呪いと一緒に暮らす方法4

 食事が終わると、ウィルフレッドは屋敷の二階にある研究室にシャノンを呼ぶ。

 研究室はほかのどの部屋よりも広く、本来の間取りとしては主寝室として使われる設計だったと思われる。研究室の明かりはロウソクではなく、魔術で乳白色の球体を光らせるという不思議な照明だ。ロウソクのような温かみを感じる優しい光ではないが、ゆらぎのない魔術の白い光は、夜間でも昼間のように明るく均一に室内を照らすので、仕事には適している。

 広い室内にはたくさんの本やガラス製の道具が整然と並べられている。中央には大きな作業台があり、その上にはたくさんの資料が高く積まれている。

 簡素な木製の椅子に腰を下ろすようにすすめられて、シャノンはそれに従う。


「王宮に貴様が宿している呪いの資料があった」

「そうですか」

「あぁ、だが……始めに言っておくが、解呪の方法はわからなかった。だから期待せずに聞くように」

「はい」


 ウィルフレッドはベストの上に白衣を羽織った姿で、シャノンと同じような木製の椅子に座る。束ねた資料を見る彼の眉間には、早くも皺が増え始める。もしかしたら近くが見えにくいせいで眉間の皺が増えたのではないかとシャノンは心配になる。


「まず、魔術の基本的な話だが、陣の大きさと魔術の規模が比例することは知っているか?」


 シャノンは首を横に振る。彼女は魔術に関する知識をほとんど持っていない。そんな彼女にウィルフレッドは魔術の基礎的な話を聞かせる。

 ハーティアでは魔術を使うときに設計図となる『陣』というものを利用する。一番一般的な方法は単純に魔力そのもので図形と文字を描くもので、ウィルフレッドが頻繁に使っている魔術がそれだ。


「光ってはいないが、貴様の手の甲にあるものも『陣』で、そこに魔力が宿っている」

「それだと……手を切断するとか、陣に何かを書き足しちゃえば、魔術は発動しないということでは?」

「貴様の言っていることはもっともだ。理論上はそうなるな……だが、貴様のその手にある陣は呪いの本体ではないんだ。本体は別の場所――――取り除くことができない心臓の付近にある」


 チェルトンの村から持ち出した魔術書にもそのように記されていたのだが、難しい文字を読むことができないシャノンは、そのことを知らなかったのだ。

 完成した陣に何かを描き加えるというのはとても難しく、目に見えない体内にある陣ならば下手に手を加えると暴発する可能性が高い。そしてシャノンの手の甲にある小さな陣には人を害せるほどの力はなく、単純に呪いが誰に宿っているのかを把握するための補助的な役割であるということをウィルフレッドは説明する。


「実際に百年以上前、二人の御方がこの呪いで暗殺されているそうだ。王宮側の資料では『砂時計の呪い』と呼ばれていた。ただ、この呪いは対策方法がわかってしまえば暗殺術として意味をなさない。貴様の村が暗殺業を廃業したのは案外、この呪いが不完全なもので仕事にならなかったから、ということかもしれんな」


 王宮側で『砂時計の呪い』という名で呼ばれていたのは、この呪いが発動するまで三ヶ月の期間があること、そして他人に移すとそこからさらに三ヶ月後に呪いが発動することに由来する。つまりは、ひっくり返すと新たに時を刻む砂時計に例えたのだ。

 そして、『砂時計の呪い』は弱点だらけの不完全な呪いだった。他者にくちづけをするだけで呪いを移せること、呪いの発動までに時間がかかることによって、実際に呪いが発動する時までに、犯人は逃げるかアリバイを作ることができるのが利点だ。しかし、くちづけで簡単に人を呪えるということは、呪った相手以外に簡単に移るということでもある。よく考えると実にまぬけな呪いとしか言いようがない。実際に被害にあった王族も本来の標的であったのかどうか定かではない。

 資料によれば三人目の被害者が出る前に、手の甲におかしなあざがあること、そしてその痣を他者に移せることがわかった。それさえわかってしまえば、あとは誰かに移してしまえば国の重要人物を守ることは簡単だった。


