第140話 楽しみな予定

 部屋へ戻ると、前室でドロシーがお茶の準備をして待っていた。ティーワゴンの上からカトラリーがテーブルへと手際良く配置されていく。

 ここが自分の部屋になって一年経とうとしているが、奥にある主室と同程度の豪華な空間には未だに慣れない。居候いそうろうのリアであれば前室だけでも充分なのにと、少しだけ負い目がある。


「リア様、おかえりなさいませ」


 美味しそうな焼き菓子がお皿に盛られ、食欲をかき立てる。部屋の立派さに感じる申し訳なさなど、魅力的な菓子の前には無力だ。

 吸い寄せられるようにして席へ着いたリアの前に、淹れたての紅茶が置かれた。ふわりと立つ湯気と共に、茶葉の良い香りが鼻をくすぐる。

 ドロシーは自分のお茶も入れて向かいに座った。こうして二人でおしゃべりをするのは、ここに暮らし始めてからの日課だ。


「ボーマン様からどのようなお話が? 縁談ですか?」

「違うわよ。私が当主となる家の設立が決まりつつあるって話」


 マドレーヌを手に取り、何でもないふうを装った。本当はとても緊張している。

 どんな反応が来るか、ちらりと流し見ることは忘れない。


「おめでとうございます! 私はラフィリア様に恥ずかしくない侍女として、今後も精進して参ります」


 吉報を聞き、ドロシーは冗談をやめて深く頭を垂れた。


「ありがとう。とっても頼もしいわ」


 いつでも冷静にリアを助け、親友としても接してくれるドロシーがいてくれてよかった。

 これからは国の象徴として、今まで以上の責務を背負うことになる。その際に心を許せる人がそばにいてくれるのは何よりも力になる。

 女王になるまであと少し。それも大きな進展ではあるが、もう一つ、特大の関心事がある。リアは平静を保ったまま、大切な話題を切り出す。


「そうだ。あとね、フランとドルフがこっちに帰って来るって」


 久しく口にしていなかった二人の名前を音にするのは、なんだか気恥ずかしい。照れているのをドロシーに指摘されないように祈って紅茶をすする。


「フランシス様とアードルフ様が?」


 ドロシーはリアをからかう事よりも、二人の動向に吃驚きっきょうして目を丸くした。

 彼女もオルコット家の顛末を知っているので、訝しんで眉をひそめている。


「私も驚いたわ。彼らはボーマン様の養子になっていたらしくって」

「えっ、それは本当ですか?」


 身を乗り出して感情を露わに声を高くする。それだけありえない出来事なのだ、これは。


「ボーマン様がわざわざそんな嘘をつくとは考えられないし、本当だと思うわ」

「ということは、この屋敷に住むのですか?」

「ううん。あの二人はそれぞれ新たな家を興すらしいから、今後、こことは別の場所で新しい家族を作るのよ」


 自分で言って、胸がちくりと痛む。

 彼らとはすでに違う道を歩んでいる。リアはもう引き返せないし、そのつもりもない。


「正式に叙爵じょしゃくされて、あの二人は立派な紳士ね」

「驚きの連続で、もはや心は無です」

「あはは、私も」


 そっと目を閉じて無表情になるドロシーが面白くて吹き出した。

 数秒後、心を落ち着けて瞼を上げた彼女の視線は、リアの手元より少し脇に置いてある手紙に引き寄せられた。真っ白な封書が木製のテーブル上で存在感を放っている。


「その手紙はいつものごとく、どこかの誰か様からの求婚状かと思いましたが、お二人からのラブレターだったのですね」


 興味に輝くドロシーの黒い瞳は、リアと手紙を行き来する。


「違うよ。二人はこっちに帰って来たら、私に会いたいって言ってくれてるみたいだけど」

「それはもうラブレターですよ、リア様。……ここでジェフリー様に強敵出現ですか。面白くなってきましたね」


 ふっふっふ、と嫌らしい笑みを浮かべるドロシーは、マドレーヌを片手にすっかりいつもの調子だ。飾らない態度でいてくれるから、リアも深刻に考え過ぎずにすむ。


「ドロシー、人の人間関係を楽しまないで」

「半分は冗談です」

「半分は楽しんでいるのね」


 早くも二個目のマドレーヌを口にしているドロシーに鋭くつっこむと、彼女はカップの紅茶を一気に飲み干した。


「わたしはリア様の幸せを一番に願っておりますよ。さ、早く中身をあらためてお返事を書いてください。……わたしの休憩時間が減ってしまったのは残念ですが、それは我慢しましょう」


