第129話 愛する者のために
町の中心部から離れるほど混乱は少ない。今のうちにボーマンの用意してくれた馬車まで辿り着かなければ、この都市からの脱出が難しくなってしまう。
戦闘を避けて進むうち、駅のそばに差し掛かる。そこは既に占拠されてしまっていた。
普段は利用客で賑わう通りには武装した集団がたむろし、とても機能しているとは思えない。その証拠に、騎士団の腕章をつけた大勢が入り口前に立ちはだかって周囲を威圧している。
コンラッドはすぐに
リアは黙って彼について行く。建物と建物の間に通る薄暗い小道を進みながら、列車に乗ってみたかったな、なんて現実逃避じみたことを考えていた。
走り、時に物陰で騎士団をやり過ごして少しずつ前進する。神経がすり減る時をあとどれだけ過ごせば、この戦乱から抜け出せるのだろうか。
路地裏のような細い道にまで無理やり馬車が通り、案の定立ち往生して人々の
ひしゃげた街灯、抉れた建物の壁、倒れる者たち。右往左往する人の中を泳ぐようにかき分ける度、心は痺れて感覚が鈍くなっていく。
淡々と先を急ぎ、目的の貴金属店まで半分以上近づいた。
わずかに気が緩んだ時、目の前の路地から急に人影が飛び出した。逃げ惑う住民かと思ったが、大教会の制服に騎士団の腕章が誇らしげに付いている。
抜き身の長剣に日光が反射し、一瞬目がくらんだ。
待ち伏せをされていたのだと理解するよりも早く、コンラッドに突き飛ばされ地面に転がった。
上手く受け身を取れず、左腕が地面と擦れて痛むが、それどころではない。
宙を舞う鮮血。
コンラッドは左半身に太刀を浴びて苦痛に顔を歪ませながらも、腰に下げていた剣を抜き放って騎士団の男に斬りかかっていく。
男は思いのほか果敢に挑みかかるコンラッドに怯み、一瞬だけ
今度は男の血液が戦いの背景に色をつける。胸元に浅くはない一撃が入って
肉薄した打ち合いの様子を、リアは座り込んだまま呆然と見つめていた。腰が抜けて立てなくなってしまったのだ。生きるか死ぬか、そんな命のやり取りを見たことは一度だってない。
目の前で繰り広げられているそれは現実感を欠いていて、感情の一部が麻痺してしまい、怖いとか、悲しいとか、怒りだとかは湧いてこなかった。ただ自分の前で起こっていることを視界に映しているだけだ。
飛び散り、地面に不吉な模様を描いていく赤色。ふらつく両者。
剣を構えるコンラッドの体がぐらりと揺らぎ、そのわずかな間を逃さず男は刺突を繰り出す。失血でふらつく足元では避けられず、コンラッドの胸にぶすりと剣が刺さった。
リアは引き攣れた声にならない悲鳴を上げるが、コンラッドの目に絶望は無い。
彼は剣を捨て、もう一つ下げていたナイフを抜き放つ。お返しとばかりに男の胸に深々とそれを突き立てた。
男は突然我が身に降りかかった死に瞠目し、コンラッドから剣を引き抜いて自らの胸を凝視する。それもたった数秒で、ナイフが刺さったまま地面にひれ伏した。
男の絶命を見届けたコンラッドは力を失い、どっ、と仰向けに倒れた。胸からは血液が吹き出している。
リアは動かない足を引きずってコンラッドのそばへ近づく。
手に触れる血の生暖かさがリアの止まった感情を引き出し、視界をぼやけさせていく。
この状態からできることは何もないのだと分かってしまった。だから、泣きじゃくるなんて子供じみた事しかできない。
「お前さんは、こんなところで、くたばっていい人じゃない。行け」
「でも、お医者様にっ……」
周りを見回すが誰もいない。
繰り広げられる
どうしようもなく無慈悲な現実を前にして、コンラッドの手を握って無念を伝えるという選択をする自分を軽蔑した。
