第139話 真実は突然に
ジェフリーと演劇を見に行ってから数日後。リアは自分の犯してしまった取り返しのつかない失敗に凹んでいたところ、ボーマンに呼び出された。
一人で執務室へ来るように、という
これまでボーマンから苦言などを受けたことはないが、毎回それなりに緊張する。時間ぴったりに扉を叩く硬い音は、リアの心情を表しているかのようだ。
中に入るとボーマンが一人、執務机についていた。
「リアさん、今日はあなたに大切な話があってね」
手招きに導かれ、どっしりと構えた執務机の前までやってきた。
ボーマンはにっこり微笑んでいるが、何を言われるのかと心臓が主張を始める。この前、ジェフリーにしてしまった失礼な態度をやんわりと咎められるのかもしれない。
「何でしょうか。緊張しますわ」
心の中を覆い隠すように目を細めれば、ボーマンは悲しそうに眉を垂れた。
「リアさん、私にまでラフィリア様としての態度は少し寂しいなぁ」
「すみません、この仕草が染み付いてしまっていて。ボーマン様の前ではリアでいさせていただきますね」
「そうしてくれ。リアさんは本当の娘だと思っているから」
そこでボーマンは一度言葉を切ってから表情を改めた。
「大切な話というのは、先日の議会でリアさんを当主とした新たな家を
想像していたものとは真逆の話だった。
告げるボーマンの顔には、ほんのりと喜びが滲んでいる。それもそのはず、この一年、リアはそれを目標に血の滲むような努力をし、自分を犠牲にしてきたのだから。それを近くで見ていたボーマンが心を痛めていたことも知っている。
大教会の上層部に認められた。これは大きな一歩。
ようやく
リアは悠然と頷く。
「私は賛成です。ぜひ、そのまま進めていただきたいです」
「リアさんは本当によく頑張ったよ。暴動があった日の奇跡に
「ありがとうございます。これもボーマン様や奥様の支えがあったからです。感謝してもしきれません」
決してすべてが順調に行ったわけではない。平坦ではなかった道を転びながらも
そうして味方してくれる人たちに助けられ、ここまで到達できた。
暴動の日から『リア』を捨て、『ラフィリア』となった。国民のために。今後は王となり、本格的に国を導いていく。
覚悟を示すために背筋を伸ばし、綺麗な立ち姿でボーマンを真っ直ぐ見つめた。すると彼は表情を緩め、目尻の皺をより深くして親しみを増した。
「それともう一つ、リアさんに伝えたいことがあってね。フランシス君とアードルフ君が来月、こちらに帰って来るんだ」
得意そうに相好を崩した表情。懐かしい響きを聞いてリアの胸中は一気に波立った。頭の中で何度か名前を反芻する。
フランシスとアードルフ。
この一年、リアに気を使ってか、周りの人は二人の名を出すことはなかった。
まるで彼らなど初めから存在していなかったかのように風化する日々を過ごし、もう二度と会うことはないのだと言い聞かせて別れの痛みを鎮めていたというのに。
遅れてリアの心に
「……帰って、来るって……?」
短い単語にも関わらず息が続かなかった。問いかける瞳は喜びの一歩手前、疑惑で止まる。
彼らは一年前、
それが帰って来るとは、どういう風の吹き回しだろう。
リアはまだ政治には関わっていない。だからきっと、知らないうちに色々と話が動いていたのだと推察できるが、引き取り屋という人買いを容認していた罪は一年でこの都市に戻って来られるほど軽くはないはずだ。
リアは困惑して黙り込む。
オルコット邸は今、ボーマンが管理している。
ボーマン家とオルコット家は古くから親交のある家同士。昔のよしみでこちらに戻すという事だろうか。
「オルコット家がこちらでまた暮らす、ということですか……?」
リアは慎重に言葉を選んで確信に迫ろうとする。
「いいや。帰って来るのはフランシス君とアードルフ君だけだ」
「どうして二人だけ……?」
わけがわからなくて目を白黒させるリアを面白がるようにして、ボーマンは自分のペースを崩さずに話を進める。
「それはひとまず横に置いておこう。二人はリアさんに会いたがっていたよ」
