第134話 顛末

 穏やかな光がまぶたを透過して、優しく目覚めを促す。

 恐ろしい戦の音は、もうしない。


 そっと目を開けると、ベッドに寝ていた。

 暴動が起きた、それはきっと悪い夢だったのだ。こうして目が覚めれば、平穏な日が続いているではないか。


 そう思ったのも束の間。

 ここは自分の部屋ではない。

 寝起きの頭が理解すると、一気に血の気が引いた。


 だるくて重い体を動かし、仰向けから横に向きを変える。見える範囲にはテーブルやソファが置かれていて、値の張りそうな高級感を放っている。どうやら貴族の屋敷のようだ。リアにそこまでしてくれる人は一人。ここはボーマン邸だと、とりあえずの結論を立てた。

 聞きたいことはてんこ盛りだが、近くには誰もいなかった。起き上がって部屋を出るには体力が足りない。もどかしいが、そのまま誰かが訪れるまで待つことにした。


 静かな室内で暴動を思い出す。人々の叫び、嫌な臭い。すべてが鮮明に脳裏へと焼き付いて、消えない痕となっている。決して夢などではない。


 リアはラフィリアの力を使えるようになって、ユージーンを消滅させた。

 民を救済するため尖塔に登り、がむしゃらに祈った。

 上手くいったのだろうか。ユージーンは本当に消えたのだろうか。

 不確かでつらい現実から身を守るようにして、真っ白な布団に包まる。

 早く誰か来てくれないか心待ちにしていたところ、扉の開く音が耳に届いた。

 リアはここぞとばかりに身じろぎをし、シーツの擦れる滑らかな音を立てる。


「す、すみませーん……」


 声を振り絞ってみると、絨毯を踏む音が忙しないリズムに変わった。

 高く結わえた豊かな赤毛が印象的なドロシーだ。黒い大きな瞳が今にも泣き出しそうに細められた。


「リア様っ! 良かった……お目覚めになられて……」


 仲良しのメイドは目尻を指でこすり、涙を見せまいとする。

 起床しただけでそんなにも喜んでくれるなんて、なんだか照れてしまう。


「ドロシー、私、どうして……」

「リア様はこの国の救世主です。今、ボーマン様をお呼びいたしますので、お待ちください」


 ドロシーは、興奮冷めやらぬ口調で捲し立てるのと同時にきびすを返す。いつもの落ち着きを忘れて、どたどたと足音荒く部屋から退出していった。

 どんな時でも冷静で、皆から一目置かれていたはずの彼女がスカートの端を翻して走るなど初めて目撃する。一体この国はどうなったのだろう。

 悪い状況にはなっていないようで、それは安心だ。リアはベッド上で半身を起こした。

 寝間着に着替えさせてもらっていた体を確認してみれば、傷などは一つもなかった。しかし、どうにも体が重い。腰など、鉛を入れられているかのように鈍痛がする。

 ラフィリアの力を使いすぎた弊害だろうか。死ななくて運がよかったと、リアは己の強運に感謝した。


 それから間を置かず、扉を跳ね飛ばすような遠慮のなさをもって誰かが押し入ってくる。びくりと肩を震わせ顔を向ければ、グラスを片手に持ち、こちらが驚くほどの熱意を顔全体に表現したボーマンと目が合う。リアが挨拶をする前に、彼は威厳も礼節もかなぐり捨ててベッド脇まで走り寄ってきた。


「リアさん! 体の調子はどうかい!?」

「刺された時よりは楽です。ものすごくだるいですが」


 ははは……と笑うリアに、ボーマンはグラスを差し出してくれた。中の水がこぼれそうな勢いが、彼の興奮を如実に伝えている。

 気持ちの激しさに気圧されてしまうが、喉が乾いている事実は無視できないので、ありがたく受け取った。

 何事にも鷹揚に構えていて、紳士的なボーマンまで自制心を失うほどの偉業を自分は成し遂げたのだろうか。


 尋ねるのは後にして、リアはまず一杯の水を飲み干すことにした。喉がからからなのだ。

 体に染み入る水分はそれだけで活力を与えてくれる。

 すべて飲み終えて一息つくと、ボーマンは待ちきれないとばかりに口を開いた。


「リアさん、あなたは本当にすごいよ!」

「私、いったいどうなって?」

「あなたはこの都市を、いや、この国を救ったんだ!」


 リアを映す空色の瞳は希望の輝きだけでなく、救世主を前にした畏敬の念も込められている。


「あなたの声と姿が暴動のさなか、目の前に浮かんだんだ。争いを止るようにと、傷だらけで祈る姿がね」


 あの時は何も考えられないほど、死に物狂いだった。

 ボーマンの様子からすると、暴動は無事に収まったと見ていいだろう。

 ほっと息をついてから、話し足りなくてそわそわしてしまっているボーマンの続きに耳を傾けた。


「皆、突然頭に入り込んできたリアさんの声を静聴していたよ。そうしたらね、負傷者の傷がみるみるうちに癒えていったんだ! 人々の驚きと喜びの混じった声が次々と上がり始めて、それはもう奇跡のようだった!」