 ドロシーはすっと立ち上がって自分のカップをティーワゴンの上に戻した。


「しばらくしたら片づけに参ります」


 リアが引き留める間もなく、短く言い残して退出していった。

 早く手紙を開封したいというリアの意思を汲み取った気遣いには感謝の念しかない。逸る気持ちを抑えて奥の主室からペーパーナイフを持ち出し、お茶の席へ戻る。どすん、と勢いよく着席してしまい、どれだけ気が急いているのかと自分で自分を苦笑した。誰も見ていなくてよかった。


 深呼吸をしてペーパーナイフを這わせれば、するすると気持ちよく切り口が広がっていく。

 中には半分に折り畳まれた一枚の便箋が入っていた。

 取り出して手に持ったまま、数秒が過ぎる。

 鼓動が早い。どくどくと体が揺れる。

 何が書いてあるのか早く読みたいが、見るのが怖いという相反する気持ちも存在していて、それらがせめぎ合い、手を止めさせている。

 一人では広すぎる部屋は、リアが動き出すまで時が止まったかのように静寂を保つ。

 いつまでもこうしているわけにはいかない。意を決して二つ折りの便箋を広げた。


 そこには柔らかで整った文字が綴られていた。郷愁に胸が切なくなる。



『親愛なるリア様

 お元気ですか? 僕たちはこの一年、ボーマン様のお屋敷を任されていました』



 そこで一旦途切れ、ドルフの字に変わった。彼の字はフランと似ているが、もう少し達筆だ。性格の問題だろうか。



 『ボーマン様の屋敷で近隣の町や村の状況を把握し、不満を改善するように動いていたんだ』



「ふふっ」


 思わず笑みが溢れる。

 どうやら一行ずつ筆を交代することにしたらしい。

 おそらく、どちらが手紙を書くかで揉めて折衷案がそれだったのだろう。

 先ほどとは打って変わり、穏やかな気持ちで読み進める。



『それが功を奏してボーマン家の名はうなぎ上りさ。僕らの愛想が良かったおかげかな?』

『仲良くなった人たちに、ラフィリアについて伝承など知っていることを教えて欲しいとお願いしたら、意外と集まったんだ。俺らの人徳ってやつだな』

『だから、リアに良いお話を持って帰れるんだ。それと、こちらでもリアの評判は聞いているよ。とても美しく、聡明なラフィリア様だって』

『積もる話もあるし、よかったら食事でもと思って。リアに会えるのが楽しみだ!』

『ということで、返事を待っています』


『あなたをお慕いするフラン』

『あなたの幸福が何よりの幸せであるドルフ』



 滅茶苦茶な記名に我慢できず、押し殺した笑いが唇を突破していく。

 変わらない彼らに早く応えたくて、マドレーヌを一口で頬張り主室の机に向かった。

 ボーマン邸で暮らし始めてからたくさんの人に手紙を書いたが、これまでで一番気分が良い。

 書き慣れた便箋を用意し、筆を取る。



『親愛なるフラン様、ドルフ様

 お手紙ありがとうございます。私は元気です。二人も元気そうで安心しました。

 ぜひ、あなたたちに会いたいです。

 この一年、私はラフィリアとして励んできたので、変わった私を見てびっくりするかもしれません。覚悟しておいてください。

 来月がとても楽しみになりました。

 あと一カ月、お体に気をつけてお過ごしください。

 あなたたちの事が大好きなリア』



 笑みを絶やさずに手紙をしたため、封筒の中に便箋を収めた。

 すんなりと言葉が出てきたので、少しも悩むことなく納得のいくものが出来上がった。

 満足感に、ふんっと鼻から勢いよく息を出して席を立つ。そこで急に冷静さが舞い戻り、すとんと椅子に座り直した。


 今からボーマンに渡したのでは早すぎて恥ずかしい。一度再会に難色を示してしまっているのだから、一晩考え抜いた結果、という形に落ち着けたい。そのために明日まで熟成させようと、気合いの入った手紙を机の引き出しにそっとしまった。


 浮かれているなんて認めたくないけれど、弾む心が抑え切れない。今からどんな話をしようかと、頭は勝手に想像を膨らめてしまう。

 まだ会うことが決定したわけではないのだからと自分を律し、表情を引き締めるために両手で頬を叩く。その勢いのまま机に手をつき、お茶の続きをして気を静めようと椅子を立った。


 一歩、二歩、三歩。

 歩くたびに緩んでしまう表情が憎らしい。顔の筋肉を自在に操れる練習をしなければと、リアは新たな課題を自分に課したのだった。

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