「え……。ですが私としましては、不祥事を起こしたオルコット家との接触は極力避けたいので、会うのは……」
皆の理想とするラフィリアになるため、懸命に高みを目指して自分を作り変えた。それが実を結んで王になる既定路線ができたのに、その可能性を無に帰したくはない。
個人的な『リア』としての感情は、とうの昔に捨てたのだ。
思い詰めて顔をしかめるリアに、ボーマンはどういうわけか慌てた様子で机の引き出しから一通の手紙を出した。
「まあまあ、そう言わず。これは二人からの手紙だよ。まずは裏面を見てごらん」
わざわざ椅子から立ち、執務机を回り込んで手紙を渡してくれた。
ボーマンにそこまでされて拒否することもできず、仕方なく受け取る。
何の変哲もない、どこにでもある真っ白な封筒だ。
言われた通り手紙を裏返すと、そこには、
『フランシス・ボーマン』
『アードルフ・ボーマン』
という記名があった。
三度ほど読み直してしまった。なんだこれは、そんな感想で頭がいっぱいになる。
理由を求めて、目の前に立つ背の高い紳士を見上げた。
「これは一体……」
それを言うので精一杯だった。
ボーマンはリアの反応に満足したようで、口元に隠し切れない笑みを浮かべた。
「実は一年前、彼らを私の養子にしたんだ」
「えっ、ええっ!? そんなこと、私には一言も……」
何も聞いていない。少しも、本当に何も。
「彼らのお願いで黙っていたんだ」
「全然意味がわからないんですけど!」
責めるような荒い口調になってしまったが、ボーマンはまったく動じない。
「ここでようやく種を明かせるな」
ボーマンはリアにお話を聞かせるように語り出す。
「暴動の後、総政公は国の政治に関わる権利を剥奪され、オルコット家自体を潰す方向に決定したんだ。だがな、私もオルコット家とは付き合いが長い。フランシス君とアードルフ君を私の養子に出すことを条件に、オルコット家の存続を認めたんだ。総政公はそれを呑み、晴れて私に二人の息子ができたんだよ」
リアが意識を失っていた三日のうちに、かなり重大な取り決めがあったらしい。思いついたからといってそれを実現させるのは簡単なことではないはずだが、あの時は国全体が混迷を極めていた。それに乗じてその方針を通したのだろう。ボーマンは意外と抜け目がないのかもしれない。
今更リアがそれを
「二人はこの一年どこに……?」
「彼らは私が地方に持つ屋敷を拠点にして、慈善活動をしていたんだ。おかげでボーマン家の評判はかなり上がったよ」
はっはと実に愉快そうだ。
思い返してみれば、ボーマンは何かと地方へ出向くことが多かった気がする。忙しいのだなと気に留めることもなかったが、彼らに会っていたのかと合点がいった。
「今回、彼らに爵位を与え、それぞれで新たな家を興そうという話になってな。彼らは去年の暴動で大教会を守ったという偉大な功績がある。それはしっかりと讃えなければならない」
「そうなんですね。おめでとうございます」
自分の事のように嬉しかった。この一年、彼らは虐げられて暮らしているのではないかと憂患していたから。
幸せで、着実に新しい道を進んでいるのだとしたら、ひと安心だ。
「というわけでリアさん。一度、我が息子たちに会ってはくれないかい?」
「ボーマン様のお願いならば断れないじゃないですか。意地悪です」
二人に会える。その事実にリアの心は間違いなく舞い上がり、踊っている。だが、それをボーマンに悟られたくなくて唇を尖らせた。我ながら子供っぽいと思うが、上手い照れ隠しが咄嗟に出てこなかった。きっと、成熟した紳士にはすべてお見通しだ。極限まで下がり切った目尻がそれを物語っている。
「なんとでも言ってくれ。手紙の返事、待っているよ」
これ以上ぼろを出さないため、リアは強制的に一礼して執務室を後にした。
一筋の光のように手の中へと収まった手紙を胸に抱き、午後の日差しが入り込む廊下を小走りで駆ける。
こんなに気持ちが弾むのは久々だと、自分の単純さがおかしかった。
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