第128話 それぞれの戦い
部屋の外は、むき出しの石材が連なるだけの殺風景な廊下だった。
コンラッドの持つカンテラに照らされる先には簡素な扉がある。物言わずそれをくぐると上り階段があり、木製の玄関扉が待っていた。扉の上半分がガラス張りになっていて光が入り込み、階段をほのかに照らしている。コンラッドの背に続いて駆け上がると、玄関が近づくほどに外からの怒号が耳につく。
夢ではなかった。この都市は戦場になってしまったのだ。
コンラッドは扉の前でカンテラを消し、片隅に置いてからリアに向き直った。ひりつく戦士の面持ちではあるが、それでも気遣いを忘れてはいない。
「いいか、外は大勢の貧民やモグラが暴徒化していて、いつどこでいきり立った奴に襲われるかわからない。なるべく危険の少ない場所を通るが、くれぐれも注意してくれ」
玄関がそっと開けられると、聞いたこともないような音が飛び交っていた。悲鳴、怒声、何かの破壊音。
昨日までののんびりとした空気は綺麗さっぱり吹き飛ばされ、恐怖に満ちた息苦しさだけがあった。
初めにコンラッドが半身を外に出し、辺りを入念に窺う。
「走るぞ」
手招きを受け、リアも足音を殺して陽の光が照る地面を踏む。
隠れ家の場所は住宅街の一角だった。建ち並ぶ家々の窓がすべて閉じられているのが気になるが、まだ荒れ果ててはいない。とはいったものの、混乱は確実に押し寄せてきていて、道端で数人の負傷者が血を流しながら逃げ惑っている。命からがらここまで辿り着いたといった
建物の間からのぞく空にはいたるところに黒煙が上り、ほんの少し前まで当たり前だった日常が嘘のようだ。
悲しみに暮れている暇はない。リアは心を殺して戦場を駆ける。
途中、通ろうとした商店街が騒がしく、急遽大回りをすることに。店を構える八百屋の女将の安否が気になるが、今はどうしようもない。
どうか無事でありますようにと祈りながら、コンラッドの背を追いかける。
道すがら、簡単に逃走経路を共有された。ボーマンの用意した馬車は、町の東側の外れに店を構える貴金属店に隠れているとの事。
今出てきた隠れ家は西側なので正反対だ。結構な距離を移動しなくてはならない。
無事に到着できるのだろうか。
「大教会周辺は一番戦火が激しいから迂回する」
住宅街は比較的被害が少なく、コンラッドは周囲を気にしながらも声をかけ続けてくれる。
「……大教会は、もう主様に取られてしまったんですね……」
大教会が占拠されてしまえば、この国はユージーンの物になったと国民に知らしめることになってしまう。
主派もそれを狙っているはずだ。
「いや、あそこは陥落しない」
妙に自信のある言い方が引っかかる。
リアは
「どうして……治安部隊は数が少ないはず……」
大教会だけでなく、他の場所でも暴動の鎮圧に奮闘しているはずだ。
「あそこは頼りになる二人が守っているからな。絶対に落ちはしないさ」
にやりと笑うコンラッドの双眸は、リアが答えを導き出すのを手伝う。
「え……」
脳裏にはフランとドルフが真っ先に浮かんだ。
顔に書いてあったのだろうか、呆けるリアの反応を満足そうに一瞥して、コンラッドは足を止めずに語り出した。
「大教会は陥落寸前で、みんな諦めて逃げ出したんだ。ボーマン様も、命を優先するように大教会の放棄を命令した。そんな絶体絶命の場に二人の青年が颯爽とやってきて、なんとまあ次々と暴徒を黙らせていったんだ。奇跡の力を自在に操る姿は神々しくて、思わず見惚れちまうくらいの迫力があったわけだ。だが、圧倒的な力を持っているとしても、二人だけでは危険すぎる。ボーマン様も俺も離れるよう説得したんだが、
「うそ……」
コンラッドの瞳はリアを映し、唇の端は愉快そうに持ち上がっている。
「周りに居合わせた有志は、なんてラフィリア様への忠誠心が高いんだと感服していたが、あの二人の大切な人ってのはお前さんの事だろ。俺って昔から勘はいいんだ」
それを聞いた途端、枯れたはずの涙が零れ落ちていく。
不安によって乾き切り、ひび割れた心がみるみるうちに養分を吸い取って満たされ、幸福感に膨らんでいく。
まだ二人には何も応えていないのに、どうしてそこまでしてくれるのだろう。
「フランシス・オルコットとアードルフ・オルコット。天才を超越した力を持っていて、神を
他人の口を通して告げられる言葉は、時として本人から言われるよりも鮮烈に印象を刻み込む。
自分は、彼らからそんなにも好かれるような人間ではないというのに。
顔はどこにでもいそうなほど平凡で、学もない。まったく釣り合いが取れていないのに、どうしてそんなに良くしてくれるのだろう。
「私は二人に何もできていないのに。何をすればいいの……」
「お前さんは生きることだ。二人が全力で守った場所へ帰るために。それが恩返しだ」
さ、行くぞ、と足を速めるコンラッドに続いて大教会から遠ざかる。
大教会は建物の陰に一部を隠しながら、次第に視界の横から後ろへと流れていく。想いを振り切れないまま数度振り返るが、ここで足を緩めるのはフランやドルフをはじめとした、リアを導いてくれた人に失礼だ。
今は来るべき好機を見つけるために、ひたすら戦火をかいくぐる。
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