第132話 光の覚醒
長い間モグラを牛耳り、主様と呼ばれて畏敬の念を持たれていたユージーンはリアに対し、明らかに畏怖していた。
膝をついたまま床に爪を立てて悶えている。ラフィリアの力が覚醒した時にユージーンも変調をきたしたのだろうか。どうであれ、そんな些事は構わない。
リアは汚れて皺になってしまった制服を軽く手で払い、裾を伸ばす。
焦る必要はない。振り仰いで、ひとつずつ状況を確認する。
騎士長やその部下たちはユージーンの怯え方に戸惑い、何もできず立ち尽くしている。圧倒的強者だった指導者が見せる情けない姿を前に、虎の威を借る狐だった彼らはしばらく何もしてこないだろう。
リアのすべきことは決まった。
ここへ来る前の自分とは違う。体の中に力が
フランシスが言った通り、今のリアならば人々を救済し、この暴動を止められる。
リアの中に宿った力は人々の幸せを取り上げ、踏み躙って手に入れたものだと知った今、なすべきことはひとつ。
国民のために生きる。
それが望みのすべて。全身全霊を懸けて成し遂げたい目標ができた。
「ラフィリアの力よ」
ユージーンをひたと見据える。これまでの怨みを込めて。
胸に当てた手に意識を集中すれば、熱が渦を巻く。
とても暖かく、従順だ。
「やめろ……やめてくれ!」
喉を絞るようにして、ひり出される必死の懇願が聖堂内の空気を汚染する。
そんなもの、取り合うはずがない。
大事なものをたくさん壊されたのだ。この国という一番大切なものまで滅茶苦茶にされるわけにはいかない。
リアは穏やかに息を吸う。
「リア・グレイフォードの名において、ユージーンを消してください」
ゆっくりと、落ち着いて声に出した。
迷いは無い。自分には守るべきものが多くある。そのために強く念じる。
胸元で重ねた手から温柔な白光が溢れ出し、ユージーンを取り巻いた。巨体がゆらりと歪んで朧げに霞んでいく。
「やめてくれぇ! なんでもする! あなたに従う!」
裏返り、脳天から発せられる情けない叫びが、神聖な聖堂を汚く濁す。
無様に尻を床につけて後ずさりする姿は哀れだ。
「やめろこのクソアマ!」
ここでようやく騎士長が動き出した。
陳腐な怒号を上げ、鞘から抜いた剣を振りかぶって斬りかかるものの、動揺に太刀筋がぶれて狙いが定まっていない。
すぐさま、守ってと祈ればリアの体に神聖な光の膜が覆い、見えない壁となって剣をはじいた。固い音が反響した瞬間、刃は見えない力に包まれたかのように粉々に砕けてしまった。
きらきらと舞う鉄粉にはリアも驚くが、それを口に出してやる暇はない。今は一大事だ。
「あなたは騎士団を町から撤退させてください」
切に訴える。ここで騎士長を痛めつける気はない。早く暴動を止めてもらいたい、その一心で瑠璃色の瞳を真っ直ぐ射止める。
「こっ、こいつを殺せぇ!」
理解のない一言にリアは落胆する。どうしてわかってもらえないのだろうか。
柄だけになってしまった剣を握る手は大きく震えていて、顔面蒼白だ。本当は逃げ出したいのだろうが部下の手前、背中を向けて遁走するには矜持が邪魔するらしく、恐怖を誤魔化すように命令を喚き散らした。
それを聞いたはずの部下たちだが、光を携え聖堂内をより一層輝かせるリアを敵わない相手だと悟り、武器を捨てて我先にと聖堂から飛び出していく。
悶え苦しむユージーンを助けることもせず、足をもつれさせて派手に転ぶ者、それを踏みつけて行く者、十名の騎士は恥も外聞も無く己の命を優先していった。
哀れな者たちを見送るリアの横で、一つの声が存在を主張し始める。
「リア様! あなたは素晴らしい! だから、だから命だけは!」
光に呑み込まれるように姿を不確かにしているユージーンは、もがきながら未だ惨めに縋ろうとする。
見事なまでの命乞いに、失笑が口をついて出た。
ユージーンはこの暴動を主導し、数えきれないほどの人を恐怖に陥れて日常を奪ったというのに、それを反省することもなく我が身可愛さを動機に薄っぺらい媚を売るなんて浅ましい。その姿勢には同情のひとかけらだって見いだせない。
リアは人生の中で初めて、軽蔑という感情を知った。
這いつくばるユージーンを、冷めた眼差しで無感情に見下ろす。この自分勝手な男に動かしてやる感情すらない。
「私はあなたを許せません。五百年以上生きたのでしょう? 充分だと思います」
氷のような宣言と共に、もう二度と姿を見たくないと念じる。光はその願いに呼応するように温かさを増して、ユージーンの姿を薄煙のようにかき消していく。
