BWV847 落下する天使

 天使が次々に墜ちていく。夕焼けに翼を燃やされているのだ。

 夜明けの空は、天使たちの楽園。翼の生えた嬰児たちが、生誕の歌を歌っている。大小さまざまのイズラフェルたちが、柑橘類のように爽やかな色合いの空を埋め尽くしている。ああ、とも、うう、ともつかぬ喃語が、無限に続くごとく幾重にも唱和され、怒濤のように空から押し寄せて、声楽の雨として地の底までをつらぬき響きわたる。鳥獣、魚、地を這うもの、生きとし生ける者すべてが歓び、悪魔の耳が腐れて爛れ落ちる。聖歌の朝は、日陰者には冷たい。地面に溶けた悪魔の耳は、硫黄に生まれ変わって音楽から逃れ去る。

 昼間の空は、永生の静けさ。黙ることを学んだ天使たちは、卵を抱えて守るように、沈黙を抱きしめて不死の夢をみる。無言の天使たちの遊覧飛行は、氷上を滑るペンギンのように、優雅で鈍重で高慢だ。酸素を舌先で味わうように、時おり唇を開閉させるが、音は発せず、言葉は遠ざけて、なにくわぬ顔で地上を見下ろして悦に浸る。神の居ぬ間に沈黙、と悪魔は嘲り、種をまく。昼間の静けさは絶好のいたずら日和なのだ。

 そうして夕暮れ、黙示の夕暮れ。天使たちは、初めて太陽のおぞましさに気がつく。生まれたときに、なぜ気がつかなかったのだろう。夜明けと夕暮れの色合いは似て非なるものだ。その差分に、堕落の一切が詰め込まれている。理解は個に訪れ、類に波及する。突如として、すべての天使たちの眼が潰れ、舌が爛れ、声なき声をあげながら、翼が血を流すように燃え上がる。光に含まれる影を意識したときに、天使は存在に耐えられなくなったのだ。かくして美しい夕焼け空は、神学のスペクトルに汚染されていく。盲目のまま墜ちていく天使たちは、悪魔の哄笑を聞きながら、懐かしい歌を思い出して死ぬ。旅客機に衝突した鳥のように、惨憺たる有り様で地を埋め尽くし、海原を漂う。創世廃棄物とはこのことだ。

 天使たちが去った夜空を、代わりのように星ぼしが埋め尽くす。悪魔はたまらなく夜空が好きだ。望遠鏡を覗きながら、神もきっと同意見だろうと、悪魔は深刻な顔つきで考える。その表情に喜びはない。蒼白い孤独にやつれている。その憂愁に呼応するように、昼間にまいた悪魔の種が芽を出し、蔓がのびて、天使の死骸に絡みつく。静謐のなかで滅びが育つ。

 明日もきっと、歌が生まれ、歌が死ぬ。

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