BWV853 読む猿

 猿が、動物園の片隅で、椅子に座って本を読んでいた。シェイクスピアがお気に入りだそうである。

 知的な様子ではあるが、動物の本然に沿って、全裸である。風呂上がりの考古学者のように見えなくもないが、先ほど見学者たちの前で排泄を済ませたばかりである。生誕まもない糞便の隣で、時代遅れの哲学書に読み耽っている。考古学者はそんなことはしないだろう。

 猿が読書に目覚めたきっかけは、友達が解剖されたからだという。意味がよくわからない。どれだけ訊いてもそうとしか答えない。友達が解剖されたから、だと。

 「このツァラトゥストラという男は、ずいぶん猿的な振る舞いをしますね。思い上がって、傲慢で、説教好き。実に猿です」

 時たま、そんな感想を口にする。そんな感想しか言わない。本に関する猿の意見は、猿的かどうか、という観点にしぼられる。なにをもって猿的と言っているのかはわからない。いまとは真逆の性質を猿的と語ったこともあった。このザムザという男は、謙虚で、沈鬱で、謹み深い。実に猿です、云々。

 係員が与えた餌を、むさぼるように、荒々しく食した後、同じく係員が与えた書物を、むさぼるように、静かに読む。お気に入りの椅子は、猿と同じくらいにくたびれている。猿の顔のように皺が刻まれているかのようだ。取り巻く空気そのものが老いている。

 動物園の片隅で、猿は古めかしい本を読み、夢を育み、猿的であるかどうかについて、得意げに演説する。あまり人気はない。見学者にもっぱら人気なのは、ラジオ体操をするパンダである。本を読む猿は、ちらりと一瞥をくれて、通りすぎるだけの対象だ。読書家というのは、見ていて楽しい生物ではない。思慮深さを気取った猿の顔も、愉快ではない。

 とはいえ、人気は猿の実存とは関係ない。だれから見られなくても、神すら視線を注がなくても、本を読むことをやめはしないだろう、と猿は豪語する。

「猿的事物を認識することが、猿の猿たる所以であり、解剖された友達への供養だからです」

 読む猿の孤独は、そのようにして完成された。

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