吹雪の子守唄 ⛄

上月くるを

吹雪の子守唄 ⛄




 東京を発つときはきれいな快晴だったが、日本海が近づくにつれ、どっとばかりに雲行きが怪しくなるのはいつものことなので、運転席のとうさんは気にしなかった。


 それより、お正月に帰省したときは元気だった祖父の容体がよくないというので、一刻も早くと焦る気持ちが募るらしく、高速道路のスピードも超過気味で少し怖い。


 助手席のかあさんも気になるらしく、「ちょっとぉ、120キロも出ているわよ」と注意を促すが、すぐまた元にもどるので、後部座席のわたしたち姉弟もヒヤヒヤ。


 最近やたら見栄を張りたがる弟のユウタはさほどでもなさそうにしているが、本音では怖いらしく、さりげなくシートベルトの締まり具合をカクニンしたりしている。


 周辺の景色に白が多くなったと思う間もなく完全な雪国に突入したらしく、鉛色の空から間断なく大粒の雪が降って来て、フロントガラスのワイパーは忙しくなった。


 高速道路の表示はいつの間にか50キロ制限に変わっている。

 つぎのインターチェンジ付近には、小さな渋滞が出来ていた。



 ――ええっ、うそだろう?!

   あらまあ、困ったわね!



 どうやら、これから先の高速はタイヤチェーンをつけないと通行できないらしく、 激しい吹き降りの雪のなか、赤いスティックを持った職員が一般道へ誘導していた。




      🚗




 降ろされた国道は国道で、たいへんな渋滞だった。

 ノロノロ運転どころか少しも前へ進んでくれない。


 苛立ったとうさんは、やや強引に街の細い小路へ多摩ナンバーを侵入させていく。

 高校までこっちで育ったんだから、大丈夫だよ、とうさんにまかせておきなさい。


 え、そのころはまだ運転していなかったんでしょ? それに相当むかしの話だし、ほんとに大丈夫? 心配だったが、かあさんも弟も黙っているので、仕方なく……。




      👻




 ところが、わたしの不安はもののみごとに的中してしまったらしい。(T_T)/~~~

 どこでどう迷ったものやら、ふと気づけば四方八方を真っ白な壁に阻まれていた。


 どこが道で、どこが田んぼや川で、どこが路肩なのか、ちっとも区別がつかない。

 こういう状況をなんていうんだっけ……ホワイトアウト、そうだ、まさにそれだ。


 たしか数年前もどこかの国道が詰まって、何昼夜も車中泊をしたと報道していた。

 あれはまだ国道だったからいいが、わたしたちが置かれた場所はいったいどこ?


 吹雪はますます激しくなり、見る見る車を塗りこめて、いや、押しつぶしていく。

 フロントガラスにも厚い雪が積もっているらしく、ワイパーはピクとも動かない。


 エンジンをかけたままの車は暖房が効いているが、なんだか……眠くなって来た。

 眠っちゃだめというのは雪山の遭難だった? でも、これ、まさに遭難でしょう。


 とうさんもかあさんも弟まで、ぼんやりした、意識が飛びそうな声を出している。

 わたしたち、このまま、ここで死ぬのかな……いやだよ、死にたくないよ~。💦




      🐣




 そのとき、車の下の、どこかずっと下の方から赤ちゃんの泣き声が聞こえて来た。

 同時に、やさしくあやす母親の子守唄も……ねんねんころりよ おころりよ ♪


 かあさんも気づいたらしく、「みんな、眠ってはだめよ!!」大きな声をあげる。

 とうさんも弟も目覚めたところへ、こんどは大人の男性の声がはっきり聞こえた。


 吹雪に立ち往生したライトの明かりを見て助けに来てくれた地元の人たちだった。

 わたしたち一家はこうして危ういところで命拾いして、父の生家へたどり着いた。


 


      📚




 一時は相当にいけなかった祖父は、わたしたちが到着するとにわかに持ち直した。

 折しも女正月といわれる小正月の日で、むかしはお嫁さんが実家に帰ったらしい。


 わたしたちの遭難譚を聞いた祖父は、そのことも兼ね合わせてふしぎだと言った。

 ちなみに、そま&猟師の祖父は、若いころから趣味で郷土の歴史を研究している。


 祖父が見せてくれたのは、江戸時代、鈴木牧之すずきぼくしという人が出版した『北越雪譜ほくえつせっぷ』で、そのなかに、赤ちゃんを連れて里帰りした若夫婦の「雪吹ふぶき」の項があった。



      *



 ――産後、日を経て、連日の雪も降りやみ、天気穏やかなる日、嫁、夫に向かい、今日は親里へ行かんと思う、如何にやせんと言う。舅、かたわらにありて、そはよきことなり、倅も行くべし、実母どのへも孫を見せて喜ばせ夫婦して自慢せよと言う。


 ――嫁はうち笑みつつ姑にかくと言えば、姑にわかに土産など取り揃えるうちに、嫁、髪を結いなどしてたしなみの衣類を着し、綿入れの木綿帽子も寒国の習いとてみにくからず、児をふところに抱き入れんとするに、姑、かたわらより、よく乳を呑ませて抱き入れよ、みちにては、ねんねが呑みにくからんと、一言の言葉にも孫を愛するこころぞ知られける。

 

 ――児の泣くに乳房くくませつつ打ち連れて道を急ぎ、美佐嶋という原中に至りしとき、天色にわかに変わり黒雲空に覆いければ(これ雪中の常なり)、夫、空を見て大いに驚き、こは雪吹ふぶきならん、如何がはせんと躊躇ためらううち、暴風、雪を吹き散らすこと巨濤おおなみの岩を越ゆるがごとくつじかぜ雪を巻き上げ、白竜峯に登るがごとし。のどかなりしも掌を返すがごとく、天怒り、地狂い、寒風は肌を貫くのやり、凍雪は身を射るの矢なり。

 

 ――夫は蓑笠を吹き取られ、妻は帽子を吹きちぎられ、髪も吹き乱され、あわやという間に目口、襟袖はならなり、裾へも雪を吹き入れ、全身凍え、呼吸迫り、半身はすでに雪に埋められしが、命の限りなれば、夫婦声をあげ、ほういほういと哭き叫べども、往来の人もなく、人家にも遠ければ助くる人もなく、手足凍えて枯木のごとく暴風に吹きたうされ、夫婦、かしらを並べて雪中に倒れ死にけり。


 ――この雪吹、その日の暮れに止み、次の日は晴天なりければ、近村の者四、五人ここを通りかかりしに、かの死骸は雪吹に埋められて見えされども、赤子の啼く声を雪の中に聞きければ、人びと大いに怪しみ恐れ逃げんとするもありしが、豪気の者、雪を掘りてみるに、まず女の髪の毛、雪中にあらわれたり。


 ――さては昨日の雪吹倒れならん、里言にいうところとて、みな集まり雪を掘り、死骸を見るに、夫婦手を引き合いて死に居たり。児は母のふところにあり、母の袖、児のかしらを覆いたれば、児は身に雪をば触れざるゆえにや凍死こごえしなず、両親ふたおやの死骸の中にて、また声をあげて啼きけり。




      🌠




 細密な挿し絵が添えられた古い地誌を読んでもらいながら、江戸時代、同じ場所で遭難した赤ちゃんの泣き声と若い母親の子守唄に助けられた事実が胸に迫って来る。


 高校で地元を離れたとうさんは知らなかったが、あの場所ではときどき車が吹雪に閉じこめられると聞き、地霊になって守ってくれている魂魄に心から感謝していた。


 

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