だいたいゾンビのせい

加藤ゆたか

だいたいゾンビのせい

 妻の幸子さちこが死んで二年になる。

 あの時、俺は不幸にも出張が重なって、二週間、家を空けていた。

 帰ってきて再会したのは既にお骨になった幸子。

 俺は幸子の死に目に会えなかった。


 

 もっとも、家族の誰も幸子の最期を見ることは叶わなかった。

 幸子は新型ゾンビウイルスに罹患し、近所の子供を襲っているところを警官に撃たれて射殺されたらしい。

 新型ゾンビウイルスは感染力が高いため、幸子の死体は厳重に隔離された後に即焼却され、遺族の俺たちには骨壺だけが届けられた。

 なぜ、幸子が新型ゾンビウイルスに感染したのか?

 徐々に進行していく症状を前に独り、幸子の恐怖はいかほどのものだったのか?

 もう俺には知る術が無い。



 幸子が死んでから、俺の生活はすさんでいった。

 埃の積もった棚。

 ベタベタする床。

 ゴミが片付かないテーブルに、溜め込まれたゴミの袋……来週には捨てに出よう。

 新型ゾンビウイルスが流行してから、俺の仕事は完全にリモートワークになっていた。

 あれだけ出張で全国を飛び回っていたのが嘘のようだ。

 テレビでは連日、ゾンビ感染者数のニュースをやっていた。現在のゾンビ数は過去最高。昨日ついに一千万人を突破したらしい。

 テレビに映るアナウンサーは額に三角形の白い布の三角頭巾を付けている。WHOが推奨するゾンビ避けの対策だ。ゾンビは死んだ人間には興味が無いので、死人のふりをするのが有効であるという。ゾンビ関連のニュースで俺は、それの正式名称を天冠と言うのだと初めて知った。


 

 今日も午前中のタスクを終えて、俺はアプリでウーバーイーツを頼む。

 ウーバーイーツのアプリの画面には何十回と注文した同じ店、同じ料理が並び、飽き飽きして見るのも嫌になる。

 しかし、外に出る気もない俺には他に選択肢はないのであった。


「お、また配達はタケシか。」


 俺がウーバーイーツのアプリで近所の弁当屋で唐揚げ弁当を注文すると、数分も経たないうちに配達に向かっているという通知が届いた。

 タケシはよく俺の家に配達してくれるウーバーイーツの配達員だ。他には純一、ユウスケ、竹内、ロドリゲスがお馴染みのメンバーだ。

 俺はウーバーイーツの配達員と会話を交わすことはしない。ただ、玄関先で食べ物を受け取り、軽く会釈をするだけだ。ありがとう、くらいは言うかもしれない。その代わりに、チップは必ず払っていた。

 

 ——自宅待機の方のお役に立ちたい。みなさんに笑顔を届けるため頑張ります!

 

 タケシのその自己紹介文を見る度に俺は申し訳ない気持ちになる。

 俺はただ、徒歩五分、百メートル先の弁当屋に行くのも面倒臭くてウーバーイーツを頼んでいるクズだ。

 タケシはすぐに玄関のチャイムを鳴らした。

 俺はいつものように玄関のドアを半分開けて弁当を受け取る。

 ご利用ありがとうございます、と言うタケシの笑顔が眩しい。

 もちろんタケシの額にも三角形の天冠が付けられている。

 俺は静寂とゴミに包まれながら唐揚げ弁当を口に運んだ。



 二年。

 今も部屋の中に、幸子の荷物はそのままだ。

 タンスの衣類、鏡の前の化粧品、玄関の靴、風呂場のシャンプー。

 洗面台の歯ブラシはさすがに捨てた。

 片付けないのは幸子の死を受け入れられないからではない。それはとっくに心の整理が付いている。

 ただ、死人の持ち物に触れるということに、俺は忌避感を持ってしまっているのだ。

 この部屋はもうこのままにして、どこかに引っ越そうか。

 幸いにも仕事はリモートワーク。住む場所はどこでもいい。

 そう何度か思っても、踏ん切りはつかない。

 引っ越しなんて面倒なこと、今の俺にはできるわけがなかった。



 プルルル。

 通話アプリの呼び出し音が鳴った。

 なんだ? 昼の休憩時間に呼び出ししようなんて失礼なやつだ。

 しかし通話の相手は上司だったので出ないわけにもいかない。

 俺は慌てて頭に天冠をつけて通話に出た。


「はい、今休憩中で……。」

「わかってる。緊急の連絡だ。」

「緊急?」

「そうだ。実は今日、午前からずっとこのことで会議をしていてな……。」

「はぁ。」

「先ほど結論が出た。……用件だけ手短に言うぞ。全員に連絡しなければならないからな。」


 俺は、全員への伝達事項ならグループ会議でもいいだろと思ったが、上司のその固い表情から軽口を叩くような雰囲気ではないと感じて、言うのはやめておいた。


「……社長がゾンビになった。会社は閉鎖だ。」

「閉鎖って。」

「仕事は無くなった。俺たち全員、明日から無職だ。」

「は!?」

「そういうことだから。伝えたからな!」

「ちょ、待ってくださ——」


 通話は一方的に切られた。

 ゾンビ!?