「やめろっ! 私の国が……私の国がぁぁぁぁぁ!」
暖色の光はユージーンの無念ごと包み込んで収束し、白を基調とした色合いの聖堂内をより一層清浄させるようにまばゆく照らし出して、泡沫のように消えた。
夢のような
そちらに毅然として体ごと向き直れば、騎士長はびくりと肩を震わせる。先ほどリアを足蹴にした時とは別人のような怯えぶりに惨めさを覚える。
「あなたは暴動を止めて下さい。あなたたちの首謀者であるユージーンは消滅しました。もう何をしても無駄です。私はあなたの命まで取りたいとは思いません。ですが、まだ抵抗し、暴動を続けるなら実力行使もやむを得ません」
しっかり聞き取ってもらえるよう、指示とほんの少しの脅しを簡潔に伝える。
騎士長は唇を震わせ、使い物にならなくなった剣の柄を放り投げて聖堂の外へ駆け出していってしまった。
誰もいない綺麗な聖堂にリアは一人残される。
驚くほど静かだった。広い空間は外部の
リアは左右、そして後ろを振り返り、聖堂内にくまなく視線を走らせる。もう誰もいない。
本当に、ユージーンは消えた。
そう思うと、どっと疲れが押し寄せてその場にへたり込んだ。
頬を伝って顎に流れる汗を手の甲で拭いながらも、目つきは鋭いまま。
おそらく騎士長は暴動を止める気はない。自分だけ逃げ出すか、部下を連れて無計画にリアを殺しに来るだろう。
騎士長が声をかけたとしても事態が鎮静化するのに充分とは思えないが、このままでは暴動の意味も理由も必要としないただの興奮した暴徒が、本能のままに暴力を振るい続けてしまう。
数が多すぎて鎮圧するには圧倒的に武力が足りない。町を逃げている時に痛いほど感じた絶望が蘇り、胸が絞られる。
それでもどうにか鎮めなければならない。
――でも、どうやって。
リアは手のひらを見つめながら必死に思考を巡らせる。
自分にはラフィリアの力がある。
暴徒を殺害してしまうのが手っ取り早いが、それはしたくない。
ならば、人々の心に訴えかけることだ。
今の自分なら、できる。そう確信し、重たい足に力を込めて立ち上がった。
眉間を指で叩きながら、人々の視線が集まる場所を精査する。この聖堂近辺で高い場所――そう考えたところで、奥に建てられている尖塔が思い浮かぶ。
監視目的に造られたそこはうってつけだ。
「あそこなら、周囲が見渡せる」
希望はリアに力をくれる。顔を上げ、演壇の右隣にひっそりと位置する扉へ向かう。
数段を降り切り真っ白な絨毯を踏んだところで、聖堂の出入り口が破裂音にも似た音を立てて勢いよく開いた。
「あいつだ! あいつがユージーン様を殺した!
神経に
たくさんの部下や貧民を連れ、先ほどの情けない姿はすっかり有頂天に変わっていた。
思った通り、どうしようもない愚か者のようだった。
それに構わず、リアは哀れみの蔑視を一秒だけ投げて奥へと駆け出した。逃がすものかと
苦肉の策として、リアは元々自分の力だった光を使い、追っ手の目をくらませてから一気に速度を上げた。
奥への扉を勢いのままくぐると、左と右に長い廊下が続いていた。尖塔は右側だ。立ち止まったのはひと呼吸分だけで、すぐに先を急ぐ。
まだ人の出入りが少ないため、傷や汚れが一つとない廊下の先に簡素な扉が待つ。中がどうなっているかなんて知らないが、慎重になっている時間もない。
リアは自分の運に賭けて飛び込んだ。
結果として扉の向こうに危険なものはなく、誰もいなかった。気が緩んだのも瞬き一回の間で、リアの足が廊下から離れたのとほぼ同時に、後ろから轟音が響いて建物が振動した。後を引く地鳴りがしばらく続く。
爆薬を使ったのだと思い当たるのに時間はかからない。
一応主派はラフィリアの信仰を掲げていたはずだが、その聖堂を破壊するとは、もはや理想も何もない。ただ戦をしたいだけだ。
この尖塔に向かったと気づかれてしまえば、建物ごとリアを殺そうとするだろう。
それならば、一刻も早くここからは脱出した方がいい。
リアは、目の前にひらけた螺旋階段を鋭く睨みつける。苦悩と少しの
今は足を止める気も、自分の安全を第一に考える気もない。
早く皆に届けなくてはならないものがあるから。
螺旋を描く階段の一段目に足をかけ、もう葛藤する時間は終わったのだと、力強く駆け上がった。
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