第133話 覚悟の先

 ひたすら続く階段に息が上がる。

 喉が張り付く感覚が苦しさを助長させ、足の筋肉が限界を叫ぶ。それでもリアは止まらない。

 肩を激しく上下させながらも、一歩ずつ着実に上を目指す。

 ちらちらと背後を確認するが、追跡者はまだ来ていない。

 自分の息遣いと足音だけが音楽を奏で、徐々に他の存在が蔑ろになっていく。


 このまま最上階まで行ける、そんな慢心がほんの少しだけ足を緩めさせる。そんなリアを叱責するように、少し先の壁が粉砕した。

 どっ、とつぶてが飛び、リアは階段を転げ落ちる。飛んできた細かい石塊いしくれに肌を裂かれた。


 運良く、すぐに体は止まった。うつ伏せになっている体を階段上で起こすのは難しい。これ以上落ちないよう、這うようにして段差に腰掛けた。あちこちが切れて血が制服を濡らしている。幸いにも大きな怪我はなかった。すぐに先を目指し、瓦礫がれきをよじ登る。


 この尖塔が狙われたということは、リアがここにいると気づかれてしまったということ。

 今の一撃で階段の一部が壊れたものの、まだ進める。姿勢を低くして、大穴が開いた箇所を素早く通り過ぎる。ちらりと見えた野外にはたくさんの人がいた。あれが全員騎士長の配下だと思うと、勝ち目はないのではと弱気になる。それでも、やれるところまでやるつもりだ。


 早く、上へ。


 まだ塔は崩壊していない。それがリアに与えられた答えだと信じ、先の見えない階段に小さな靴音を刻みつけて進む。

 もうすぐ終点だろうか。そんな時、頭上が割れた。天を裂くような破壊音が耳をつんざく。


 三度目の攻撃は、これまでで一番リアのそばで起こった。気が付いた時には吹き飛ばされ、上下左右の感覚を失った。目を開ける暇さえなく、恐ろしい揺れと音がリアを襲う。近くに重量物の落ちる気配を感じるが、避ける余裕なんてない。当たらないことをただ祈るのみ。


 爆発を起点にして尖塔は崩れ始める。

 体を容赦なくなぶ石片せきへんは、リアを嘲笑うかのように致命傷を避けて痛覚だけを刺激していく。


 死ぬかもしれない、そんな恐怖が無かったわけではない。だが、崩落が収まったその時、リアはまだ生きていた。上の階はすっかりなくなってしまっていて、青々とした空が見える。

 まるで、ここがリアの舞台だというかのように、太陽がスポットライトを当てている。


 横たわっていた半身を起こせば体中が痛む。

 左腕に激痛が走り、まったく動かすことができない。骨が折れてしまったのだろう。手当てをしている時間はない。脂汗をかきながらも、瓦礫の間に足場を見つけてしっかりと踏みしめる。町が見渡せた。いたるところで火の手が上がり、煙が薄く覆っている。

 ここまでも聞こえて来る怒号や悲鳴。それに混じる火薬や鉄の匂い。昨日とはまるで違う場所にいるようだ。


 ここで、それを終わらせる。


 リアは折れていない右手を胸に当て、望みを強く念じる。

 どうか、私の声を町全体に届けて、と。


 決意を携え、眼下に広がる都市を一望する。

 下から吹き上げるそよ風が、首元で揺れる焦げ茶の髪をふわりと躍らせ散っていく。


 今から大切なことを皆に告げる。

 大教会の黒い制服をぼろぼろにして、体中傷だらけの小娘の言うことを信じてくれるかどうかなんて不確かだし、これを口にしてしまったら後戻りはできないとわかりながらも。

 一番平和的な収め方がこれだから。


 リアは一度だけ天を仰ぐ。晴れ渡り、雲ひとつない晴天だった。

 泣きそうな顔を知るのは大いなる空だけでいい。後悔も、寂しさも、やるせなさも、すべてひっくるめた負の感情を余すことなく蒼穹そうきゅうに託した。


 残ったのは確固たる意志だけ。決然と前を向く。


 ――すべての民に幸福を。


 リアは口を開いた。


「私はラフィリアの生まれ変わりです。皆さん、争いはやめてください。そんな悲しい事を私は望んでいません」


 さっ、と怒号が凪ぎ、完全な静寂が訪れた。

 風を切る音だけが耳元でリアを見守っている。


 ラフィリアに成り代わる。――それが、リアの選んだ未来だった。


 ラフィリア信仰が根強いこの都市での効果は覿面てきめん。多くの人が耳を傾けている。

 この時を逃さずにリアは畳みかける。ラフィリアだと信じてもらえるよう、堂々としたまま。


「モグラの主であったユージーンは滅びました。もう争いは終わりです。どうか、すべての民に祝福を」


 傷ついた人を癒してと、切願する。

 体が温かくなり、指先まで血が通うのを感じる。きっとこれが力を使う感覚だ。もっと、もっとと奮い立たせる。


 こんな事をしても、自分が力を得た代償として壊してしまった幸せの代わりになるとは思わない。けれど、少しでも多くの人を救いたい、ただその一心だった。


 成果はここにいたのではわからない。徐々に意識が朦朧としてきて足がふらつき、倒れこんでしまった。危うくそこら中に散らばる瓦礫に頭をぶつけそうになるが、そのひとつに手をつくことができた。

