黒塚桜

洋傘れお

黒塚桜

 それは昔、ある旅の僧侶がいた。

 この頃、国は征服のための戦に明け暮れ、連日の日照りも祟って飢餓と貧困で多くの人々が苦しんでいた。そういう事で、せめてもの慰めになればと願いながら、この僧は旅の行く先々で世の安寧を祈りながら、経をよんでいたのだ。

 ある時、僧は立ち寄った村でそれはたいそうなもてなしを受けた。

 その一帯の他の村々と比較しても、そう違いもないありふれた貧しい村であったが、食うものにはどうやら困っていない様で、ふらりと現れた旅の僧に対しても惜しむことなくごちそうしてくれた。

 こういった場合、何かしら相手に思惑がある事を僧は知っている。もちろん、旅の者に対しても親切心からよく接してくれる人々もいるにはいるが、基本的には下心というものがある。御仏の力にすがるしかない様な状況でふらりと現れた僧に、何か運命的なものを感じて力を借りようというのだ。

 僧は、そうした期待を少し重圧に感じる質であった。未だ修行の身である彼にできる事など、実のところあまり多くはない。

 法力で悪鬼羅刹を退ける様な力など当然なく、できるのはせめて悩める人々の心が少しでも軽くなればと、経をよむことくらいだった。

「何か、私に望むことはありますか?」

 食事の礼を告げて、僧の方から切り出した。相手方が何かを打ち明けようとしているのか、そわそわと落ち着きが無かったからである。

「はい。実は―――」

 村の代表者らしき男は、僧に願いを語った。

 曰く、この村の背後にある山の中には、人を食う鬼女が住んでいるのだという。鬼女は村の猟師から旅の者まで人という人を捕えては食らうため、いつか村にまで下りてくるのではないかと村の者たちは恐れていた。

 僧はその話を聞いて、背筋が凍る思いだった。自分も明日、その山を越えて反対側にあるという村へ向かおうとしていたからだ。何も知らずに通っていたら、どうなっていたかも分からない。

 自分の手にはあまる。そう言いたかったが、村の者たちがあまりにも身を低くして懇願するので、僧は何も言えなくなってしまった。

「……分かりました。何ができるかは分かりませんが、調べてみましょう」

 僧が正直にそう言うと、村の者たちはたいそう喜んだ。

 翌日、僧は村を出て山を登った。

 村と村を繋ぐものか、猟師が使う道なのか、適度に踏み固められた道らしい道があり、僧はあまり苦も無く進むことができた。しかしそれでも長い道のりには違いない。僧が折り返しの地点についた頃には、すでに日は沈みつつあった。

