第142話 結ぶ
食事をするレストランは、この都市一番の高級店だ。大教会前の大通りに面していて、多くの照明に照らされる立派な佇まいは、夜であっても誇らしげに気品を放っている。
個室内に華美な装飾は無いものの、落ち着いた木目のテーブルと椅子が使われ、食事や会話に集中できる空間が繊細に作り出されている。
ジェフリーとも何度か訪れたが、今までで一番料理が美味しいと感じる。
食事をしながら、この一年について報告し合う。リアとしてはフランとドルフがどんな暮らしをしていたのかがとても気になっているので、若干質問攻めのようになってしまった。
前のめりになるリアに二人は圧倒されながらも、一つずつ丁寧に教えてくれた。
彼らはボーマンの別荘で地方に住む貴族と交流したり、その地を治める領主の手伝いをしていたよう。
大変だったけれど、新生活を満喫していたとのことだ。
町の人に大層好かれ、聖都ラフィリアでの汚名が嘘のような人気者になったと自慢された。
それに対して、リアもラフィリアとして人気を不動のものにしたと自慢し返した。
「あなたたちがボーマン様の養子になっていたなんてびっくりよ。どうして黙ってたの?」
それくらい教えてくれてもよかったのにと憤慨し、リアは責めるように目つきをきつくした。
「リアは王としての品格を身につけるだろうから、僕らのことは一度忘れて目標に集中して欲しかったんだよ」
「俺らは俺らで、これまでの生活とは一変だろ? だから、ちゃんとやっていけるか少しは不安だったわけ。そんな姿をリアに見られたくなくて、生活の基盤が固まってから伝えてもらおうと」
真っ当な理由だ。自分の浅はかさをうやむやにしようとデザートのゼリーをつついた。オレンジの果肉が練り込まれ、上にもカットされた実が乗っている。瑞々しくて美味しい。
「リアの評判が僕たちの周りでも話題になり始めて。そんな時に丁度、ボーマン様から今後についての話が舞い込んできたんだ」
フランはスプーンですくいきれる最大量のゼリーを慎重に口へと運んで、そのままピッとこちらを指してきた。
もぐもぐしながら人をスプーンで指し示すのは上品ではない。むしろ、行儀が悪いと叱られるだろう。
しかし、それは彼にとって信頼の証だ。人前では絶対にそんな失態を犯さない。フランはリアを他人ではなく内側に入れてくれている。特別だという事実に喜びが満ちて、より一層饒舌にさせる。
「あなたたちに爵位が与えられて、新たな家を
自分の事ではないが、胸を張りたくなるほどには誇らしい。
「リアには及ばないがな。お前も新たな王家を興すってな。それは生半可な努力じゃ認められない偉業だ。国民の大半がリアの即位に賛成しているってことだからな。素直に尊敬する」
「ありがとう。嬉しいわ」
ドルフやフランに褒めてもらうのは、どれだけの他人に賛辞を貰うよりもずっと価値がある。
しかし一方で、手放しには喜べない事情もある。明るかった表情に
リアが即位すれば、また生活を大きく変える必要がある。今まで以上に人々の期待を背負い、厳しい目で見られるようになるだろう。
王になり、国を変える。そのためにこの一年、リアは
「私が女王になれば、あなたたちとはこうして気軽に会えなくなるね……。王と諸侯という肩書きでの交流になっちゃうのは、ちょっと寂しいかな」
荒涼とした気持ちを隠蔽するように笑ったものの、伏せた目は内心を映し出す。
リアの沈んだ声によって会話の風向きが変わり、薄い布越しのような朧げで漠然とした未来が部屋の明度を下げたように感じた。
これではせっかくの楽しい食事が台無しだ。務めて明るくしようとリアは顔を上げ、照明の下に溌溂とした表情を作って輝かせる。この一年ですっかり上手くなった、人々を
せめて最後の思い出は楽しいものにしたい。きっと、二人だってそう思っているはず。
「ねえ、リア」
フランの柔らかな声が正面から真っ直ぐにかかった。
暗い話をしたのが気に入らなかったのだろうか。苦言を呈されるのではないかと、どきりとした。膨れ上がった焦燥は後悔をこれでもかと胸に焼き付ける。
「僕たちの話、聞いてくれるかな」
