第116話 アルバートの狙い

 結局、新聖堂の警備は早々に終わった。騎士長が去ってからすぐに上官から、客人がいなくなったので今日の任務は終了だと連絡があったのだ。

 帰り道、大教会を裏側から見るのはやはり新鮮だ。その大きな佇まいは、迷うことなく帰る場所を示してくれていて安心できる。


 新聖堂のある一帯は貧民街の入口であり、何とも曖昧な空気が流れている。前に一度だけ立ち入った奥の方のように散らかり果ててはおらず、無法地帯と言うにはまだましだが、大教会周辺のように整備もされていない。地面は石畳がところどころ抜けていて、気を付けていないとつまずきそうになる。周りの建物は背が低く、屋根や壁が剥がれている物も多い。

 そんな中に突如現れた新聖堂は真新しい輝きを放ち、綻びのひとつもなく整然と構えていて、どことなくちぐはぐな印象が否めない。

 薄汚れたレンガ造りの一軒家の前を何気なく通りかかった時、きい、と軋む音を立て玄関が開いた。


「やあ、フランシスにアードルフ。お久しぶり。ご機嫌麗しゅうございます」


 半分以上朽ちてなくなっているひさしの下から艶やかな黒髪をかき上げつつ、自信満々に張りのある顔をしながら出てきたのはアルバートだった。やたらねちっこい喋り方に鳥肌が立つ。


「ごきげんよう、アルバート様」


 真っ先に対応したのはフランだ。丁寧に正面を向いて会釈をする。

 ドルフはリアの隣で言葉を失い、ぎょっとしている。リアもおそらく同じような顔をしているだろうと自分で思った。輝かしい登場にしては場所があまりにも不釣り合いだし、まさかここにアルバートが住んでいるのかと、いらぬ想像を働かせたからだ。


 彼は貴族だったはず。目の前の家はあまりにもお粗末だ。広さは屋敷の一室くらいしかない。壁のレンガはところどころひびが入っているし、色褪せている。なんなら家の体躯も若干歪んでいるように見える。玄関扉の建て付けが悪いのか、細い悲鳴を上げながらゆっくりと閉じていく。

 リアとドルフは顔を見合わせ、視線だけで会話をする。


 ――アルバートさんってこんな家に住まなきゃならない身の上なの?

 ――そんなことは無いはずだが……。


 首を傾げたり、横に振ったりしている間に、フランとアルバートはおんぼろの背景など見えていないかのように平然と話を進めている。


「今日は新聖堂完成式典だったね。治安部隊として警備お疲れ様。疲れただろう、お茶でもどうかい?」


 ぎいっと不穏な軋みを上げる扉を少し開いて中へ誘うアルバート。一体この家で出てくるお茶とはどんなものだろう。つっこみ待ちなのだろうか。

 真っ先に気になるぼろ家についての説明をすっ飛ばし、涼しい顔をするアルバートにどう対応するのが正解かはリアには難題だ。ドルフも珍妙すぎる組み合わせに、口から素直な気持ちが漏れ出そうであり、必死に堪えながら揺れる瞳をリアに寄こす。


 ――人を招くような家じゃなくね?

