02 名前 : 茉莉花


土師 映伴 はぜ あきとも


 撮影の合間、休憩中のこと。名刺の名を検索した私は、驚愕で菓子屑を少々零して焦る。ズボンが黒なのに白くなってしまう。まぁ仕事上膝立ちばかりで、膝部分が白くすり減っているから変わらないか。菓子屑を密かに床に払うと、同僚に声を掛けられ緊張が走る。


「名刺ですか? ……綺麗な絵」


 同じ『photoStudioフォトスタジオ trésorトレゾール』に所属する、ヘアメイク担当 : 野田 美花のだ みはなは、私のデスク上にある名刺を勝手に取り観察する。ゆるふわの長髪は灰みの赤紫オールドライラック。小顔で可愛いのに、図々しいのは直すべきだから。許してしまう私も私だけど。


「そこそこ有名な油絵画家みたい。インタビュー記事あった」


「凄いじゃないですか! 一体何処で会ったんです? 職場ここでじゃないですよね」

 

「先週、紫陽花園に撮影しに行ったら偶然会った」


「この間行くって言ってた紫陽花園ですか。ふぅん……」


 目を細める彼女の憶測は当たらない。私はのほほんとしている映伴あいつがタイプじゃないのだ。機械音痴の所は特に。


「デジカメの操作にすら戸惑ってたから。美花と同じく機械音痴だった」


 腕を組み、私は嘘を織り交ぜる。映伴のことを説明するのも、要らぬ憶測をされてしまうのも面倒だ。


「ドキッ。写真紹介プレゼンの事ですよね。……早くキーボードのショートカットキー覚えないと」


「早く戦力になって」


 本気で吐いた溜息が、張り詰める。通知が一件、BADタイミングで表示されていた。


「遠慮しないで、返してください」


 ニヤニヤする美花に、私は彼を恨んだ。


 

『この間送ってもらった紫陽花の写真、めちゃくちゃ助かりました! お陰で良い色で描けたので、良ければアトリエにいらっしゃいませんか? 』


 

 ――悩ましい通知に返信してから、数日後。

 

 私は白木扉の前で、開けるのを躊躇していた。インターホンもノックベルも無い。来る者拒まず、と言う訳だ。それ故に、来訪者を選んでいる気がする。乳白色ミルキーホワイトのアトリエは、洋館風だった。手入れされた植物達が繁茂する庭は、心地よい涼しさと木漏れ日を与えてくれる。

 

 『Atelierアトリエ Cielシエル


 『空』を意味する名に、名刺の裏の油絵を思い出す。幻想的な世界観は、映伴の画風タッチなのだろう。映伴自身に若干の苦手意識すらあるのに、訪れる事にしたのは、映伴の油絵を直接見たいと思ってしまったから。


「ようこそ! 待ってました、絵茉さん」


 私が開ける前に、白木扉が開く。軽やかなドアチャイムを連れて、満面の笑みで現れたのは映伴だ。躊躇していたのは、先程窓越しに目が合ったせいでバレていた。


「お久しぶりです」


 人見知りを発動させた私は、案内する映伴に大人しく着いて行き、古い無垢材の床から顔を上げた。

 斜めの天窓トップライトから穏やかな光が満ちている空間だった。庭の植物達を額縁に入れたような北向きの大きな採光窓は開かれ、光と風は一筋に通る。ざっと置かれた画材や書籍の山さえも、鼓動を打ち鳴らす。広々とした乳白色ミルキーホワイトのアトリエには、私が待ち望んでいた油絵達が居た。


「こちらです」


 私は目が輝いていたのだろう。案内の手をある油絵に向けた映伴は、遊園地に訪れた子供に慈愛を与えるように目を細めた。風が頬をゆるく撫で、私は一つの油絵の前で立ち止まる。これが、映伴が私に見せたかった油絵か。


 

