BWV850 空中ラダー
光、それは
地獄への道は善意で舗装されている、と賢人は口を酸っぱくして教え諭す。天への梯子はどうであるか。一説によれば、倫理の脊椎によって組み立てられている。上るも下りるもいのちがけである。あなたの選択はどちらだろうか。上っているのか、下っているのか。梯子の中途にぶら下がる死体。大半の人間はそんなところで終わる。
ところで、空中に浮かぶ梯子を、ひとりの少年が上っていた。目に見える梯子の全長は、ちょうど少年の背丈の三倍である。少年の上方に、少年ひとりぶんの長さ。少年の下方に、少年ひとりぶんの長さ。それに挟まれる真ん中に、梯子に手をかけ足を乗せた少年。きりがよい。
少年が梯子を一段上ると、上方の段が一段増えて、下方の段が一段減る。梯子の段が、現れては消え、現れては消えと、奇妙な明滅をしているわけだ。目に見えるかぎりでは、少年の背丈の三倍であっても、実質的には無限にのびているようでもある。
少年は、一心不乱に梯子を上っていたが、ずいぶん前から泣きそうである。なんせ終わりが見えない。引き返そうにも、地面も見えない。遥か下方にすら雲がある。いつのまにか、こんなところまで来てしまっていた。
梯子の中途から見る景色はどんな具合か? なるほど、よろしくはない。点在する雲を除けば、なにもない。他人もいないし鳥もいない。ただ、空間。こんなものを絶景と呼びたくはない。自分と梯子しかいないようだ。
いや、視界を邪魔立てするような雲を透かして見れば、なにやら遠くに、人影のようなものがある気もする。しかしその人影も、梯子を上っている最中なのだ。いや、下りている最中かもしれない。とにかくあちらの人影の上と下にも、あいもかわらず梯子の段がつづく。どこもかしこも垂直の孤独にしがみつくばかりだ。気にかけている余裕などない。そんなことよりも遥かに気がかりで切実で重要な問題がある。つまり、落下の誘惑である。
結局、それがいちばん賢いやり方なのではないか? いつたどりつくともしれない天を目指すよりも、この手を離して、足を踏み外して、無限につづいているような梯子から解放されるのだ。上ることに終わりはないかもしれないが、落下にはきっと終わりがある。そう考えてみれば、安堵したように勢いよく落ちていく人影を、もう何人も遠くから見てきたような気もする。季節の変り目の花びらのように、それは美しい落下だった。自分もその花びらの一員になって、なにが悪い?
だが、少年は上るばかりである。梯子を一段一段、つかみ、踏みしめ、上っていく。なにも変わらない。天への距離は永遠に等しい。それでも少年は上っていく。天使ならざる身で上っていく。雲に囲まれ、孤独に苛まれ、幾人もの同類が遠くで顔も見せずに落下していくその只中で、空中の梯子を少年は上る。泣きそうなまま。
馬鹿と煙は高いところへ上る、と賢人は呆れたように苦々しく呟く。天への梯子は、馬鹿でいっぱい。それでいいのだ。愚かにならずして、だれが天など目指せるだろうか。
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