第124話 アードルフの熱情
その夜、ドルフの勧めで夜景が綺麗なレストランにて食事を取っていた。
ここは高級店ではなく一般向けだが、公園の湖を一望できるように建てられていて、立地が良い事で有名だ。
三階のバルコニー席は半個室のように仕切りが立てられ、夜風に当たり開放的になりながらもゆっくりと会話も楽しめる。
この店が恋人たちに人気だとはリアでも知っている。さすがにそこまでされて何も気づかないほど鈍感ではない。ドルフが選んでくれた雰囲気の良いレストランで、彼が何かを言い出そうとしているのは察せられた。
昼間のこともあり、ほぼ正解を知っているリアは平静を装うのに必死だ。
食事中は他愛もない会話で終わった。
食後に頼んだフルーツティーを飲みながら向かい合うリアとドルフの間には沈黙が横たわっている。見下ろす湖のほとりには遊歩道に設置された街灯が点々としていて、水面をぼんやりと映す。テーブルの真ん中に置かれた立派な燭台越しに盗み見るドルフは、遠い目をしながら湖を眺めていた。
彼はリアの事を好きだという。
本人に確認したいが『あなたは私のことを好きですか?』なんて、とても勇気がいる。
どうしようかと真っ白なカップに視線を落としていると、向かいで動く気配を感じた。
「こんな穏やかな日がずっと続けばいいのにな。ラフィリアも、何もかも忘れて」
ドルフは夜風に髪をそよがせて、毒気のない顔で微笑んでいた。
「ええ、そうね」
「……なあリア。お前の幸せはどこにある?」
「え?」
質問の真意がわからなくて聞き返す形になってしまった。
「お前、今すごく生きづらいだろ。選ぶことばっかりで」
リアを
「……うん。そうね。みんな私に選択を迫るの。結構重大なやつ」
力なく笑い、下がる視線はそのままにする。
「正直、私には重すぎて潰れてしまいそう」
本音を漏らしても許してもらえると確信しているから、態度も声音も取り繕いはしない。
思った通り、ドルフは共感するように
「何も力になれなくて悪い……。でもな、俺もフランシスも、ずっとお前の味方だ。どんなことがあっても」
真っ直ぐだから、誰よりも信頼できる。
「ありがとう。とっても心強い」
会話が途切れ、夕食時で賑わう店内から微かに漏れる喧騒が鼓膜を揺らして通り過ぎる。
カップに手をかけたところ、ドルフが姿勢を正してリアの名を呼んだ。
「リア。俺の話を聞いてくれ」
切り出したその顔はこれまでで一番誠実で、整った面立ちをさらに美しく輝かせていた。決意に洗練された眼差しは熱を帯び、本能でリアを求めている。
普段とは違うドルフの一面に心臓は早鐘を打ち、体が揺れているのではないかと錯覚するほどに脈打ち始める。
「どうしたの?」
何も知らないふりをして答えるので精いっぱいだ。
「あのさ、状況的に難しい事はわかってるんだけど、すべて片付いて、その時にリアの気持ち次第なんだけど」
いつも以上に歯切れが悪く、探り探り声に出すドルフは逸らしそうになる目を必死に堪え、リアへ視点を固定する。
緊張で体が火照り、夜だというのにじっとりと汗ばむ。
次の言葉が決定打だと、リアはドルフの口元に注目する。
跳ねる鼓動。開かれる形の良い唇。そして、
「フランシスと、その、結婚してやって欲しい!」
「はい?」
まったく予想の外を行く告白に、金槌で頭を叩かれたかのような衝撃を受けた。
驚愕のあまり体を横へ傾げすぎて、椅子から転げ落ちそうになってしまった。何とかテーブルに腕をつき耐えたが、とんだ笑い話になるところだった。
そんな間抜けなリアを気にも留めず、ドルフはテーブルに身を乗り出して必死に先を急ぐ。
「あのな、あいつリアの事すげぇ好きなんだよ。あいつ、わかりづらいからリアは気が付かないのかもしれねえけどさ」
「そんなことはないと思うけどなぁ……」
だって、つい数時間前にあなたを私に託したのですよ、と言いたい。
煮え切らないリアの態度に、ドルフは大げさとも取れるほど、わっと頭を抱えた。