「解呪方法など考えなくても、罪人にでも移してしまえばいいのだ」

「なるほど……。そう言われると、呪われてしまった私が馬鹿みたいな、実にまぬけな呪いですね。そんなんじゃご先祖様も廃業しますよね……ははは」

「笑いごとではない! 貴様は他人に呪いを移すことなどできないのだから。……移したら殺人罪だからな」

「殺人罪ですか……」

「当たり前だろう!」


 今日の調査結果を聞いたあと、シャノンはまた風呂に入らせてもらった。

 掃除や食事の準備などの家事をしてはいるが、食事は同席だし、庶民には縁のない風呂に毎日入らせてもらい、私室として広い客間が与えられている。そんな今の生活はもしかしたら神様が最後に与えてくれるご褒美なのだろうか。ついそんなことを考えてしまう。


 風呂から出たあと、シャノンは夜着の上からガウンを羽織り、私室の物書き机で自宅から持ってきた小物入れを撫でていた。木製でちょうど辞書くらいの大きさの鍵がかかる木箱には彼女の大切な物がしまってあるのだ。チェルトンを出るとき、旅の必需品以外に持ってきたのはこの箱だけ。大切な物の少なさに彼女自身も驚いた。

 しばらくすることもなくただ箱を撫でていると、扉を叩く音がして、許可を出すとウィルフレッドが扉を開ける。

 シャノンは小物入れを引き出しの中にしまってからウィルフレッドを出迎えた。


「すまないが、夜はまた結界を張らせてもらう」


 ウィルフレッドはなぜかシャノンのことを信用していて、彼のいるときは結界を張っていなかった。夜だけそうするのは彼自身が他者の魔力を感じると熟睡できないから。シャノンはそのことについては納得しているし特に嫌なことではない。


「暇だろう? 明日になるが、本でも用意するべきか? ここには専門書しかないからな。女性が読むような娯楽性のある本はあいにく持っていない」

「あのっ! すみません、私はあまり字が読めないんです。だから本は……」

「そうか、悪かったな」


 ウィルフレッドは気まずそうな顔をして、また眉間の皺を増やす。教師として、庶民の識字率が低いことくらいは知っているのだ。王都に住んでいる者は庶民でもわりと生活水準が高いし、読み書きや計算を習う習慣がある。けれど地方ではそんな余裕も無く、十代前半から労働力として使われる。

 シャノンは困っているウィルフレッドを見て、少し愉快な気分になる。身分も過ごしてきた環境も全く違うので互いの常識が通じないのは当然のことだ。きっとシャノンも気がつかず彼に対して失礼なことをたくさんしているはずだ。でも、彼はシャノンに教えることはあっても咎めることはしない。無学であることに同情しても卑下することはない。

 だから、彼の言葉でシャノンが傷つくことはない。むしろ理解しようとしてくれること、歩み寄ろうとしてくれることは嬉しいのだ。


「本当に嫌ではないのか? 他人の魔力に包まれるなど、魔術師にとっては苦痛でしかない」


 昨日と同じようにつるバラの結界を張り終えたウィルフレッドが、昨日と同じように体調を気遣う。


「うーん? なんとなくほわほわしますけど、守られている気がしてよく眠れますよ? 魔術師じゃないから……魔力の使い方を知らないからでしょうか?」

「そうか。不快でないのならそれでいい。そうしていると茨姫のようだな」

「茨姫? ……それって、王子様のくちづけで目が覚めるんですよね? 私だったら助けにきた王子様を呪い殺してしまいますね」

「すまない。また失言だった……」


 本を読むのが苦手なシャノンだが、幼い頃は寝物語として母からいろいろな童話を聞かせてもらった。

 茨姫は有名な物語だから当然彼女も知っている。姫の呪いが王子様のくちづけで解かれるという幸せな物語。みすぼらしいシャノンはお姫様ではないし、彼女のくちづけは人を呪ってしまう。

 もっとも彼女を助けようとしているウィルフレッドは王子様ではなく、怖そうな魔術師なのだから全てが逆なのだ。


「いいんです! レイ先生には悪気がないってわかっていますから! それに助けてくれる王子様はできれば二十代がいいです」

「そうか、私はまだ二十七なのだが……」

「え……!?」


 今度はシャノンが青くなる番だった。眉間の皺のせいで、三十代後半だと勘違いをしていたのだ。

 顔色が悪くなったシャノンの様子を見たウィルフレッドはふき出すように声を出して笑う。いつもそうしていれば二十代に見えるかもしれないのにとシャノンは思い、少し遅れて一緒に笑う。

 誰かと許しあえ、笑いあえること。そしてなにより「おやすみなさい」と言える人間がそばにいてくれることが嬉しくてシャノンはこの日も怖い夢を見ずに眠ることができる気がした。

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