第122話 階段開放2

 大通りに取り残されたリアとドルフは気まずいながらも、当初の予定通りモグラの後をついて新聖堂を目指す。


「リア、悪かったな。あいつも今の状況に色々悩んでるんだ」

「私は大丈夫よ。……それにフランの言った通りだから。私はまだ何もできていない。ラフィリアの力の核を持っていて、ラフィリアに対抗できる存在ではあるのかもしれないけれど、具体的な方法はまだないわけで。それを踏まえてどう動くべきか全然わからなくて」


 自分の立場、個人的な思い。それがせめぎ合って進めない。

 楽し気な雑踏の中、リアとドルフを取り巻く空気はどんよりと重たい。

 しかし、足を緩めれば周りの人に迷惑をかける。大勢が詰めかける道では、そうそう自分の意思は貫けない。


 大教会を通り過ぎて視界に新聖堂の尖塔がちらつき始めた頃、町中よりはついて来る人が減って目の前が開けてきた。歩きやすくなったと気を抜く視界の端に、こちらへ走り寄る人影が写る。

 赤毛を揺らして接近するのは、まさかのルーディだった。


 かつての友の登場に塞がったはずの下腹部の傷が疼き、リアは体を強張らせる。急に足を止めれば、周りの民衆は多少顔をしかめながらも避けて通っていってくれる。

 ルーディの酷く動転した瞳と目が合った。すかさずドルフがリアの前に立ち、再会を遮断する。人を殺せそうな恨みを隠してはいない。リアに近づけぬよう両腕を掴んで足を止めさせる。


「ルーディ、お前は許さねえからな。なんの用だ」

「アードルフ様、不躾な態度申し訳ございません」


 震える声は恐怖に急いている。


「お前が謝る相手は俺じゃねぇだろ。リアがどんだけ苦しんだと思っている。お前はリアの心を壊したんだ。だから、お前だけは一生許さねえ」


 余憤に煮えたぎる瞳のぎらつきは、それだけで重罪だと認めさせる迫力があった。怒りを視覚的に表すかのように、ルーディを握る手から炎が上がった。

 抑えた苦痛が彼女の喉を鳴らす。


「ドルフやめて!」


 リアは慌てて制止に入った。

 その横で、たまたま居合わせた老婆がドルフを恐れ、化け物でも見たかのように短く叫んで転がるように逃げていく。

 すぐに熱源は消え去り、ほっと息をつく。それも束の間、ルーディはドルフに拘束されたまま、リアの瞳をひたと見据えて切実に訴えかけてくる。


「引き取り屋はヘイズ家が、」

「ルーディ!」


 ルーディの遥か背後から強い叱責が飛ぶ。あまりに乱暴な語気にリアは首を巡らせる。

 人をかき分けて近づくのはハリスだった。綺麗な金髪が太陽を照り返しているのと、背が高いこともありすぐ目についた。男らしく角ばった顔にはいつもの余裕は見られず、若干取り乱しているようだ。