流れ落ちる涙の粒は血だまりに溶け、その姿を消してしまう。
「最期に、未来の女王の、ためになれるなんて……光栄だ。この国を、俺の家族を、頼、んだ、ぞ……」
「コンラッドさん! コンラッドさんっ!」
甲高く、引き攣れた呼びかけにはもう答えない。
つい数分前まで笑っていたのに、彼はもう喋らない。動かない。もう、二度と。
血に
命を懸けるほどの価値が自分にあるのか。制御不能な激情が喉からせり上がってきそうだ。
もうこんなのは嫌だ。昨日までの平和な町に戻りたい。
リアは嗚咽を押し殺して強く瞼を閉じる。
三回、息を吐いては吸った。耳に入るのは聞きたくない争いの雑音ばかり。
目を開け、土色の瞳にコンラッドの姿を焼き付ける。
彼はどこまでも素晴らしい人だった。最期まで笑顔を絶やさなかったのだから。
どうしたらこの人に報えるだろう。まだまだ未熟で、一人では何もできない、何も守れない自分はどうしたらいいのだろう。
わかることは一つ。ここで足を止めているのは最悪の選択だという事。
役目を放棄した足を奮い立たせる。
どうやったらいいかなんてわからないけれど、この暴動を止めたい。これ以上、犠牲者を増やさないために。
衝動のまま動き出しそうになるが、リアは苦々しく唇を噛み締めて自制する。
気持ちは空回るばかりだ。自分がやるべき最優先事項は、この都市からの離脱なのだから。
答えも覚悟も何もないまま、再び走り出した。
ボーマンの使者がいる指定場所まではまだ距離がある。道端で狼狽える人々の間を縫って勘を頼りに前進する。
それから数分もしないうち、騎士団の姿がやたらと目に付くようになった。先ほどの騒動で主派に所在が知れてしまったのだろうか。明らかにリアを認知している。
二人組の男と目が合い、リアは来た道を引き返す。逃げ惑う人の間に紛れるようにして追っ手を撒き、また別の路地へ飛び込んで走る。
その先でも騎士団が現れ、急旋回し別の路地へ。時には奇跡の力で光を出現させ、目をくらませてひたすら逃げた。
追い詰められている感覚に急き立てられ、判断力が鈍っていく。
自分がどこにいるのかさえ分からなくなってしまい、足を止めた時だった。すぐ目の前の曲がり角から印象的な金髪が歩み出てきた。
「よお。待ってたぜ」
まるで、旧知の友と交わすような気安さで騎士長は軽く手を挙げた。それを合図に十名ほどの部下が路地から現れ、あっという間にリアを取り囲む。抵抗も空しく、あっけなく拘束されてしまった。背中で捻られる腕が痛い。
弱い自分に腹が立つ。どうしてこんなに無力なのだろう。これでは味方してくれた皆に顔向けができない。
四方を男に囲まれたまま、無理やり歩かされる。ここで抵抗し、立ち止まっても担がれて連れて行かれるだけだと、せめてもの矜持を持って毅然と歩いていく。
地面をこつこつと靴底で叩き、臆していないことを主張する。
騎士団の物々しい行列に、周囲の人は巻き込まれるのを恐れて道を開けていく。
すっかり恐怖の対象となった騎士団の前に立ちはだかるものは何もない。
我が物顔で向かう先は貧民街に完成したばかりの聖堂だ。真新しい建物に破壊痕はなく、真っ白な輝きを持って無言を貫いている。
大教会を過ぎて貧民街が近づくにつれ、騎士長を迎え入れる歓声が大きくなる。
大勢の貧民が集まり、指導者の帰還を讃える。それに腕を振り上げて応じる姿は、まるで凱旋パレードのようだ。入り乱れる荒々しい歓迎に慣れないリアは緊張し、体を強張らせる。
敵の本拠地で何が待つのだろうか。
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