそうな笑顔でウィルフレッドを出迎える。

 もし彼女にしっぽがあったのなら、間違いなくものすごい勢いでパタパタと振っているに違いない。そう思えるような歓迎ぶりにウィルフレッドはただ困惑する。例えるなら飼い犬に出迎えてもらったような気分だ。もちろん潔癖症なウィルフレッドが動物を飼ったことはないのだが。


「あ……あぁ。い、い、いま帰った。変わりはないか?」

「はい! でもとってもお腹が空いたんです。レイ先生、結界のせいでお水も飲めなかったんですよ? ひどいですよ!」


 シャノンは頬を膨らませて空腹を訴える。彼女の歓迎の理由が、単純に腹が減ったからだとわかったウィルフレッドは少しだけ落胆する。


「……そうか、食事の事は失念していたな。謝罪しよう」

「出迎えがあるっていいですね。……新婚ってこんな感じなんでしょうか?」


 ドミニクがにやにやしながらウィルフレッドに囁く。ウィルフレッドが眉間の皺を倍増させて彼をにらみつけると「邪魔者は退散する」と言って帰っていった。


 ウィルフレッドに結界を解いてもらったシャノンは急いで最後の味つけを済ませた。そもそもあるじと一緒の席でいいのか迷ったが、たった二人しかいない住人が別々に食事をするのは非効率だとのことで、一緒に食事をすることになった。

 細かく刻んだ野菜をたっぷりと使って作ったソースを温めなおすと、厨房に食欲をそそるいい匂いが漂う。ウィルフレッドは倉庫から葡萄酒を持ってきてグラスと一緒にテーブルに並べる。二人で準備を終わらせて、ともに席に着く。昨日とは違いシャノンのグラスにも葡萄酒が注がれた。


「お口に合いますか? セルマさんにレイ先生の好きなものをうかがったんですけど」

「あぁ、問題ない。……美味しくできている。貴様はどうだ? 葡萄酒はうまいか?」

「すみません。飲み慣れていないせいか少し渋くてよくわかりません」

「最初はそうだろうな。飲み慣れると段々美味く感じられるのだ。といっても、私も酒はあまり得意ではない。食事のときに少々、あとは眠れないときに飲む程度だ。感覚が鈍くなってよく眠れる」


 庶民では飲むことのできない高級なお酒を、味のわからない人間が飲んでいいのかとシャノンは少し申し訳ない気持ちになる。ウィルフレッドはそんな彼女の様子を見て少しだけ口の端をつり上げた。

 誰かと一緒にテーブルを囲み食事をするのはシャノンにとっては本当に久しぶりのことだ。今夜の食事がこんなに美味しく感じられるのは、素材が高級だからというだけではないはずだ。

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