第117話 引き取り屋
午後の麗らかな日の光が差し込むボーマンの執務室。その来客用テーブルにはティーセットとスコーンが置かれ、いつもより格段に華やいでいる。
革張りのソファに座するボーマンと対面するようにフラン、リア、ドルフと、いつも通りの順番でソファにつき、お茶を囲んでいる。
「フランシス君はスコーンが好きだと聞いてね。こうしてのんびりお茶を飲みながら食べると、より美味しいね」
「こちらのスコーンはとても美味しいです。ボーマン様のお屋敷にいる料理人は、さすが一流ですね」
フランは上下に割ったスコーンにクロテッドクリームといちごジャムを常識的な量だけ乗せて、ひと齧りした。
いつも家ではスコーンにいちごジャムを山のように乗せ、それを一口に詰め込んで頬の形を変えているというのに、見事な猫かぶりだ。
リアが思うに、フランはスコーンが好きというよりも、いちごジャムを食べる口実にスコーンを選んでいるのではと推察している。
「フランシス君は料理が好きなんだろう? いつも家では君が食事を作っているのかな?」
「ええ。ですが、リアも料理をしてくれますよ」
「私は本当にたまにで、フランほど上手くもないので……」
自分の作る物はどうしても家庭料理感が出てしまう。大雑把な性格ゆえ盛りつけもいまいちで、目も楽しませる料理を前にすると恥ずかしい。フランもドルフも美味しいと言って食べてくれるが、きっとそんなことは無い。
「君たち三人が羨ましいな。私も混ぜて欲しいよ」
スコーンを割り、クリームとジャムを付ける手つきは滑らかだが、顔は浮かない。
多忙なボーマンの時間を割いてまでお茶をする目的はこの先からだろう。リアは手に持っていたスコーンを口に収め、指先を
ボーマンは物思いに
「……大教会の重役たちに強く苦言を呈されてね。直近の会議では、いつまでラフィリア様に歯向かうのかとはっきり指摘されたよ。一人だけ違う方を向くと国がまとまらないと。ラフィリア派も主派も、これまで通りラフィリア様を崇拝することに変わりはないから、異端は私の方だ」
ボーマンは一貫してラフィリアの凶暴性を訴え、人間に干渉しないよう神の国に帰ってもらうべきだと主張し続けている。しかし具体案はなく、軽くあしらわれているだけ。それに加えてリア、フラン、ドルフの面倒を見ているので、神を冒涜する存在の思考に染まったのではと疎ましがられている。
「これ以上言うなら
これまで国を支えてきたボーマンに対し、あまりに酷い言いようだ。ラフィリア派及び主派が大多数となると、もはや多勢に無勢なのだろうか。弱気なリアとは反対に、ドルフの目付きが怒りで鋭くなる。
「ボーマン様になんてことを。治安部隊はボーマン様だからこそ、まとめられていると思っています」
「ありがとうアードルフ君。しかし、このままではまずいのは確かだ。今や私に不信感を持ち、治安部隊から離れる隊員も多い。騎士長も代わり、騎士団が再編されて治安部隊の役割を奪われつつあるのは君たちも知っているだろう」
苦し気なボーマンの様子から、リアの想像よりも抜ける人が多いのだと察しがつく。
気に
「今は治安部隊と騎士団の人数が、ほぼ五分五分になったと聞きました」
元々騎士団は国主一家の護衛を主に担う為、先鋭の二十名ほどが属するものだったが、今はその数が倍以上になり、治安部隊から離れる者を取り込む以外にも外から新しく人を入れている状況だ。大きな戦力を作り出そうとしているのは目に見える。新騎士長は主派であり、騎士団は実質その傘下だ。主様が力を持つのはこちらにとって都合が悪い。次から次へと湧いて出る問題は、次第に太刀打ちできないほど大きくなっていく。
苦境に立たされて煩悶としながらも、ボーマンはスコーンを一つ手に取り、ぱかりと割る。どういうわけか、その顔は意外にも溌剌としていた。
