神様の気まぐれ : Art

鳥兎子

01 紫陽花 : 無常


 薄群青色の紫陽花は、紫水晶アメジストの色を秘めていた。指先は正絹シルクのように滑らかで瑞々しい感触を追憶する。しかし、花弁のように見えるのは萼片がくへんだ。手毬咲きの紫陽花は、本当の花である両性花を奪われている。私達が装飾花と呼ぶ、残された『美しさ』だけを黒い瞬きシャッターで切り取った。

 

 夕方に成りかけ、纏わりつく梅雨の息苦しさから解放された紫陽花園は鑑賞者が減っていく。白昼の光が金を帯びた夕方の光となり、マジックアワーが近づいてくる今が一番見頃だと思う。木漏れ日からの玉ボケを背景に紫陽花が撮れるのに、何故帰るのか。

 

『 2017/07/11 18:25:35 』

 

 一眼レフの液晶で設定と同時に時刻を確認した後、紫陽花の向こうに題材ターゲットが同じである一人の男を一瞥する。

 

 焦茶色のオーバサイズTシャツが少々寄れている。あれでは意図して洒落ているのか、だらしないのか不明。その印象が男の雰囲気を呈しているようだった。ゆるめにかけたパーマなのか、生来の髪質なのか謎である黒鳶色の髪をむしゃくしゃに掻き混ぜた男は、ズレた丸眼鏡でデジタルカメラと向かい合っていた。


 先程から何を悩んでいるのか。何度も紫陽花を撮っているようだが、液晶を確認する度に納得が行かない様子だ。

 天パ男(決めつけ)の他には、私しか残されていない。親切な人ならば、明らかに困っている様子の男に『どうしましたか?』と一言聞くのが定石なのかもしれないが、生憎私はそこまで優しくない。


『 IMG_1911 』


 満足いく玉ボケ入りの紫陽花が撮れたのを確認したので、場所を変えよう。休日プライベートまで機械音痴の世話をするつもりは無い。


「あのぉ……」


 少々、判断が遅すぎた。私が踵を翻す前に、天パ男に声を掛けられてしまった。無視する程、落ちぶれられないのが私の困った性格ところである。


?」


 仕方無く仕事用の顔ビジネス スマイルで対応すると、男は嬉しそうに微笑を返す。そそくさと私に近づき、分かるでしょ? とばかりにデジカメを見せる。


「実は、全然上手く紫陽花が撮れなくて……どうすれば良いですかね? 」

 

 溜息をつき、天パ男のデジカメを拝見した所で残念! Goodタイミングで電池が切れる!


「ええ、何で画面真っ黒に!? ああっお辞儀は良いから、待ってください! 」


「もう撮れませんよね? 」


 苛立ちを隠す気の無い私に怖気付く所か、天パ男は私の一眼レフを恭しく示す。


「今、私には紫陽花の写真が必要なんです。見せて貰うだけでも出来ませんか? 」


 この、しつこい丸眼鏡。食い下がる気は無いようだ。紫陽花の写真が必要な理由は分からない。だがこのままでは、丸眼鏡越しに男の可愛くない上目遣いを一生見せられてしまう! あんまりな対価だが、仕方ない。私は時間>紫陽花の写真『IMG_1911』を選んでしまった。


 

『 一眼レフの液晶に咲く、薄群青色の紫陽花は紫水晶アメジストの色を秘めていた。木漏れ日を化した淡い黄色ライムライトの光の玉を背後に従える。紫水晶アメジストだけの紫陽花達とは遠く群生なかま外れだからこそ、美しい一輪だ 』


 

「凄く綺麗に撮れてますね! これなら、絵を描けそうだ」


 天パ男の歓声に、胸の底に巣食う過去に爪を立てられる。この男は絵を嗜んでいるらしい。私は絵を描く事なんて、とうに諦めてしまった。良くも悪くも、諦めは屈折した心を跳ね上げて、私は今一眼レフを持っている。世界を美しく切り取る手段は絵だけじゃない。

 

「描く題材の為に、紫陽花を撮っていたのですか? 」


「そうなんです。実は私、油絵画家でして。あ……これ名刺です。裏に作品が載ってます」

 

 絵を嗜む所では無い。本業ではないかと目を白黒させる私は名刺を受け取る。『 土師 映伴 はぜ あきとも』と名が載る表を裏返せば、55mm×91mmの世界に私は捕まってしまった。

 


『 少年が見上げる海沿い。丁寧な削りを繰り返す穏やかな波は硬質で、銀色の星芒スター効果を散りばめる。灰みの青緑アイスグリーンを帯びる、明るい灰みの青ホリゾンブルーの空は、入道雲を淡く溶かす 』

 

 

「珍しい苗字だって言われますが、土師はぜという苗字の祖先はハニワを作っていたらしいんです。時が過ぎ、子孫の私は制作物をハニワから油絵に変えたって訳です」


 ちっとも興味の無い映伴のルーツは耳をすり抜けていく。私は嫉妬を通り越して、小さな油絵に見とれていた。もっと引き込まれたい。眼前で油絵の香りを感じたい、と思う程に。

  

「綺麗」


「ありがとうございます」

 

 映伴の照れた間抜け面に、我に返った私は表情を引き締める。仕方ない、名刺を渡されたら渡し返すのがマナーと言う物だ。自らの名刺には、眉上バングの赤茶色バーガンディの髪を肩上で結い、仕事用の顔ビジネス スマイルで一眼レフを持つ女の写真が載っている。我ながら上手く演じていると思う。

 

片木 絵茉かたぎ えまさん。……商業カメラマンですか。格好良いです! 」


「……どうも」

 

 渡した名刺とは対照的な冷ややかさを返したのに、映伴は気にする素振りも無く、満面の笑みで華やぐ。能天気な男だな。

 

「『絵』と『映す』なんて……私達、名前と職業がまるで逆ですね! いやぁ、運命的だなぁ。お互いに持っていない物があるなんて、良いですね」


 嬉しくも何ともない。自分の名刺を渡すべきでは無かった、と後悔が地味に刺さる。 私は映伴の名刺の裏に捕まったのでは無く、下手なナンパに捕まったのかもしれない。

 

 ふと、同僚から紫陽花には『無常』と言う花言葉があると聞いた事を思い出した。この世の中の一切のものは常に生滅流転しょうめつるてんして、永遠不変のものはないとは言うが……新たな出会いにしては少々不穏である。



 

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