 力を使いすぎれば死ぬと、フランシスが言っていた。それが何度も何度も、脳内で勝手に反芻はんすうされる。


 それでもリアは瓦礫に身を任せたまま、構わず祈り続けた。

 自分の命など、どうなってもいい。この力は国民の犠牲の上に成り立ったものだから。国民のために死ねるのなら本望だ。


「どうか、争いをやめてくださいっ」


 渾身の迫力をもって唇から発した瞬間、がくりと足元が崩れた。今度は自分のせいではない。

 度重なる攻撃に塔が耐えられなくて崩壊したのだと、頭の冷静な部分が理解した。

 なすすべなく残骸と共に落ちていく。

 体力の限界なのか、体には少しも力が入らない。

 果たして自分は多くの人を救えたのだろうか。暴動は沈静化したのだろうか。

 それを知る手立てはもうない。


 疲れ果て、わずかに開いていた目を閉じた。視覚を閉ざすと思考が活発になっていく。


 暴徒が武器を捨ててくれたのなら、治安部隊が制圧するのも少しは楽になるだろう。

 コンラッドに託された遺書を、奥さんへ届けられそうもないのが悔やまれる。


 フランとドルフは無事だろうか。彼らはリアのために大教会を守ってくれたらしい。とても嬉しいが、そこに自分が足を踏み入れることはもう無いだろう。それならば、初めから安全な場所に逃げていて欲しかった。

 結局、二人には想いを告げられず仕舞いのまま。今ここで死ぬのはそれだけが心残りだ。どうか、二人に幸運がやってきますように。そう願った。


 体に打ち付けられる様々な衝撃は感じるが、もうあまり痛覚は機能しない。落下に逆らわず、この世から去る時を待つ。


「リアっ!」


 遠のく意識の端で名を呼ぶ声が響き、リアを死の淵から呼び覚ました。

 よく聞き慣れた声だ。

 これまで何度もその声で名前を呼んでもらった。

 これからもたくさん呼んで欲しかったな、なんて柄にもないことを思う。柔らかで、ちょっと軽薄そうな声音は、今やその穏やかさは鳴りを潜めている。切迫した強さが前面に押し出され、リアの感情を鋭く揺さぶる。


 幻聴かと思ったが、体を包み込まれる温かさと共に落下の感覚がなくなった。

 これは夢うつつの妄想ではない。

 間違いなくフランだ。そう実感するのと同時に、どすんと、どこかへ落ちたような衝撃が走った。フランの呻きが耳のすぐそばで聞こえるが、体はちっとも痛くない。


「リア! フランシス!」


 ドルフの声が足音と共に近づいてくるようだ。二人の顔が見たくて、重い瞼を気合で上げる。まず目に入ってきたのは黒い布地だ。リアはフランを下敷きにしていた。慌てて体をどかそうとするが、うまく動かない。折れていない右腕が少しばかり動いただけだった。


 意識も鮮明とは言えず、強烈な眠気を耐えているような鈍い感覚だ。

 フランはぐったりしているリアを支えながら、ゆっくりと上体を起こしていく。その間に左腕の痛みが引いていくのは、彼が奇跡の力で治してくれたからだ。リアとフランを包み込む光の粒は幻想的で美しい。


 苦痛が無くなって少しだけ落ち着きを取り戻せば、目に映る景色が気になりだす。

 惨状だった。周りは大小様々な破片が無造作に地面に食い込んでいる。

 恐怖を感じるが、傍らのドルフが容赦なく降り注ぐ瓦礫の重力を操作し、当たらないようにしてくれていた。座り込んだまま下から見上げる彼の横顔は、凛々しくて頼りになる。

 ここは尖塔のすぐ脇のようで、無情に崩れ去る様子をフランの胸に抱かれたまま見届ける。助かったのだと、安堵がより眠気を誘う。


 しばらくすると地響きは止み、完全に崩壊が止まった。それを合図にドルフはこちらを振り返り、しゃがみ込んでリアと視線を合わせた。その顔はみるみるうちに涙で歪んでいく。


「リアっ! なんでお前、あんな無茶をっ!」


 子供のように声を上げて泣く彼がとても愛おしい。手を伸ばしたいが、あいにくそんな体力は残っていなかった。

 ドルフの言葉を継ぐようにして、フランがリアを強く抱きしめる。どこにも行かせない、そんな強い意思を感じる程に。


「どうしてキミはそんなに生き急ぐんだ。勝手にどこかへ行っては駄目だと言ったじゃないか」


 狂おしいほどの愛情が本物だと知っているから、こそばゆい。

 ドルフの手がリアの手と重なり、強く握られる。

 瓦礫の中で服が汚れることも気にせず、立ち上がれないリアを包み込むようにフラン、ドルフは後ろと前からとてつもない愛をくれる。

 三人でこんな場所に座り込んで、一体何をしているのだろうか、そんなふうに思えるほどリアの心は穏やかだ。


 自分はとんだ幸せ者だと幸福に身を委ねながらも、それを断ち切るように、フランの腕の中で身じろぎをする。

 だるすぎてうまく動かない体に鞭を打つ。

 二人に想いを伝えるために。


 昨夜とは大きく変わってしまったが、後悔はない。

 少しばかりわだかまる未練を断ち切るために、自ら終わりを告げる。


「私は、国民のために生きる……。この力は、みんなの幸せを奪って得たものだから……。私が、ラフィリアの代わりになって、この国を、導く」


 かすれてしまって聞き取りづらいはずなのに、二人とも一言一句を聞き逃さないとばかりに心血を注いでくれる。

 彼らへの個人的な慕情は胸の奥にしまって生きていく。それがリアの選んだ道だ。


「ごめんね、あなたたちとは一緒にいられない……ごめんね……」


 ――本当は、ずっと一緒にいたかったのだけれど。


 相通じていたはずの縁は、ここでぷつりと途切れた。


 薄れゆく意識は寂しさをも曖昧にし、やがて、光の中に吸い込まれた。

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