「だが、こちらにもまだ希望はある。光の姫君と夜の魔王が爆発的人気を誇っていて、
期待の星であるかのように水を向けられても、それに添える自信は残念ながら爪の先ほどもなかった。
「私が人気になっても、何もできませんが……」
あはは……と気恥ずかしさを誤魔化すように笑い、小皿に置いたスコーンの半分を一口。外はカリッとしていて中はふんわりの絶妙な食感が早くも次を要求するが、今日はボーマンの話を聞きに来たのだ。失礼の無いように食は控えめにし、傾聴の姿勢は崩さない。
「リアさんに注目が集まればモグラの主、いや、もうユージーン様と言った方がいいか。彼に国を治めてもらう、という流れを断ち切れる。そうすれば主派はもとより、ラフィリア派にも影響が出るはずだ」
「ですが、それだとリアの身が今以上に危険ですね」
ボーマンの発言から間を置かず、真剣な面持ちでリアを気遣う発言をしてくれるのは嬉しいが、いちごジャムをスコーンに塗る手は止めていない。
頭が良く、何でも卒なくこなす彼唯一の弱点が食欲だ。食べたいものは食べたい。いつもよりは控えているが、彼がこの場で一番スコーンを消費しているし、クロテッドクリームの上に乗せるいちごジャムの量は少しずつ増えている。
スコーンは意外とお腹に溜まるが、フランはいくつでも食べてしまえる。彼は燃料を大量に消費しないと動かない蒸気機関車なのだろうか。
そんな緊張感を欠くフランをこの場から排除するようにドルフが言葉を重ねる。
「今後はリアの身を守りつつ、その人気を維持する、といったところでしょうか」
「そうだな。私個人的にはリアさんを危険に晒したくはない。だが、ユージーン様を国主にするのはなんとしても阻止したい」
「これからこの国はどうなってしまうんでしょうか……」
思わず口にしてしまったが、それは誰にもわからない愚問だと自分の失態を恥じる。それにも関わらず、ボーマンはリアをおざなりにすることはせず視線を合わせてくれた。
「まったく見通しが立たんな……ユージーン様が国主になりラフィリア様を復活させたとしたら、この国は瞬く間に崩壊するだろう」
苦い返答は現実味を帯びていて、皆が顔を曇らせる。
「新聖堂完成式典の時思ったけど、モグラの主は見るからに暴君なんだよなぁ」
砕けた言葉遣いでリアとフランに意見を求めながらドルフもスコーンを手に取り、フランより綺麗な所作でとろとろのクリームとジャムをつけて口へ運んだ。
一連の動作が洗練されていて、とても絵になる。さすが名家のご令息だ。フランも決して食べ方が汚いわけではないが、なんというか、欲望にぎらついている。大好物のいちごジャムが目の前にあるのに、好きなだけ食べられない欲求不満が隠せていない。
フランは今もなお食べるのに忙しそうなので、リアがドルフの問いかけを率先して継ぐことに決めた。
「私もなんかすごく嫌な感じがしたわ」
「だろ? 絶対あれは国のトップにしたら駄目な奴だ」
「昔は本当に暴君だったって話だし、繰り返してもおかしくはないね」
フランは紅茶で口の中を洗い流してから頷き、またスコーンに手を伸ばす。
主様の詳しい事情までは不明だが、民を虐げていたと五百年前のフランシスが書いた本には記述があった。
それを今再現されるのはなんとしても阻止したいが、着実にその再来が迫っているのを肌身で感じている。
味方が少ない状態で、どう出るべきか頭を悩ませるリアたち三人の話を聞いていたボーマンが合間を縫って会話の輪に入ろうと、微かに身じろぎをした。
「ここで一つ、こちらも行動を起こそうと思ってな。引き取り屋の摘発だ。中々に興味深い話が聞けたんだ」
重くなってしまった空気を一新するように、ボーマンは殊更明るく切り出した。
「引き取り屋と大教会の関わりが密かに囁かれていましたが、決定的な証拠を掴んだのですか?」
すぐにフランが興味を持つ。食欲を上回る話題の登場に、ようやくスコーンを食べる手が止まった。
