第137話 侍女

 夜半過ぎ、ようやく舞踏会から退出することができた。

 玄関先で待機している馬車に乗り込む際、ジェフリーが見送ってくれる。

 それに愛想よく感謝を述べ、一礼してから車内へと乗り込んだ。その後にリアの侍女であるドロシーが続けば扉は閉められ、ジェフリーの別れを惜しむ視線が遮断される。


 窓にはカーテンが閉められているので、ここは簡易的な個人空間だ。

 人目が無くなった安心感と共に疲労を自覚し、座席にどっかりと腰を下ろした。


「リア様、本日も人々の尊敬の念を独り占めですね」


 向かいに座るドロシーはひっそりとねぎらいをくれる。


「疲れるのよ、ラフィリア業は」

「それを完璧にこなすリア様を、わたしは尊敬いたします」


 すぐに馬車は動き出し、ようやく素の自分に戻って表情を緩めた。

 頭を思いっきり反らせて上を向き、凝り固まった肩をぐるぐると回す。


「あぁ……早く窮屈なドレスを脱ぎたいわ」


 ため息交じりに脱力すると、ドロシーはふふっと小さく笑った。


「わたしもリア様に同伴するためドレスを着用していますが、本音では数分で脱ぎたくなりますね」


 彼女はボーマン家のメイドであったがリアの侍女となり、身の回りの手伝い他、共に夜会などへ出席してくれている。侍女という立場ではあるものの、リアよりも一つ年上という歳の近さもあり、良き親友となった。

 彼女の前では『ラフィリア』から『リア』に戻ることができる。天涯孤独の身であるリアの精神的な支えであり、今やなくてはならない存在だ。


「リア様、ジェフリー様からデートに誘われたのですか?」


 大きな黒い瞳が、薄暗い車内の明かりをすべて集めてしまったかのように興味深く輝いている。


「ええ。光の姫君と夜の魔王の公演に」

「あの方はリア様をかなり気に入っていますね。他にも他国の王族や国有数の貴族など、リア様の配偶者の座を狙う者は多いですが、リア様はジェフリー様が本命で?」

「配偶者の座を狙うって……まあそうだけど。ジェフリー様が一番裏表なく私の事を気に入ってくれてるかなぁ。だから私も良いな、って」


 どうせなら自分を好いてくれている人と一緒になる方がいい。


「リア様、ジェフリー様よりもフレミング卿の方が財力も名声もありますが」


 感情の浮き沈みなく、さらりと放たれた言葉を見過ごすことはできない。リアはしっかりと受け止め、身を乗り出してドロシーに迫る。


「ドロシー! それは勘弁よ! フレミング卿って六十五歳でしょ!? そんなおじいちゃんと結婚するのはいくらなんでも嫌だわ! 私はもうすぐ二十二よ。考えてもみてよ、あのつるつるの頭に顔を寄せられて……!」

「わたしは嫌ですね、そんなのは」

「だったら言わないでよ!」


 断固拒否の後、息ぴったりに、あははと笑い合う。

 フレミング卿はこんなところで笑われているなんて知りもせず、今頃は次の手紙の内容に頭を捻っているだろう。少しだけ申し訳ないな、とも思うが、ご老体で求婚してくる方が悪いのだ。ドロシーも特にフレミング卿の肩を持つことは言わないので、意見は一致している。


「フレミング卿がお嫌でしたら、他国と友好関係を結ぶ目的で婿をもらうのもありでは? 若くて容姿の整った殿方も大勢いるでしょうから、リア様のお眼鏡にかなうかと」


 ドロシーはいつも冷静で、顔色一つ変えずに辛辣な物言いをする。もちろん本気ではない。だからリアも気を許し、唇を尖らせる。


「私を面食いみたいに言わないでよ」

「悪いよりも整った方がいいじゃないですか」

「それはそうだけど、見た目にばかり気を取られて中身が最低だったら意味がないわ。どうするのよ、私が変な男と結婚したら」

「そうなれば、わたしが責任を持ってボーマン様に対処をお願いします」


 他力本願のくせに、口の端を持ち上げて得意げだ。

 リアは親友の軽口に対抗するため、腕を組んで大げさに肩を竦めてみせた。


「それは心強い。けど、そうならないように、よーく考えて選ぶわ」

「そうなると、ジェフリー様が総合的に高得点ということですか」


 顎に手を当てて一人で納得している。車内の限定的な照明は顔の堀を深く見せ、より一層冷血な雰囲気を強めている。


「言い方が悪いよ、ドロシー。ジェフリー様は優しくて良い方なの」

「嫌味な方ではないので、それは良しとします。デートで更なる点数を稼いでくださいね」

「ドロシー、品定め感がすごい。人との関わりだから、点数とかじゃなくて心を大切にしたいじゃない」

「リア様は意外と乙女な思考回路なんですよね」

「なんとでも言ってよ」


 ドロシーとの会話はよどみなく続いていく。ラフィリアとして人前に出るのは心労が押し寄せて息が詰まるが、ドロシーがいてくれてよかった。彼女の支え無くしては、これほどまでにラフィリアとしての栄誉えいよを得ることはできなかっただろう。

 馬車に揺られる事数分、ボーマン邸に到着した。

 御者によって扉が開けられると、ドロシーは尊敬の念を持って今一度リアへ頭を下げた。


「リア様、本日もお疲れ様でした」


 ひと仕事終えてようやく休息できる場所へ帰りつき、リアはラフィリアの仮面を完全に手放す。御者の手を借りて地に足をつければ、今宵の重労働はようやく終了だ。


「お疲れ様です、リア様。ゆっくりお休みになってくださいね」


 リアを懇意にしてくれている御者の男性はボブという。年老いてこぢんまりとした風貌は穏やかで親しみやすい。


「いつも送迎ありがとうございます。ボブさんもしっかり休んでくださいね」

「お気遣いありがとうございます」


 深夜の静けさに声を潜めながら短く挨拶を交わして、ドロシーが開けてくれた玄関扉をくぐった。

 明かりが灯されたロビーは『リア』を温かく迎えてくれる。その事実に言いようのない安堵を覚え、ボーマン邸での暮らしに感謝をしながら二階へ続く大きな階段を登った。

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