 次第に声の調子が高まっていき、陶酔するような響きを持ち始めるボーマンに、少しだけ居心地の悪さを感じる。リアは、自分だけは浮かれまいと真顔を装い、流れを少しだけ変えることにした。


「主様はどうなったんですか? 私、主様を消滅させたと思うんですけど」

「あれから三日経つが、どこを探してもいない。治安部隊が捕まえたユージーン様の部下も、突然消えたと証言している」

「騎士長は……」

「騎士長とクラリス嬢は姿をくらませた。どうやら騎士長がクラリス嬢を預かっている屋敷に出向き、暴動の混乱に乗じて連れ去ったらしい。賊の襲撃に遭い、重傷を負った彼女は医師の手当を受けた後だったとの事だが、どうなったか」

「騎士長は何をするつもりなんでしょうか……」


 絶対に企みがあるはずだ。それを思えば気分は晴れず、顔色は暗くなってしまう。


「気がかりではあるが、彼は既にこの都市にはいないと確認済みだ。当面の脅威は去ったと見ていいだろう。主派だった貴族は軒並み大教会の中枢から罷免され、ラフィリア派だった貴族も一部罷免。今は中立だった貴族が国の復興に奔走している」

「よかった……何とか国は上手く回りそうなんですね」


 暴動など、あの一日だけで充分だ。もう二度と起こらないでほしい。

 安堵し、胸を撫で下ろすリアを見届けてから、ボーマンは浮ついた喜びを押し込めて表情を引き締めた。


「リアさん。ここに住む民が、あなたこそ本当のラフィリア様だと讃えているよ。これからは、あなたがこの国を背負うことになるだろう」

「はい。それは私も承知しての行動でした」


 手元の掛け布団を強く握り、間を置かずにはっきりと答えた。

 まだ明確な指針は無いが、『リア』としての生き様をここで一新する必要があるのは理解している。

 その前に一つだけ、どうしても聞きたいことがあった。


「フランとドルフはどうなったんですか?」


 彼らは崩れ行く尖塔からリアを助け出してくれた。お礼の一つくらい伝えられたら、なんて甘い考えが浮かぶ。


「彼らはね、今朝、この都市を発ったんだ」

「……そうですか……」


 現実は厳しいものだった。

 目を伏せるリアの気持ちを推し量るように、ボーマンは沈痛な面持ちで説明をしてくれる。


「総政公は免職処分になり、政治への関与を一切禁じられた。その上で、この都市からも追い出す形になって。彼ら一家はまだオルコット邸にいるが、近々地方に移り住む予定になっている。フランシス君とアードルフ君はそれに先駆けて、今日ここを発ったんだ」


 ボーマンは変に期待を持たせないように配慮し、情を挟まず言葉を切った。

 この先、フランやドルフと再会するのは望めないと、重たい口調から察せられる。

 一言だけでも感謝を告げたい、そう願えば連絡を取ってもらえるのかもしれないが、それをあえて口に出すことはしない。もう終わったことだから。


 オルコット家が失脚したことでラフィリア派の力が弱まり、主派は壊滅。リアがラフィリアとして人々の信頼を勝ち取った。

 それが結末だ。

 これからはリアが反ラフィリアを主導していくことになる。未だ不安や迷いは捨てきれないけれど。


「リアさん、今は体をゆっくり休めてくれ。今後の事は体調が戻ってから改めて話そう。――先ほどお医者様を呼んだから、また来るよ」


 ボーマンはリアをねぎらうようにして一礼し、そっと部屋の扉を閉じた。


 柔らかな陽の光が差し込む部屋で一人になったリアは、起こしていた上半身をそのまま布団に倒れ込ませた。ふわふわな枕に頭の半分ほどが埋まり、視界を狭める。天井には豪華絢爛なシャンデリア。

 きっとそんな風景はすぐに見慣れるはずだ。

 今日から新たな生活が始まる。これまでとはまったく違う生活が。

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