「人の好意にとんでもなく鈍いところがリアらしいが、あいつの気持ちに気づいてやってくれ。いい加減フランシスが不憫だ」
頭を掻きむしりながら訴える姿は愁訴に近い。
「ええっと、ごめんなさい……?」
「お前を責めてるわけじゃないんだ。ただ、フランシスがあんなに誰かを気にかけるなんてなかったから、お前のことは本気だ」
断定するような強い口調には説得力がある。彼は誰よりもフランのすぐそばにいたから。
とはいえ、当のフランはリアと未来を歩む気はなかった。自分の信念を貫き通し、ラフィリア消滅に尽力するだろう。そこにリアのつけ入る隙はない。あの時、差し出した手を取らなかったのがフランの答えだ。それを知っているから、上手い返答が見つからない。
「本来、こういうことは本人の口から言うべきなんだけどよ。あいつ絶対言わないだろうから、じれったくって俺から言わせてもらった。悪く思うなよ」
揺らぐ
怒涛のように捲し立てたドルフは自分を落ち着かせるように一度大きく息を吸い、肺の中の空気を吐き切ってから表情を改めた。作り出された顔色は愁いを帯びた悲し気なものだった。
「あいつ、子供の頃から奇跡の力のせいでずっと虐げられてきてさ、自分を抑圧して生きてきたんだ。周りから酷い扱いを受けても涼しい顔して理不尽に耐えてきた」
宵闇に溶け込むドルフの声は真に迫っている。
「だから、せめて一つくらい自分の望むものを手に入れてもらいたくて。幸せになってもらいたいんだ」
照れたように小さく笑うドルフは子供のように至純で、兄を想う優しい弟だった。
「あいつ、放っておくと全部一人で抱え込もうとするから。俺は誰も味方のいないあいつの力になりたくて、長年、腐れ縁を続けてきたけどよ、これからはリアがフランシスを支えてやってくれ」
飾らない思いの丈はそれだけで眩しく尊い。すこしの抵抗もなくリアの内側に入り込んで、全身に浸透していく。
だが、リアは喜びに瞳を潤ませることはできない。
曇ったままの顔は暗い影を落とす。
「フランはそれを望んでいるのかな……」
昼間にやんわりと拒絶されたのだ。
「あいつは自分を納得させるためにぐちぐちそれっぽいこと言うけどよ、たまにさらっと本音言ってんだよ。新聖堂完成式典の帰り、アルバートに絡まれただろ? あの時の言葉、あれは本気だ。フランシスはリアの事を心から大切に想ってるんだ。わかってやってくれ」
確か、愛していると言っていた。ただ一人の大切な人だと。状況が状況だったので、出まかせだと信じて疑わなかった。
それが本気だと知ってしまった今、激しい後悔に苛まれる。
二人から好意を寄せられていたのにまったく気が付かず、一緒に暮らしていたなんてあまりにも不誠実だ。
どうやら自分はとんでもなく鈍いらしい。少し前に友達になったヘレナの言う通りだった。
謝るべきだろうかとドルフをちらりと窺えば、怒りの感情はまったくない。穏やかなまま、リアを愛おしむように見つめていた。
「色々言ったけどよ、なんていうか、もしリアにその気がないんだったら無理にとは言わない。ただ、あいつの気持ちはリアにあって、俺はあいつに幸せになって欲しい、ただその事実があるだけだ。……悪かったな、こんな話しして。帰るか。明日は引き取り屋摘発の日だから備えねえと。俺たちは直接関わらないが、何かあるかもしれないからな」
「ええ……そうね」
引き取り屋の摘発が上手くいけば、三人での暮らしは
だから最後の日になるかもしれない今日、二人はそれぞれの想いをリアに告げたのだろう。
その勇気を噛み締めて胸に秘める。
席を立つドルフの背を追いかけるため、飲みかけのフルーツティーをすべて飲み干す。
冷めてもなお優し気な果実の香りが喉を抜け、溶けずに底へ沈殿した砂糖がざらりと舌に残った。
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