「ルーディ。勝手に動いては駄目じゃないか。他人にこちらの情報を不用意に渡すな。もうお前はモグラではない。貴族の妻だ。自覚を持て」


 押さえつけるような威圧的な言い方でルーディを頭ごなしに叱りつける。


「申し訳ありません……」


 項垂うなだれるように頭を下げるルーディを冷ややかに一瞥し、強引に腕を引けば小さな呻きが風に舞う。

 訝しんだハリスは手元に視線を落とす。そこには真っ赤になったルーディの手首がある。瞬時に状況を把握し、にやりと口の端を持ち上げてドルフを見下ろした。


「おや……アードルフ様。あなたが俺の妻に危害を加えたのですね」


 確認のような口調だが、ハリスはその事実を確定させている。ドルフが何も答えられず苦い顔をしていたから。


「この事実は大教会の上層部に報告させていただきます。治安部隊員によって怪我をさせられたと」


 押し黙るドルフに助太刀したいが、やったことを覆すのはできない。ルーディはこちらに対して何か危害を加えた訳ではなく、ドルフが一方的に怪我をさせたことに違いはない。

 リアはドルフの隣に立ってハリスの対応に耳を傾ける。


「――ですが、妻の言ったことを他言しないと誓っていただけるのなら、報告はやめます」


 口許にたっぷり笑みを湛えてはいるが、青い瞳には強要の色が濃い。

 芝居がかった所作で静かに目を瞑り、沈痛に声を潜める。


「治安部隊員のアードルフ様が不祥事を起こしたとあらば、総隊長のボーマン様もさぞ悲しまれるでしょうね」


 ハリスは肩越しに視線の余韻をたっぷり寄こしてからルーディを連れ、新聖堂とは反対側になる街の中心部へと帰っていった。


 またしても取り残されたリアとドルフは足を止めたまま、ハリスの消えた先に顔を向けて放心していた。

 もうモグラたちは先に行ってしまい、辺りの人はだいぶ引いている。急いで追いかける者や、満足して帰る者はリアたちなど気にも留めない。


「あー、もう最悪だ」


 ドルフは大袈裟に頭を掻きむしってしゃがみ込む。

 自分の失態に激しい後悔を感じて小さくなってしまった。そんな姿を見ると、なんだか守ってあげたくなってしまう。ハリスに弱みを握られてしまったのは痛恨の極みだが、今更どうしようもない。リアも屈んで同じ景色を見ながら明るく肩を叩いた。


「ドルフが私の代わりに怒ってくれたのは嬉しかった。ありがとう。……ルーディを火傷させちゃったのは、まあ、誰にも言わなければ報告しないって言ってくれたし」


 形を無くしてしまいそうなほどに落ち込んでいるドルフからの返事は無い。それならばと、リアは切り口を変えてアプローチをする。


「最近は炎が漏れちゃうことはなかったから、上手く制御できるようになったんだと思ってた」

「あー、それはフランシスが片っ端から消してたんだよ。あいつ、奇跡の力を打ち消せるから……」

「えっ、そうだったの?」


 気まずそうに視線を明後日の方へと投げ出すドルフにリアは目を丸くする。

 フランはこれまでそんな素振りはまったく見せていなかった。

 というか、そうであったのならばドルフもそろそろ制御の仕方を覚えようとした方がいいし、フランがそうやって弟を甘やかすからこういう事態になったのだと、ちょっぴり腹が立つ。

 それをここで口に出すのは簡単だが、本人はかなりへこんでいるので追い討ちはしない。ここは歩道の真ん中。いくら人が少なくなったといっても、ずっと座り込んだままでは注目の的だ。リアは立ち上がって大胆に話題を変える。


「ルーディ、引き取り屋とヘイズ家って言ってたけど、なんだったんだろう?」


 かなり切羽詰まり、ハリスから逃げ出す勢いで何かを伝えに来たようだった。

 短すぎて察する事もできなかったのだが。

 ドルフはリアにつられるようにして立ち上がり、ふう、と空を仰ぐ。


「なんかすごく嫌な予感がする。ルーディがお前にやったことを後悔して、それに報いようとヘイズ家の秘密を伝えに来たんだとしたら、相当ヤバい案件だろうな……。ボーマン様の計画に影響しないといいが……」

「どうにかしてもう一度ルーディに会えないかな」

「ハリスが了承しねぇだろうな、さっきの様子だと」


 ドルフの独り言のような呟きに同意を示すため無言で頷いた。

 なにせ知らないことが多すぎる。水面下で流動する国の状況をすべて知った時、一体自分はどうなるのか。そんな漠然とした不安だけがふるいにかけられ、純度の高いまま胸に残っている。


 結局、リアとドルフは意気を削がれて新聖堂へ行くのは諦めた。言葉数も少ない家路は、なんだかものすごく虚しかった。

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