予想に反してフランから怒りの感情は見て取れない。それどころか、スプーンを置いて居住まいを正す姿には、わずかな緊張が含まれている。彼の隣に座るドルフも襟を正したので、つられてリアもゼリーからスプーンを離した。
「急に改まっちゃってどうしたの? なんでも言ってよ」
一気に変化した空気に気が付かないふりをして上目遣いに返事をすれば、熱に浮かされた二人分の欲望がリアに集まる。
そうなれば、敏感に異変を感じ取った心臓が動きを速めていく。
どんな顔をして応じればいいのかわからず、どぎまぎしながら視線を二人の間で行ったり来たりさせる。笑いとも真顔ともつかない表情で時が進むのを待つ。
ほんの数秒が悠久のように感じられた後、フランは整った微笑で顔を彩った。それは意図的なものではない。心と直結した表情だったので、見惚れて一瞬呼吸を忘れた。
「リア。僕たちの家族になって欲しい」
まったく予想していなかった要望がリアの耳を通り抜けた。
「は……あ、はぁ?」
驚きか相槌か、はたまた聞き返したかったのか、自分ですら本意不明な裏返った声が出てしまった。
言葉は理解できているが、事実として受け止められないとでも言うべきか。
光量を落とした橙色の照明によって落ち着いた情調が立ち込めている空間にそぐわない、間抜けな反応だ。店員が見ていなくて良かった。
眉を
フランにしては珍しく直接的な物言いだし、僕たち、というのがまず疑問だ。
「どういう……」
「そのままの意味だよ。僕らはリアの家族になりたいと思っている」
「えっと、えっと……」
そのままの意味。難解すぎる。これはプロポーズだろうか。二人を同時に
一年前に二人からお互いを託されたのだ。あり得ない話ではない。だがそれはラフィリアとしてどうなのだろうか、だとか、本物のラフィリアはものすごく男好きだったから忠実なのかも、など、混乱からくるくると思考が回る。
困惑に表情を強張らせたまま二人を確認すれば、どう見てもふざけているわけではない。口を引き結び、真剣そのものだ。
「僕らもリアも、新たな家を興して未来へ向かう。それだったら三人で一つの新しい家を作る、っていうのはどうかな、って。僕らでよかったらリアを支えさせて欲しい」
「俺らはこの一年、今後のリアを助けるために学び直しをしたんだ。だから、今は胸を張って女王陛下を支えられると言い切れる」
二人の想いはリアの想像を超えて堅固だった。
力強い宣言には絶対的な安心感がある。
こんなにも想われていたなんて、嬉しくて、暖かくて、心のすべてがなみなみと満たされていく。
感情や言葉よりも先に涙が頬を流れていった。必死に止めようと手で拭うが、刻一刻と溢れる量は多くなる。慌ててバッグからハンカチを取り出し、俯いて顔を覆った。
泣き顔は美しいものではないし、化粧が落ちて目まで腫れてしまう。良いことなど一つもない。早く止めなければと深呼吸を繰り返す。
そんなリアにもう一度、優しく包み込むような声が落とされる。
「家族になろう。一緒に」
具体的なことはわからないけれど、そんな事はどうでもいい。
二人と一緒にいたい、ただその無垢な気持ちに従いたかった。
潤んだ目を上げ、喜びに身を委ねたまま口を動かす。
「はいっ」
この瞬間、三つの人生は一本に重なった。
「ありがとう。絶対にその選択を後悔させないから」
「世界で一番幸せにするからな!」
お互いの価値を再確認するように三人で笑い合う。なんの
リアは今この瞬間、自分は世界中の誰よりも幸福だと実感した。
切れてしまったと思っていた縁は、まだ繋がっていた。本当は一年前に切れていたのだろうが、二人がずっとその端を掴んで放さなかったから、この結末にたどり着いた。そして、もう二度と解けてしまわないように、今、リアがぎゅっときつく結び直したのだ。
「でもどうするの? 三人で新たな家って前代未聞よ?」
「それはボーマン様も了承済みだから。リアが当主になる家を興して、そこに僕とアードルフが入る形だよ。そうすればリアが国益のために誰かと婚姻を結んだとしても、僕らとの縁は切れない。とっても素敵な案だと思わない?」
「仮に俺らの方が誰かと結婚する事になったとしても、リアとの絆はなくならない。いいだろ」