 下る道はすでに闇に呑まれつつあり、このまま進めば道を外れて森をさまよう事になりそうである。

 僧はそれ以上進むのを諦め、野宿する事に決めた。ちょうど近くに川が流れているのを見つけ、そこで一夜を過ごすことにする。

 まだ視界が利くうちにと、僧は川原へ降りた。そうして火を起こすための枯れ枝を探そうという段になって、初めて僧は川原に人の姿があった事に気づいた。

 それは、身なりからして女の様だった。僧が滑り降りてきた物音に反応して、女は振り向いた。

 女の顔は影になっていて僧には見えない。

 ぞくりと、僧の背筋が震えた。

「こ、こんな時間に人に会うとは思いませんでした」

 女が言った。齢若い女の声だった。

 向こうもどうやら戸惑っている様で、僧はほっと胸をなでおろす。

「驚かしてしまった様で、申し訳ない。拙僧は■■へと向かう途中なのです。もしやあなたは―――」

 その村から来たのかと聞く前に、女はかぶりを振った。

「いいえ。訳あって、私はこの山で暮らしているのです。ここで野宿をするおつもりなら、止めた方がよいでしょう。もうすぐ雨が降ります」

 僧は天を見上げた。確かに、雲が集まりつつあるようだ。

「よろしければ、私の住処に」

 女がそう提案した。よく見れば、女は枝の束を抱えていた。僧と同じ様に、枯れ枝を集めていたらしい。

「よろしいのですか?」

「ええ。坊様であれば」

 女は、僧の出で立ちから素性を察したようだった。

 雨に濡れたくは無かったので、僧は女の提案をありがたく受ける事にした。

 女に案内されて、道なき道を登っていく。ここに住んでいると言うだけあって、女は山登りにずいぶんと慣れている様だった。

 やがて僧は、洞窟の前に案内された。どうやら女は、ここを住処としているようだ。

 二人が洞窟に入った途端、見計らったかのように雨が降り始めた。ぽつぽつと地面を撥ねる水音が、ものの数秒もしないうちにザーザーと強い勢いに変わっていく。夕立の様である。

 洞窟の奥では、火が焚かれていた。

「良かった。あと少し遅かったら、濡れていましたね」

 女はそう言って、火の傍に枝の束を下ろした。

 そこで初めて、僧は女の顔を見た。

 やや白すぎるきらいはあったが、美しい女であった。とても鬼女という印象とはかけ離れている。

 それでようやく、僧は本当に安心できた。実のところ、この女がそうなのではないかと疑ってもいた。だから彼は洞窟の奥にまで入らず、入り口で立ち尽くしていたのだ。

 そんな僧を不思議がって、女はどうぞ奥へと招いた。

 僧は女の言葉に従い、火の前に座る。

「あなたは、どうしてこのような場所に?」

 僧が女に訊ねた。女はまだ若い。山奥の洞窟で、山賊の様な生活を送る彼女が不思議だった。とはいえ病で村から追い出されたなどという話はそう珍しくも無く、僧はなんとなく話題を振っただけに過ぎない。

「それは……」

 困った女の様子を見て、僧はやめた。

「いや、すまない。ただの好奇心で訊ねただけなのです。無理にとは言いません」

 女は慌てたようにこくこくと頷いて、何かを火にかけた。

「残り物ですが、よかったら」

 そう言って女が差し出したのは、枝に何かを刺した串であった。串から発せられる獣臭をかいで、僧は顔をしかめた。

「いえ、折角ですが、拙僧は修行の身なので」

「ああ、そうですね。ごめんなさい」

 女は謝って、手をひっこめる。

 僧は再び女に対しての疑念を抱いた。何と例え様のないその獣臭が、なんだか不吉なものに感じられてならないのだ。

 もしやこの女、自分に人の肉を食わせようとしたのではないか? そんな想像が脳裏をよぎる。

 女の美しさに騙されていたが、山奥に隠れ住んで人を食らう鬼女という条件に、この女はやはり当てはまり過ぎていた。鬼女が住む山に、たまたま別の娘が一人で暮らしているなどという偶然があるだろうか。