「私も数日前に話を聞いたばかりで、まだ確証は取れていないんだが……治安部隊隊員のご友人が恋人を連れ戻すため、引き取り屋に会ったらしくてね。それを聞くに、大教会騎士団の者なんだ」
「じゃあ、その人を捕まえれば!?」
もたらされた朗報にリアは前屈気味に食い入る。
騎士団は主派が多い。それを崩せるのであれば、また風向きが変わる可能性は大いにある。
「おそらく主犯格ではないだろうが、治安部隊が逮捕したとなれば世間を揺るがすことができる人物の可能性が高い」
ボーマンは一度言葉を切り、決意を確固たるものとするように厳然とオルコット兄弟を見つめた。
「アルバート・マルクリーだ。彼が引き取り屋に加担したと大々的に報じれば、縁続きである総政公及び騎士団を失脚させられるかもしれない。まだどう転ぶかは未知数だが……すまない、フランシス君、アードルフ君」
伸ばした背を綺麗に折り、口惜しそうなまま二人に詫びをいれた。
ボーマンの謝罪を聞き、リアの心に暗雲が垂れ込める。オルコット家が失脚すれば、二人も今まで通りの暮らしとはいかなくなるだろう。
その時、彼らはどうなるのだろうか。そして、自分はどうしたらいいのだろう。
タイムリミットは刻一刻と迫っている。
二人はどう答えるのだろうかと左右を見比べれば、どちらにも迷いはなかった。すでに表情は引き締まり、その綺麗な紺色の瞳には己の理想とする未来だけが映っている。
つい今しがたまで、次々とスコーンを胃に放り込んでいた人とは別人のように凛々しい顔をするフランは、ほんの少しの哀愁を目元に飾った。
「ボーマン様、顔を上げてください。私としては、今の大教会はラフィリア様やユージーン様を持ち上げすぎて歪になっていると感じております。それを崩せる手段があるのなら、実行すべきだと思います。今も昔も、私はラフィリア様の完全なる消滅を願っておりますので、ボーマン様に従います」
「私もフランシスと同意見です。今までのようにボーマン様のお手伝いができなくなってしまうのが心残りですが、これからも微力ながら何かできることを見つけていきます」
二人の確然たる返答を聞き、リアは置いて行かれたような焦りや寂寥に居心地が悪くなる。肩を丸め、未だ迷ってばかりいて進むべき道を決めきれないのは自分だけだ。彼らはしっかりと自分の信念を通し、強い眼差しをしているというのに。
「本当にすまない。ただ、なるべく君たちの立場は守るつもりだ。総政公についても、行いのすべてに賛同できないわけではない。彼はラフィリア派であり、私たちとはそもそも根底が違うのは承知だが、主派によって完膚なきまでに潰されるのは惜しいのも事実なんだ」
色々なものに板挟みになり、一筋縄ではいかない状況にボーマンは疲弊する。
「理想としては国民が反ラフィリアを支持し、ラフィリア派より優位に立って総政公の影響力を自然に弱めたところで、反ラフィリアを認めさせる。そして主派の完全排除。言葉にするとたったそれだけだが、中々上手く運ばないんだな」
独り言のように呟くボーマンは天井を仰ぎ、覇気を欠いている。
「引き取り屋の摘発については私の方で慎重に事を進める。君たちはラフィリア派及び主派の動向に注意してくれ。リアさんが危険に晒された場合、多少の実力行使も致し方ない」
「承知いたしました」
返事をするフランの声からは
彼もリアと同じように悩み、もがいているのだろうか。
鼻筋の通った綺麗な横顔からは何も読み取れない。ただ真直にボーマンを目に映していた。
刻々と移ろいゆく時の中で思ってもみない朗報や悲報が絶えず訪れるが、その都度対処していくしかない。
リアは不安定な心を宥めようと、スコーンを一つ手に取った。
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