第135話 未来を継ぐ者
数日後、リアはコンラッドの遺書を渡しに行くため、馬車に揺られていた。
向かいに座るボーマンが気づかわしげに視線をくれるが、リアは俯いたまま。道中はコンラッドの妻へかける言葉をずっと考えていた。
馬車が停まり、御者によって扉が開けられる。
「リアさん、それでは私が先に行ってくるね」
「はい」
ボーマンは静かに席を立ち、降りる前に一度こちらを振り返る。
コンラッドの自宅を訪問するにあたり、リア一人では心配だと言って、忙しい中でも付き添ってくれた。
彼がまず総隊長としてコンラッドの妻へ謝罪と感謝を述べるのだという。おそらく先方の様子を窺い、リアに会わせられる状態なのかを確認してくれるという気遣いだ。
外に降り立ち、もう一度こちらを振り仰ぐボーマンに目礼すれば、御者が静かに扉を閉めた。
カーテンによって閉ざされた薄暗い車内でリアは細く息を吐き、張り詰めた思考を一度手放す。
疲れ果てていた体はすっかり元の調子に戻り、ラフィリアの力も問題なく使えることを確認した。
水を操る事も、風を吹かせる事も、何だってできる。
――その気になれば、人の命を刈り取る事もできてしまう。
リアは手のひらを見つめる。
大いなる力を使用することは可能だが、あまり使いたいとは思わない。リアは反ラフィリアとして、ラフィリアの消滅を願うのだ。奇跡の力を無くし、この国を平和に導く。それを掲げる以上、自分が力に依存していては駄目だと心得ている。
膝の上に置いた遺書に目を落とす。あんな愚かな暴動さえ起きなければ、コンラッドが命を落とすことはなかった。悔やんでも悔やみきれない。
どのように謝るべきだろう。未だ、適切な言葉は浮かんでこない。
しばらく経ち、扉が叩かれた。
「リアさん。私の話は終わったよ」
開けられる扉の向こうには心配そうに眉を垂れるボーマンがいた。
「本当に大丈夫かい? 私が渡してもいいが……」
ボーマンはどこまでも甘やかしてくれるが、それに甘んじるつもりはない。これは自分がやらなければならないことだ。
ここから前へ進むためにも。
「これは私が預かったものですので、私が責任を持って渡します」
封書を持ち、黒いスカートを翻して地面に両足をつけた。
コンラッドの家は道の狭い住宅街の中にあり、馬車は入っていけないので路地の入り口に停泊させている。白い外壁の二階建てだそうだ。
リアは迷うことなく歩んでいく。
周囲の家々はどこも綺麗にされており、玄関先に植木鉢が置かれていたりと、住民の穏やかさが垣間見れた。
この辺は暴動の被害が少なかった区画だが、ところどころ地面には大穴が空いているのが生々しく残っている。主要道路ではないため、修復工事は後回しにされてしまっているのが現状だ。ここまで手が回るのはまだ先のことだろう。
確かな爪痕に胸が痛むものの、今は感傷に浸っている時ではない。
閑静な住宅街は緩やかにカーブしていて、見送るボーマンの姿はすぐに見えなくなった。
それから五秒ほど。目的の場所はすぐに分かった。白い家の玄関先に、
女性はリアを目にすると率先して大きく頭を下げた。
緊張に鼓動が早くなる。それに急かされるようにして女性の前へ辿り着いた。
固くなる表情を誤魔化すように、気持ちの整理もつかぬまま口を開く。
「リア・グレイフォードと申します。この度は、コンラッドさんから預かったお手紙を届けに来ました」
差し出す手が震えてしまう。
気を抜けば涙が零れてしまいそうだった。
本当は悲しみをぶちまけたい。そうして、体の奥底に沈澱する罪悪感を解き放って楽になりたかったが、目の前の女性は泣いていない。一番悲しいのは彼女だ。リアにできることは、しっかりとコンラッドの雄姿を伝える、ただそれだけ。
「コンラッドさんは勇敢でした。武器を持った相手にも臆することなく、果敢に攻めていってくださいました。とても素晴らしいお方です」
緊張に絞られる声を遮ることなく、最後まで聞いてくれた。
女性は唇に力を入れて必死に笑顔を形作り、大切な手紙をそっと受け取った。
「ありがとうございます、リア様。あなたをお守りできて、主人も喜んでいると思います」
手紙を持つ右手が、左手の薬指をさすっていた。
本当はとても笑えるような精神状態ではないはずなのに、リアへの配慮を忘れない。そんな寛大で強い彼女に敬意を表すため、ゆっくりと時間をかけて頭を下げた。
リアと女性は沈黙の中に身を置き、溢れ返る激情を落ち着けるように呼吸だけを繰り返す。
一秒、二秒、三秒。刻々と時は流れる。
「こんにちは!」
重たい空気を吹き飛ばしたのは、子供の元気な声だった。
顔を上げると、玄関扉から小さな女の子二人が興味津々にリアを見つめていた。
コンラッドに託された子たちだ。
可愛らしい女の子たちを前に、顔が緩むまま微笑む。
「こんにちは」
挨拶を返すと嬉しそうに笑ってくれた。
愚かな悪意によって起こった暴動など知らぬ天真爛漫な表情は、リアの心を浄化していく。
この子たちの未来をより良くしたいと、胸に湧き上がる想いを確かに感じた。