とんでもなく強固な執着と粘着に笑ってしまう。
でも、二人にだったらそんな風に絡め取られてもいいと思っているなんて、当人たちには知られないようにしたい。弱みを握られるのは癪だから。
リアはそんな心の内を悟られないように、努めて平坦な声を出す。
「便宜上はそうだけど、私の道をかなり狭めてるよね」
それに対する答えは二人とも同じ。何も言わず、恐ろしいまでに整った顔をやんわりと笑みの形に変えただけだった。確信犯だ。
血縁でもない男性が二人も同じ家族にいる人と婚姻を結びたい、などという殊勝な人は中々いないだろう。己の地位のために、という人も存在するだろうが、リアの答えはもう決まっている。
未来に感じていた不安や恐れが一気に霧散し、晴天がどこまでも広がった。真っ黒に塗りつぶされていた行く先が明るく照らされ、久々に肩の力が抜けていく。
こんなに気分が良い日はこれまでで初めてだ。
食事の席は穏やかに進み、ゼリーをつつきながら会話を存分に楽しんで店を後にした。
外の通りへ出たところでリアは夜気を吸い込み、気を緩めて苦笑する。
「すごく真剣に話をするから、プロポーズをされるのかと思っちゃったわ」
「ああ。それと今回の件はまったく別の話だから。ラフィリア様についての騒動がすべて片付いたら、改めてするよ」
「そうだったんだ。なーんだ。……えっ」
さらりと言うから、半分以上流してしまった。
勢いよく振り向くと、フランはにこにこしているだけ。
彼お得意のはぐらかす笑顔だ。月明かりでは些細な表情の変化はいつにも増してわかりづらく、冗談か本気なのか判別は不可能。
ドルフが何かわかりやすい反応をするのではと期待したが、二人で口裏を合わせてあるのか、にやにやしているだけだった。
感情を弄ばれている気がして、不満が
「もう! 私は今やこの国のラフィリア様なのに、あなたたちはそうやって私を面白がるんだから!」
リアは両手に二人の手を取り、ずんずん足を進めた。両方ともすぐに握り返される。惜しげもなく注がれる確かな愛に頬が紅潮するが、それは食事をしながら飲んだお酒のせいだと言い聞かせる。明るい街灯の下に晒されたとしても、何も恥ずかしい事ではない。お酒を飲んだのだから。
両側から小さく笑う声が聞こえるが、それを咎めるのは彼らの思う壺だ。聞こえないふりをして、大股で二人を引っ張っていく。
懐の広いリアは、すぐに許しを乞い始めた兄弟を許容し、繋いだ手はそのままに帰路を進んでいく。
のんびり雑談混じりに歩けば、十分ほどで帰宅先が見える。
ボーマン邸の塀沿いに進み、正面へやってくると門の外に誰かが立っているのがわかった。暗くて正体が掴めなかったが、警戒して近づいてみれば、それはボーマンだった。左右を落ち着きなく見回していて、リアたちを見つけると足を速めて寄って来る。
夜間にもかかわらず敷地の外にいるボーマンに驚き、リアはフランとドルフの手を離して立ち止まった。
「ああ、ごめん、仲良くしているのを引き裂いてしまって」
謝罪とは裏腹、ボーマンは極上の笑みだ。目尻は限界まで下がり切っている。
「その様子だと上手くいったようだね。おめでとう、フランシス君。アードルフ君」
二人の養父はすべてを知ったようなことを言う。
フランとドルフはボーマンの前に立ち、二人そろって感謝を露わに頭を下げた。
「ボーマン様の計らいがあってこそです。ありがとうございました」
「今日はこれにて引き上げさせていただきます。リア、またな」
「明日の午後、改めて伺わせていただきます」
ドルフは軽く手を振り、フランはボーマンとリアににこりと一礼して颯爽と去っていった。
上機嫌な背中が夜の闇に消えれば、夢から覚めた心地がして急激に体が冷めた。今までの出来事はすべて幻であったのではないかと、居ても立ってもいられなくなる。そんなリアをよそに、隣に佇むボーマンの顔は緩みっぱなしだった。それはすべてが真実だとの証明になっていて、じんわりと実感が浸透していく。
リアは今宵、他には変えられないほど大きな幸せを確かに手に入れたのだ。
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