 そう考えると、僧はまた恐ろしくなった。

 だが、急に立ち上がって逃げ出したのでは捕まる可能性もある。僧は女の隙をうかがい、じっと耐える事にした。

 女はなにやら急に気まずそうにして、狼狽えるような素振りを見せた。

「あの、私ちょっと失礼します」

 そう言って、唐突に女が立ち上がる。女はそのまま、滝の様に雨が降る外へと構わず出ていった。

 用でも足しに行ったのだろうと考え、好機とばかりに僧は立ち上がった。しかしすぐに出ていくのでは女と鉢合わせする可能性もある。

 慎重になるあまり、僧はすぐに動けない。

 ふと、僧は背後が気になった。この洞窟は深く、自分たちが居る場所よりもさらに奥がある。

 そこで身を潜めていれば、女は自分が出て行ったと考えて外に追いかけていくのではないか。そうなれば、より安全に脱出する事ができる。

 僧はあえて洞窟の奥へと入って行くことに決めた。

 奥に行くほど通路は狭くなり、人一人がようやく通れるような道を抜けると、急にまた洞窟は開けた。小部屋の様になっているその空間を視界に入れた途端、僧は息をのんだ。

 そこには無数の人骨が積み上げられていた。いくつもの髑髏が僧の方を向き、洞の瞳で何かを訴える様にじっと見つめている。

「うっ……」

 悲鳴を上げそうになるのを必死でこらえ、僧は慌てて引き返した。

 隠れてなどと悠長なことは言っていられない。今すぐにこの場から逃げ出さなくてはとそう思った。

 洞窟を抜け、雨の下に出る。辺りは一面真っ暗で、どこからが地面でどこからが斜面かも分からない。

「坊様?」

 ふと、僧の背後で声がした。

 洞窟からわずかに漏れる光が、女の存在を微かに浮き上がらせている。

「ひっ―――」

 捕まる。そう思い、僧はなりふり構わず飛び出した。幹や枝にぶつかりながら、僧は斜面を転がるように駆け下りる。

「待ってください、坊様!」

 女はそう叫んで、背後から追ってくるようだった。

「なぜ追いかけてくるのだ!」

 あの女はやはり自分を食おうとしているのだ。そう確信し、更に歩みを強めようとした僧の背後で、唐突に悲鳴が上がった。

「きゃあっ!」

 同時にずるずると、何か地面を転がる音がする。

 それで、僧は一気に冷静になった。なんだか自分があの娘にけがをさせてしまったようで、申し訳なくなったのだ。

 恐怖は未だにあったが、それでも引き返すことを決めた。人食いの鬼女が、あんな悲鳴を上げるとはとても思えなかった。

 暗闇の中、気配と息遣いを頼りに女の下へ行く。

「大丈夫か?」

 僧が訊ねると、暗闇の中で女が動いた。直後に、女の手が僧の腕をつかむ。

「うっ……」

 僧は、恐怖で振り払いそうになるのを必死で耐える。

「坊様、お願いします。逃げないでください」

 泣き声でそんな風に言われてしまっては、逃げる気も失せてしまう。恐怖がなりを潜め、急に僧はこの女が気の毒になった。

 彼女がぬかるんだ坂を転がり落ちる羽目になったのは、僧の責任でもある。

「分かった。すまなかった。もう逃げない」

 そう告げて、僧は女に肩を貸しながら洞窟へと引き返した。

 女を火の前に座らせて、落ち着くのを待つ。

「坊様は、奥の部屋を見たのですね」

 泣き止んだ女が、控えめに訊いた。

「そうだ。あれはいったい何なのだ?」

 僧の問いにひどく悲痛な顔をして、女は答えた。

「あれは……村の人たちです」

「■■か? 〇〇のか?」

 僧の問いに、〇〇村だと女は答えた。僧が昨晩泊まった村だった。

「もう、一年も前のことです。この辺りは長いこと雨が降らず、作物もろくに取れない状態が続いていました。村のみんなが食う物に困って、それで……」

 女が言い淀む。その続きを察して、僧は戦慄した。

「まさかっ、人を食ったのか?」

 こくりと女は頷いた。

「最初は、食い扶持を減らすために老人が。次に、三男と次男が。……私は、私はあの人たちを殺したんです!」

 女はがくがくと震えだし、頭を抱えた。その尋常でない怯え様に、僧は思わず駆け寄った。

「大丈夫か?」

 女はうつむいたままかぶりを振る。

「仕方なかったんです! 私は親もいないし、村の厄介者だったから。食われたくなかったら、代わりに殺せって。解体もさせられて……獣みたいに。あんなの、人のする事じゃない!」

 懺悔の様に訴えた。

 震える女を引き寄せ、僧はその背中をさすった。

「大丈夫だ。大丈夫」

「大丈夫じゃない! 大丈夫なわけがないんだ!」

 女はすっと立ち上がり、僧を突き飛ばす。自分のやってしまった事に気づいて、女はさっと青ざめた。

「も、申し訳ございません!」

「いや、拙僧は平気だ」

 僧は立ち上がり、洞窟の奥へ目をやった。

「では、ここは殺した者たちを隠しておくための場所なのだな」

「いえ、実は坊様を呼んだのはその事と関係が」

「というと?」

「最初は、村のはずれに丁寧に弔ったんです。でも、どういうわけか埋めても埋めても次の日には地面がめくれて、骨が出てきてしまう。村の連中はそれが私の不手際だって決めつけて、それで仕方なくここに隠して……」