 ――何かの事情があってこの家に住んでいるのなら、そんなことを言うのは失礼よ。


 リアとドルフが懸命に本音と戦うその少し先で、フランは余所行きの笑顔を崩さない。


「お気遣いいただき、ありがとうございます。ですが、僕たちはこれから少し用事がありますので」


 一礼し、帰路を辿り始めたその瞬間、玄関扉が一際大きな叫びを上げ、暗い室内から大教会の制服を着た若い男がざっと五人登場した。

 見る間にリアたち三人を包囲する。全員が騎士団の腕章をつけているのが目に付いた。


「――これはどういった意図ですか、アルバート様。まるで僕らを捕らえようとしているかのようですが」


 フランはアルバートを正視したまま幾分か低い声で問う。ドルフはすぐさま表情に力を入れ、リアを守るようにすぐ横へ立った。


「手荒な真似をする気はないんだよ、フランシス・オルコット。ただ、こうでもしないと話を聞いてもらえないだろうからね。あなたたちはすぐ力で解決しようとするから」


 余裕綽々、ねっとりと自信が絡んだいやらしい笑みを口許に浮かべ、アルバートはリアへ視線を移した。

 ダンスの振り付けであるかのようにゆっくりと右腕をこちらに差し出し、手のひらを上に向けて指を一本ずつ伸ばしていく。


「そちらのお嬢さんを渡して欲しいんだ。もう長いこと使って飽きただろう? 新しい女性を用意させよう」

「どうやらこれ以上話を聞く価値は無さそうですね。帰らせていただきます」


 フランは一切の愛想を捨て、毅然と言い放つ。歩き出そうとする彼を止めるように騎士団の一人が立ちはだかり、アルバートが一歩近づく。


「どうしてそんなにも彼女に執着するんだ? 彼女は金のために身を売る地底の汚い売女ばいただろう? 前国主の娘であったとしても、すでにその価値はないはず」


 アルバートは素直な疑問を呈するようにフランへ答えを求める。その表情には悪意も後ろめたさもない。本当に理解できないというように眉を寄せている。地上人からしたら、モグラなどペットと同じ扱いなのだと久しぶりに痛感した。

 心に鉛を落とされたような強く重い衝撃を耐えるため、苦し気に目を伏せる。地底にいたというだけなのに、どうしてそんな酷い言葉を浴びせられなければならないのだろう。


「彼女はあかり売りだったのですよ。発光石を売り歩くんです」

「それだけじゃあとても食べていけるとは思えないけれど。地底の女はね、金が足りなくなれば男に媚びるのさ」

「黙れよ。お前はそんな事でしか価値を測れないクズだ」


 アルバートの悪言あくげんに被せるようにして、ドルフが怒りを内側に秘めた低音を響かせた。太陽に照らされる三白眼は澄んだ紺色で、アルバートに真っ向から挑んでいる。

 逃げも隠れもしない姿はとても頼もしい。

 眩しい彼を見上げるリアを、ドルフはそっと抱きしめた。その手つきは柔らかで思いやりに満ちている。何も聞かなくていいように片一方の耳を体に寄せ、もう片方は手で覆ってくれた。それでも周囲の音は聞こえているが、彼の優しさが荒んだ心に暖かな春風を吹き込んでくれる。


 ドルフの発した強い単語に、一番近くにいた騎士団の一人が怒気を露わに腰に提げていた剣を抜き放つ。その男が何か行動を起こす前に、ドルフはそれ以上近づけないように炎を地面に出現させた。

 男は膝丈ほどの炎に突っ込みそうになるが、すんでのところで踏みとどまり、怯んで気勢を萎ませた。

 一部始終を見ていたアルバートは男を案じるでもなく、楽しそうに手を叩く。


「おお、怖い。では、彼女にどんな価値があると言うんだ? 何かとても大切な、他の人では代えがきかないような、丁重に守らなければいけないような価値があるということかい? 例えばラフィリア様の力に関係があるとか」


 鎌をかけるような口調に、はっとする。

 やはり主派はリアとラフィリアの関係を掴み始めている。確証を得たい、そんな思惑が言葉の端に隠れている。

 ドルフは咄嗟に何も返せず、唇を噛みしめて口ごもってしまった。この場合、無言は肯定になってしまう。

 アルバートは言葉巧みにドルフから真実を引き出すよう誘導するだろう。リアの中にラフィリアの力の核があると露呈してしまうのは避けたい。

 何かアルバートの口を封じることを言わなければと、リアの思考は空回る。


「彼女を愛しているんです」


 間髪入れずフランがぽつりとそんなことを零した。その顔に冗談の色は見い出せず、納得してしまうような至誠しせいを帯びている。

 思ってもみなかった切り返しに、彼をまんじりと見つめてしまった。

 そんなことを言われたのは、これまでの人生で一度もなかった。だから、言葉は頭に入っても意味を理解するに至らない。惚けているリアをよそに、フランはアルバートを一点の曇りもない双眸で捉えたまま微動だにしない。