『 夕暮れの森。流れる薄群青色の大河は、近づくに連れて紫陽花の輪郭を手に入れる。紫陽花は燃える斜陽を受け、変色効果カラーチェンジ紫水晶アメジストと化してゆく。透き通る薄群青色を覗き込むと、深い青緑ナイトブルー。川底の水草が小さく揺らぐように、宝石の奥に光は移ろうのだ 』



 私が撮った孤独な紫陽花の写真は、映伴の手により世界と繋がる油絵となった。見つめる世界の広さを思い知らされた気がした。美しさは胸を締め付けるのに、自尊心を綯い交ぜにする。


「絵茉さんは、ご自身の名前の由来を知っていますか? 」


 追い詰めるように、映伴は静かに問う。私は答えられない。祖母が付けた名前の由来を知る前に、彼女は亡くなったから。


「推測ですが……名付けた方は絵が好きだったのではないかと思います。そして、茉莉花ジャスミンも。違いますか? 」


「由来なんて分かりません。ただ、祖母は絵を描くのが好きでした。私も描く事が好き


「何故、止めてしまったんです? 絵茉さんは色彩感覚が鋭い。私は貴方の写真を見た時に素晴らしいと思いました。だけど、絵を諦める必要なんて無かったんじゃないですか 」


 挫折を不快になぞられ映伴を睨めば、丸眼鏡の奥……焔を宿した瞳は茶色の中の緑ヘーゼルである事に気づく。この男は初めから私の挫折を見抜いていた。


「才能のある貴方には分からない。何度描いても、輪郭シルエットが描けない私の気持ちなんて! 」


「描けなければ、何度も素描スケッチすればいい。私が努力せずに画家になったとでも! 」


 穏やかさをかなぐり捨てた映伴は、己の道への迷いが無くて、清々しい。怒りは最もだ。全ては諦めてしまった私の責任で、映伴の見えない努力を『才能』という言葉で詰っていい理由にはならない。

 

「私の努力が足りないって笑えばいい。上手く描けなくたって、私は光を数字で捉えられる。色は数値化出来るし、機械カメラで美しさは切り取れる! 」


「機械では、貴方の精細な色彩感覚を表現するのに限界が来る。絵なら限界を穿つことが出来る! 」


 私は鼻で笑う。この男は私の色彩感覚に惹かれているのか。だから『紫陽花』の写真を送るように強請った。

 

「これだから機械音痴は。私が『写真』を選んだのは、何も『絵』への劣等感だけじゃない。ファインダーから見る世界が好きだから。私の限界を舐めないで! 貴方には届かない」


 穏やかな光が満ちる空間アトリエは、対立を阻む事が出来ない。お互いのプライドは光を研ぎ、一筋の流星痕となるようだった。

 

「ならば、一つ勝負をしませんか? 絵茉が負けたら『写真』では無く、もう一度『絵』を選んでもらいます」


 コイツ……絵茉でしょうが。敬称をドブに捨てるんじゃない! そっちがその気なら、私は敬語ごと焼却してやる!

 

映伴あんたが負けたら、機械音痴を叩きのめしてあげる。内容は何? 」


「勿論、勝負内容は互いに『絵』と『写真』で美しさを表現すること。題材は……『茉莉花ジャスミン』なんてどうですか? 」

 

 片眉が引き攣るのを自覚するが、題材ターゲットなんて選ばない。私もプロだから。


「それでいい、審判は私の同僚で。嘘がつけない子だから、私を贔屓するようなことは無い」


 映伴は口角に冷たく弧を描く。ヘラヘラとした微笑は無い。何時もそうしていればいいのだ。


「いいでしょう。期限は一週間後。油絵は乾くのに時間が掛かるので、時間だけは頂きたい」

 

「ノロマ。映伴あんたと同じ」

 

「辛辣過ぎますよ、絵茉!? 全く……怖いんだから。茉莉花ジャスミンの花言葉とは真逆ですね」


 首を傾げた私は、茉莉花ジャスミンの花言葉を検索する。『愛想が良い』、『愛らしさ』。それから……『官能的』!?


 私は、得意気な映伴の足を思いっきり踏んでおいた。



 


 

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る