第130話 ユージーンの企み
新聖堂を訪れるのは二回目だ。
白亜の聖堂が温かな太陽に照らされて、より一層輝いている。戦渦であっても少しの
門をくぐれば、そこにはたくさんの貧民が
精悍な騎士長と捕らわれたリアの姿を見て、歓喜の雄叫びが爆発する。
――エリック様のお帰りだ!
――救済の時は近い!
皆が押しかけ、異様な興奮の波を作り出す。一同の視線がこちらに集まると騎士長は足を止め、後ろ手に拘束しているリアを引っ張り矢面に立たせた。
「こいつが俺を侮辱し、ユージーン様の邪魔をする女だ!」
高らかな主張と合わせるようにして、貧民から悪意のある卑劣な言葉が発せられる。
それが渦を巻いて攻撃性を増し、リアから希望の光を奪おうとする。
罵りや、聞きたくないような酷いものが縦横無尽に走り、その中を騎士長の演説が鋭く飛んでいく。
「今はまだ殺すべき時ではない。ユージーン様に引き渡して全てが終わった後、皆でこいつを殺そうじゃないか!」
大歓声が大嵐のように吹き荒れる。
「だが、それでは俺の気が済まない。まずは一発だ」
騎士長はリアの前に立ち、無造作に拳を振り上げた。その目には慈悲など微塵も無い。
頬骨に衝撃を受け、リアは脳を揺さぶられる感覚と共に地面へ叩きつけられた。
下衆な
次いで、倒れ込むリアのこめかみが踏みつけられた。
何度も、何度も、靴底が頭を打つ。
「こんな弱いアマはすぐに殺せる。俺は今すぐ殺してやりたい」
大勢の熱狂ぶりに気をよくしたのか、俳優にでもなったかのように熱弁し、皆にその熱意を焼き付けるようにして拳を握る。
時間をかけて己の強さを見せつけてから、ようやく踏み
「この続きは後のお楽しみだ」
騎士長は地面に横たわったままでいるリアの腕を引き、我が物のように配慮もなく扱う。
痛む頭を上げ、リアは怯むことなく騎士長を睨み付けてやる。いくら暴力を振るわれても屈することは無い、その意思表示だ。
反抗的な視線に激昂し、また痛めつけられるかと覚悟したが、騎士長は緩慢な動作で聖堂に足を向けた。
横へ控えていた騎士団の部下がさっと動き、ここへ来た時のようにリアの四方を包囲して歩き出す。
貧民たちの不浄な声に追い立てられるようにして、新聖堂の入り口が間近に迫る。
こんな時にもかかわらず、空から降り注ぐ柔らかな太陽の光は穏やかだった。助けてくれるわけではないので憎らしい。
真新しい両開きの扉は傷一つない木製だ。年輪が幾重にも重なり、建築して月日が浅い聖堂に見せかけの重厚感を与えている。
騎士長はためらいなく扉を開けて中へ踏み入った。
「ユージーン様、例の女を連れて参りました」
広い聖堂の隅々まで行き渡るような溌溂とした声に体を向けたのは、壇上にいるユージーンだ。
騎士長はユージーンに見せるようにしてリアを前へ出す。歩けと数度乱暴に背を押された。
リアの置かれた状況は最悪だ。相変わらず十名の騎士に取り囲まれていて、逃げるには分が悪すぎる。今ここでできることはない。演壇へと一直線に繋がる真っ白な絨毯を仕方なく進む。
一歩踏み出す度にどうするべきか必死に知恵を絞るが、もはやどうにもならない、そんな諦めの結果しか導き出せなかった。
高い天井のすぐ下には窓が連なり、よく晴れた日であるので照明器具いらずだ。明るい自然光に導かれるようにして演壇上に佇むユージーンの元へ近づく。
このままリアの持つ力を取られてしまえば国が崩壊してしまう。
どうしたらそれを止められるのか。
妙案は浮かばないまま、ユージーンとの距離だけが縮まっていく。
そのうちに演壇への階段に足が掛かり、一歩を踏み締めるようにゆっくりと登っていく。ささやかな抵抗だが、それはほぼ意味をなさない。
壇上に到達してしまえば、リアより頭三つ分は大きくて体格の良いユージーンが退路を断つように立ちはだかる。身に纏う衣服は王にふさわしい最上級品だ。
騎士たちは演壇下で一列に並んで跪き、騎士長はユージーンへ恭しく一礼してから斜め後ろに逸れた。
演壇の空気が、底冷えするような張り詰めたものに変わる。
リアとユージーンの一騎打ちを執り行う舞台が出来上がったのだと悟った。もう逃げられない。
まず、ユージーンがリアとの距離を一歩詰めた。
「まさか、あなたの中にラフィリア様の力の核があるなんて、盲点でしたよ」