「だから彼女の過去なんてどうでもいいし、誰がなんと言おうと手放す気はないんです」


 リアを抱きしめるドルフの力が強くなっていく。まるでフランの想いを代弁するかのように。

 少し遅れて顔が熱くなる。

 さすがにリアだって照れてしまう。強く抱きしめられながら、愛してるだなんて言われたら、ちょっとくらいはときめいてしまうものだ。声の出所と腕を回している人が別という、稀有けうな状況に困惑はするし、この場を凌ぐ嘘だとはわかるけれど。


「アルバート様には価値のない女性かもしれないですけれど、僕にとっては他に代えられない、ただ一人の大切な人なんです」


 そんな格好良いことを整った顔で言われては目のやり場が無い。もう少し心臓に優しい嘘をついて欲しいと、羞恥の心を怒りに変える。

 第一、そういう事は冗談で軽々しく口に出してはいけない。想い人のためだけにあるとうとい言葉だ。この状態で致し方ないといえばそうだが、今後フランを慕う人が現れた時にこちらが罪悪感を覚えるではないか。

 とても気まずい思いをしながらも、ドルフの腕の中で推移を見守ることは忘れない。


「ですので、これ以上彼女を悲しませるようなことをおっしゃるのでしたら、僕は容赦しません」


 フランが言葉を切った後、時を計ったようにドルフがリアを体から離し、手を取ってフランの元へ駆ける。突然の行動によろけてしまうが、何とか足並みを揃えた。


「それでは本日はこれにて失礼いたします」


 ドルフの伸ばした手をフランが取ったのと同時に、ふっと目に映る景色が変わった。見慣れた塔の玄関先だ。フランが瞬間移動の力を使ったらしい。

 リアが状況を把握するのと同時に兄弟は向かい合った。とても真剣な面持ちだ。


「ふう。主派はラフィリア様の力とリアについて、結構確信に迫っているみたいだね。今後はもっと強引にリアを狙って来るかも」

「リアを生け捕りにしてラフィリアの力をどうにか奪って復活、みたいな魂胆なんだな、おそらく」

「そう。だからこれまで以上にリアの安全に注意しないと。リア、さっきは怖い思いをさせてしまってごめんね」

「別にっ」


 ちょっとだけ好ましく思い、もしかして、なんて期待した自分が馬鹿みたいだ。自然と素っ気ない口ぶりになり、唇を尖らせる。

 二人はいきなり現実的な話をし始めてしまい、あの心を温かくする言葉と行動は愛情など一滴すらない出まかせだったのだと、早々に夢を崩された。大崩落だ。少しは気を使って欲しい。

 そんなリアの不服な態度を目撃して何を思ったのか、オルコット兄弟はみるみるうちに表情を輝かせていく。そこに占めるのは新種の動物でも発見したかのような興奮だった。


「あれ、もしかして照れてるの? キミにも恋愛感情みたいなものがあったんだね! てっきりそこだけすっぽり欠落しているんだと思っていたよ!」

「俺も! リアはそういうのとは一切隔絶された超常現象的な存在かと思ってた! 人間だったんだな!」

「アードルフじゃなくて僕に抱きしめてもらいたかったのかな? いいよ、おいで」

「怖いことがあったら、いくらでも抱きしめてやるからな」


 二人共が手を広げてリアを待ち望む。こんなふざけた人たちに一時でも気持ちが揺れたなんて、一生の不覚だ。


「人の感情をなんだと思ってるのよっ! 私だって人を好きになる事くらいあるわ! 少なくとも意地悪と無神経にはそんな感情抱かないけどね!」


 素早く二人を迂回して玄関に手をかけ、住み慣れた塔の中へ逃げ込んだ。

 拒絶を表すため、ばたん! と勢いをつけて扉を閉め、一目散に階段を駆け上がる。

 少しだけ冷えた空気が、ほてった体の表面をするすると通り過ぎて心地いい。

 からかわれた仕返しに、しばらく二人にそっけない態度を取ろうと決意し、自室へ閉じこもったのだった。

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