 閉鎖?

 無職だって!?

 なんだってんだ、それ! ちくしょう!


 

 俺はパソコンの画面と唐揚げ弁当の空箱の前で、しばらくの間ボーッとしていた。

 一時間は軽く経ったと思ったが、時計を見ると五分くらいだった。

 この仕事、全部無駄かよ……。

 俺はパソコンの電源を落とした。

 今は見たくもない。


「はぁ……。」


 ため息をついて、椅子の背もたれに寄りかかる。

 無職かよ……。

 早く次の仕事を見つけなければ、この生活を維持できない。

 幸子と二人で住んでいた部屋の家賃は、独りの俺には少なからず負担だった。

 頭ではわかっているが、動き出せない。

 俺は部屋の隅の金属バットに目をやった。

 ゾンビ対策のために通販で買ったものだ。


「行くか。」


 俺は金属バットを手にして、外に出た。

 外の空気は何日ぶりか。

 先月、ゾンビ狩りをしたのが最後だろう。

 ゾンビと人間の見分け方は簡単だ。

 頭に三角形の天冠を付けているのが人間で、それ以外はゾンビ。

 俺は人通りの多い近所の商店街までやってきた。

 いる、いる。

 半分はゾンビだ。

 俺は近くにいた女性型のゾンビに金属バットを振り下ろす。

 飛び散る血液。

 こだまする悲鳴。

 そうだ、逃げろ、ゾンビに襲われたくなければな!

 


 一体、二体、三体!

 俺はつぎつぎにゾンビを殴り倒した。

 男も、女も、子供も、老人も。

 ゾンビはすぐに感染する。

 この国の人間はゾンビに慣れすぎて、隣にゾンビがいても普通に生活している。

 おかしいよな?

 ゾンビは人を襲うのに。

 俺が老婆のゾンビをロックオンした時、突然に俺を背後から羽交い締めにする奴がいた。


「ゾンビに乱暴するな、やめろ!」

「おい! 離せ!」


 なんだこの男は!? ゾンビ保護団体か?

 男は頭に三角形の天冠を付けているので人間であることは間違いない。

 ふざけたこと言っていると、そんなこと関係無くお前も……。


「痛てぇ!」


 俺の腕に激痛が走る。

 後ろの男に気取られていて気付かなかった。

 老婆のゾンビが俺の腕に噛みついていた……。

 やばい。新型ゾンビウイルスは噛まれた場合、百パーセント感染する。


「くそっ、やられた!」


 俺は背後の男を振り払って老婆のゾンビを殴り飛ばしたが、何もかも遅かった。

 俺も感染した。

 俺もゾンビになる……。


「もう終わりだ……。」


 ゾンビ狩りなんてしなければよかった。

 いや……、引き際だったのかもしれない。

 幸子もいない。仕事もなくなった。

 このまま生きていても仕方がなかった。

 それならゾンビとして死ぬのも悪くない。

 俺は、幸子をゾンビに奪われて怒りを感じていたのかもしれない。

 ゾンビを憎んでいたんだ。

 この行き場のない苛立ちをゾンビにぶつけていた。

 だからゾンビ狩りを……。

 俺の意識は次第にぼんやりとしてきた。

 気付くと俺は、俺を押さえていた男の首筋に噛みついていた。

 遠くから警官が二人、走り寄ってくるのが見える。

 俺をゾンビを見るような目で見るな。

 俺はゾンビじゃない。

 俺は……。

 道路の向こう、ウーバーイーツのリュックを背負ったタケシが俺を見ているのがわかった。

 恐怖の色を浮かべたタケシの目に映る俺は、紛れもなくゾンビだったに違いない。

 ごめんな、タケシ。

 お前はこれからも幸せを配達してくれ……。

 幸子……。

 俺もそっちに行くからな……。

 俺はうなり声をあげながら、警官に向かって走っていった。

 銃声が二発、聞こえた気がした。

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