その様子を見ていた女性がふっと柔らかく笑った。娘たちと視線を合わせるように膝を折り、室内を指さす。
「お母さんとお姉さんは大切な話をしているから、家の中で遊んでいなさい」
「はーい!」
二人は飛び跳ねるようにしてバタバタと走っていった。一瞬一瞬を楽しみ尽くすようなはしゃぎ声が遠ざかっていく。その背を見送ってから、女性は改めてリアへと向き直った。
「リア様、いえ、私はあなたをラフィリア様だと思っております。あなたはこの国で起こった恐ろしい暴動を止めてくださいました。命よりも大切な娘たちを守っていただけた事、とても感謝しております。だから、どうかご自分を責めないでください」
柔らかく穏やかな表情に心を打たれた。リアに対して少しも後ろ黒い感情など持たない態度に、体の内側から熱が生まれていく。
こんな素晴らしい民を幸せにしたい、そう思うのには充分だった。
「ありがとうございます。私は必ずこの国を建て直します。必ず」
亡くなってしまったコンラッドの分も、暴動で人生を壊された人たちの想いもすべて背負って、良き方向に民を導きたい。
「どうかご無理だけはなさらずに」
光明が差す笑顔に会釈をし、その場を辞した。
馬車へ戻る足取りは軽やかで、一切の迷いはない。心は澄み渡り、思考も冴え冴えとしている。背筋を伸ばし、堂々とした振る舞いで次なる行動へ意識を向ける。
住宅街の路地を出ると、馬車の前にボーマンの姿があった。
リアを心配して中に入らず、ずっと待っていてくれたのだと思うと照れ臭いのと同時に、とても温かい気持ちになる。
リアはしっかりとした足取りでボーマンの前に立ち、こちらから話を切り出した。
「ボーマン様。私はこの国を一新し、王になります。どうか、そのために力を貸してください。どんな努力も
深々と低頭する。
自分にしかできなくて、自分がやらなければならないこと。
それが、この国を統べることだ。
リアの覚悟を見取ったボーマンは居住まいを正した。
「このボーマン、あなた様の意志を尊重し、誠心誠意、協力させていただきます」
人目も憚らずリアの前に
「命ある限り、あなた様に忠誠を誓い、お仕えいたします」
今後一切変わることのない決意が静かに贈られた。誠実で、これ以上ないほど心強い。
ここからは自分一人の問題ではなくなった。自分の行いに責任を持ち、行動していかなければならない。
これまでもボーマンにはたくさん世話になった。これからも数えきれないほどの迷惑をかけるだろうが、それ以上の幸福をもたらせる。そう自信を持っているので悠然と頷いた。
「ありがとうございます。頼りにさせていただきます」
「こちらこそ、我が家を選んでいただき光栄です」
ボーマンに促されて馬車に乗れば、すぐに動き出した。
それとほぼ同時に、リアは口火を切る。
「私は誰が見ても立派なラフィリアとなり、国民の信頼を勝ち取るつもりです。そうすれば、長年のラフィリア信仰を逆手に取る事ができます」
ごとごと揺れる車内で、向かいに座るボーマンへ私見を発する。
暴動の際にリアの力を目の当たりにした人は、リアこそがラフィリアだと声を上げている。それを確実なものにしたい。
「リアさん……それではあなたが犠牲になってしまわれる。あなたはあなたのままで王になられても良いのですよ」
「いいえ。ラフィリアに成り代わります。私はいずれ本物のラフィリアを消滅させますから。その時、私がラフィリアとして民から信頼を得ていれば、本物がいなくなる影響は最小限に抑えられます」
間接的にではあるが、自分は多くの幸せを奪ってしまった。だから、自分を犠牲にするくらい喜んでやる。
すべては国民の幸福のために。それが、これからのリアに課せられた義務だ。
ボーマンは悲しげな目をして何か言いたそうにしていたが、少しも私情を挟まない冷静なリアを前に、背筋を伸ばして本来の言葉を飲み込み口を開いた。
「あなた様の覚悟、しかと受け取りました。これからはあなた様をラフィリア様として、皆に周知させます」
馬車が停まり、御者が慣れた手つきで扉を開けた。外は日が差していて、車内の薄暗さに馴染んだ瞳を容赦なく刺激する。
眩しさに目を細めたのは数秒。光を自分の物とするため、勇んで顔を車外へ出した。
「それでは参りましょうか、ラフィリア様」
「はい。これからよろしくお願いいたします、ボーマン卿」
ラフィリアとして、新たな国の次期女王として。リアは決意と共に馬車を降りた。
視界に収まりきらないほど巨大な邸宅がリアを迎えてくれる。
よく見慣れたボーマン邸だが、昨日までとは見え方が違うように感じる。それは自分の心情が変化したからだろうか。
「さあラフィリア様、今日からここがあなた様のご自宅です。おかえりなさいませ」
ボーマンは恭しく手を差し出してくれた。それに自身の手を重ね、玄関扉まで続く数段を登り切る。
開けられる扉の先に正しい未来を誓い、気持ちを新たに一歩を踏み出した。
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