ゆったりとした所作に焦りや急く様子は見られない。強者の余裕を漂わせた笑みがリアを迎える。
「わかったところで、あなたに取り出せるんですか? 降光祭でラフィリアは失敗しましたけど」
生意気に挑発し、
ユージーンの感情は振れる事無く、高窓から入る陽光を受けて大きく頷いた。
「降光祭からの時間、私はただ無下に過ごしていたわけではありません。総政公を使い、力を取り戻す方法を見つけました。ようやくすべての準備が整ったので、今回あなたをここにお呼びした次第です」
「そんな簡単に取り出せるとは思いません」
屁理屈をこねるのはただの時間稼ぎだ。
もはやこの状況でリアに勝ち目はない。そうだとしても、無様に怯えて終えたくはなかった。強く、真っ直ぐ、残忍な
ユージーンは、聞き分けない子供のような態度のリアにも丁寧に付き合うと決めたのか、筋張った顔を笑みの形に作り変えた。堀の深い顔に光が当たらない影ができる。
「フランシス・オルコット。彼は五百年前に私の国で政務官をしていました。中々に細かくてうるさい男でしたよ。ですが、今回はそんな彼の性格に感謝しなければですね」
懐から一枚の紙を取り出し、見せつけるように掲げる。
それは、びっしり文字で埋め尽くされた覚え書きだった。
「彼はなんでも書き残しておかないと気が済まない性質でね。あなたから安全に力を取り出す方法も、しっかりここにありましたよ」
うそ! と声に出てしまいそうだったが、何とか唇で止めて動揺の隠蔽に努める。
「ここまで大変だったのですよ。あなたから力を取り出すのはラフィリア様本人を前提にしていたので私では力が足りず、国民の奇跡の力、つまりラフィリア様が分け与えた力を集めて、ようやくあなたから力を取り戻せるまでになりました」
言外に別の意味を含ませるようにして目を細め、口角をわずかに上げた。
「じゃあ……降光祭の後に奇跡の力がなくなったのは……」
語られる真実は、一つの重い結論をちらつかせる。
その先を聞きたいと切望するのと同時に、聞きたくないと悲鳴を上げる心が感情を掻き混ぜ、現実感を失わせて足元をおぼつかなくさせる。
「あなたからラフィリア様の力を戻すため、多くの人から力をいただきました」
責めるように強調される言葉を投げられ、リアは崩れ落ちるようにその場へ座り込んだ。
この国で暮らす人々の日常と幸せを奪ったのは、自分だった。
間接的とはいえ、大勢を悲しみに落としていたのだと知り、リアは顔色を失う。
親子の絆を壊したのも、恋人を引き裂いたのも自分がいたからだと。
視線は床の一点を映したまま動かない。
「あなたがラフィリア様の核を持つなんて不相応な存在であったから、国民は力を失い、引き取り屋なんてものに搾取されたのですよ」
上から落とされる重く尖った非難は、リアに追い打ちをかけていく。
正気を保とうと体に腕を回す。
自分が望んだものではない、押し付けられただけだと脳内で言い訳を並べるが、突然力を奪われたことで引き取り屋に買われていった人やその家族、知人は許しはしない。責めるだろう、リアの存在を。
情状酌量、そんな甘い言葉は通用しないほど、たくさんの人生を捻じ曲げてしまったのだから。
どうやって詫びればいいのだろう。どうして挽回すればいいのだろう。
事実の衝撃がリアを引き裂き、体から力が抜けていく。
人形のように動かないリアを仰向けに寝かせてから、ユージーンは天井へ両手を掲げる。
「さあ、数えきれない犠牲の上に成り立つ力、返してもらいますよ。ラフィリア様を完全復活させ、新たな国をつくりましょう!」
強く頭を押さえつけられたが、抵抗する気力すらない。
ユージーンが何かを唱えているのが見聞きできる。手から光が溢れ出し、それをリアに纏わせるように大きく腕を動かせば、ヴェールのように体が覆われた。
ユージーンは滞りなく儀式じみた一連の動作をしていく。その様子をただぼんやりと、意味もわからず見送る。
リアの顔に向けて手を突き出し、勢いよく知らない言語を発した。
それを発端にしてリアの体は暖かくなり、どくん、とひとつ鼓動が跳ねる。
死の恐怖も感じ取れないまま、失心して事の成り行きに身を任せていたのも一瞬で、瞬きの後、リアの瞳は知らない部屋を映していた。
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