 女の言い分が正しければ、僧には一つ腑に落ちない事があった。

「村の者たちが、この山に住む鬼女の事を何とかしてくれと拙僧に頼んできた。それは、いったい何なのだ?」

 女はハッとして、僧に縋りついた。

「そ、それはダメ! あいつらは、私が逃げたと思ってる。私が他の村にこの事を言いふらすんじゃないかって、恐れてるんだ。ここにいるって知られたら、殺される!」

 女は再び怯えている様だった。

「あの人たちが成仏できるように、どうか坊様、経をよんであげてもらえないでしょうか。そうすれば、私もここから離れられる。どうか。どうか、お願いします!」

 僧には断る理由もない。必死に訴える女の様子から、彼女の言葉が偽りの無いものだという確信がある。

「わかりました。それが、あなたと彼らの為になるのでしたら」

「ああっ! ありがとうございます!」

 深く深く感謝され、僧は女と共に洞窟の奥へと向かった。その時だ。洞窟に複数の足音が鳴り響いたのは。二人が入り口の方へ振り向くと、村の男たちが勢揃いしていた。

「これはいけない!」

 男たちの目に殺意が宿っている事に気づいて、僧は女の手を取って駆けだした。とはいえ、二人にできるのは奥へ逃げる事だけ。

 人骨の山を回り込み、壁際に僧と女は追い詰められる。壁や天井を探れど、それ以上逃げ場所など無いようだった。

 僧は女を背後に庇い、男たちと対峙した。

「なぜ、この様な事をする?」

「知られちゃならねえんだ。坊様、アンタだって最初から生かして帰す気は無かった」

 僧は歯噛みする。最初から自分は、この女の隠れ家を見つけるための囮だったのだと気づいたのだ。その思惑に乗って、まんまとこの場所へ彼らを誘導してしまったのである。

 男の一人が部屋に足を踏み入れた。瞬間、ふっと火が消えた。僧が持っていた火も、男が持っていた火も消えて、全てが闇に包まれる。

 周囲の温度が急に冷えていくのを僧は感じ取った。

 闇の中で、突然からからと骨が震えだす。

「なっ、何だ!」

 男の狼狽える声がして、直後に悲鳴が上がった。反響するその絶叫に、僧と女は耳を塞ぐ。

 二人は、闇の中で何か得体のしれない巨大な圧が蠢いているのを感じた。それは音も無く風の様に動き、続いて男たちの苦しみもがく声が立て続けに起こる。

 恐怖に身のすくむような思いをしながら、僧は女を必死に庇った。

 辺りが静かになった途端、消えていたはずの火がなぜか再び灯る。

 照らし出された光景に、僧は息をのんだ。

 追手の男たちが全員死んでいた。誰もが目を見開いて、恐怖に表情を歪ませている。

「見るなっ!」

 僧は女を庇いながら、外へと出た。

 視界も利かぬ豪雨の中で、唐突に怒りのような雷鳴が轟いた。

 雷光が、空を泳ぐ奇怪な黒い塊を一瞬照らし出す。その塊は、○○村の方へと向かっていく様だった。

 自分たちを殺した者たちへ復讐するつもりなのだろうと、僧はそれを見送りながらただひたすらに経を唱えた。

 翌朝、僧は女を連れて村へと降りた。村には人の気配がすっかり無くなっていた。まるで最初から、誰もいなかったかのように。

「あの怨念たちが連れ去ったのだろうか」

 僧の呟きに頷いて、女は言う。

「坊様。村の人全員を弔ってあげたいのです。力を貸してはいただけないでしょうか」

 僧は良い事だと言って、女の提案を了承した。

 周辺の村にも協力してもらい、僧と女は村の跡地にお堂を建てた。村の者たち全員を供養するための場所である。

 もう二度とあの死者たちが、怨念で殺さぬ様にと女は生涯祈り続けた。

 僧と女が埋葬した骨塚の上には桜の木が育ち、毎年美しい花を咲かせたという。

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黒塚桜 洋傘れお @koumori00

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