第115話 騎士長との邂逅

 クラリスを見送った後、リアたちはバラ園を出て本来の仕事である庭の警備に戻った。

 聖堂と門の中間地点にある噴水の前に立って、退屈を誤魔化すようにぐるりと首を巡らせる。

 バラを楽しんでいる間に招待客は一人残らず帰ってしまったのか、辺りは静かだ。少し向こうの木陰で制服を着た男性二人が談笑しながら休んでいるのが見える。

 リアも客人のように帰ってしまいたかったが、まだ時間には早い。職務は最後まで真っ当しようと、やる気のないまま円形をした噴水の縁に腰掛けた。


 今日は本当に良い日和ひよりだ。暑すぎず寒すぎもしない。お日様に照らされているとぽかぽかしてきて、気を抜くと睡魔が頭の動きを鈍らせまぶたを重くする。それではいけないと両手で頬を叩き、目の前の荘厳な聖堂をそれとなく見上げた。けがれ無き光の女神ラフィリアを象徴とする白亜の聖堂には、右奥に空へそびえる尖塔がある。あそこに登ればかなり見晴らしが良さそうだ。

 そのさらに後ろには、モグラの主様が住む予定の邸宅が建設中。それが完成した時、いったい主様はどう動くのだろうか。心配事は尽きない。


 憂鬱に肩の力をがっくり抜いたところ、聖堂の扉の片側が中へ引き込まれた。まだ誰か客人がいたのだろうかと背筋を伸ばす。玄関ポーチの短い階段を降り、ひさしから出てきたのは眩しいほど輝く金髪。

 目を疑った。騎士長だ。

 向こうもこちらに気が付いたのか、意志を持って悠然と歩み寄って来る。


「おい、フランシス・オルコット」

「うわ、名指し。だいたいフルネームを呼ばれる時は良いことなんて起きないって決まっているんだ」


 遠くからでもはっきりと聞き取れる呼びかけにも関わらず、フランは嫌そうに背を向け、噴水から吹きあがる水を見て気が付かないふりを決め込む。


「お前、あいつになんかしたのかよ?」


 興味深げにドルフが肩を寄せる。


「前に、前騎士長様の子供が間抜けにも誘拐された事件があったろ? あれの犯人なんだ、あの人。捕まえる時にちょっとからかってさ。……そうだ、お前がフランシスとして出ていけよ。今から僕がアードルフだ」


 名案を思い付いたとでも言うように人差し指を顔の横に立て、嬉々としてドルフに面倒を押し付けようとする。


「ふざっけんな! そんなことするわけねぇだろ! 自分でやったことは自分で責任取れよ!」

「その言葉、そっくりそのままお前に返してやるよ」


 水音に紛れるように、ひそひそと言い争いをする間にも騎士長はすぐそこまで迫っている。

 リアは噴水の縁から腰を上げて慌てるが、二人はいつもの調子を崩さない。


「おい、聞こえてんだろ」


 どすの利いた脅しが掛かり、くるりと騎士長に向き直ったフランは掴みどころのない柔和な表情で隣のドルフを手で示す。


「フランシスはこちらです。僕は弟のアードルフですので。それでは騎士長、ごきげんよう」

「おい待てよ! ふざけんなフランシス! 俺がアードルフだ!」


 颯爽と逃げようとするフランの腕を素早く捕まえるドルフ。言葉尻、騎士長に訴える彼の目つきは恫喝のような凄みを持ち、よく研がれた刃物のように鋭い。

 そんな態度をとってしまったら逆上するのではと、リアは一人あわあわしながら顔色を窺う。

 それぞれの想いを胸に抱えるリアたちの前まで来て、騎士長は愉悦を含んだ睥睨を飛ばした。


「俺を馬鹿にするのもいい加減にしろ。フランシス・オルコット」


 ドルフによって逃亡を阻止されたフランを一直線に睨んでいる。初めから騙されてはいなかったようだ。

 逃走計画が頓挫とんざし、フランは嫌々ながらも体を戻す。

 はぁっと大げさに息を吐いてめんどくさそうだ。


「僕に何の用ですか?」

「てめえを殺す」

「わお。ずいぶん単純明快大胆な宣言ですね」


 殺害予告にも動じず、フランは他人事のように受け流す。騎士長はそれを強がりと取ったのか、にやりと口の端を歪めた。


「俺はすでに、てめえより地位がある。落とすところまで落としてから惨めったらしく殺してやる」

「地位がすべてではないですよ。そこを勘違いするのは恥ずかしいと思います。仮にも騎士長なんですから。あなたは自分が強くなったと錯覚しているだけなんですよ。実際、強いのは主様でしょう? 違います? 試しにまた熱湯シャワー浴びますか?」


 わざとらしく指をぱちんと鳴らし、騎士長のすぐ隣の虚空に湯気の立ち上る雨を降らせた。

 一人分ほどの地面が水を吸って白から灰色に変わり、騎士長の足元まで侵食する。靴底に沿って伸びる水などまったく気にせず、騎士長はフランより優位に立っているという驕りを捨ててはいない。不遜にただれた眼光がちらりとリアを掠めた。


「黙れ。てめえの女奪ってやるからな」

「わぁお。リア、モテ期が来たみたいだよ」


 フランは熱湯を止めて面白そうに笑いながら、緊迫する現場で息を潜めていたリアに声をかけた。そんなモテ期などまったく嬉しくない。


「余裕でいられるのも今のうちだ」

「と言いますけれど、今奪っていないということは、あなたでは奪えない、ということですよね? 強がりはよした方がいさぎよくてかっこいいですよ」


 綽然しゃくぜんとした態度で唇を持ち上げるフランは、面白半分に騎士長を挑発している。彼は騎士長に負ける気が無いので強気でいられるのだろうが、この場に居合わせるリアにしてみたら気が気ではない。いつ何時とばっちりが来るか、片時も目を離せないではないか。

 目だけをぎこちなく動かし騎士長の挙動を確認すれば、彼は短気など起こさずにフランを鼻で笑い飛ばした。


「こっちにはこっちの事情があんだよ。もうすぐラフィリアは俺たちの前に復活する。その手段はすでに手中しゅちゅうに収めつつある。そん時にその女の命はない。それは変えられねえ。せいぜい今のうちに楽しんでおくんだな」


 じろりとリアに向けられた視線は、獲物を捕らえる肉食獣の色を濃くしていたので身震いしてしまう。後退りしようにも半歩引いただけで踵が噴水に当たって退路は断たれた。 リアとは逆にドルフが半歩前進し、騎士長へ挑んでいく。


「おい、お前は何を知っている。お前はモグラの主のなんなんだ」


 リアの前に立ち、凄むドルフの迫力は騎士長を上回る。気が弱い人であったのならば、洗いざらい話してしまいそうなほどの圧だ。それにも関わらず、騎士長は揺らがない。圧倒的な自信が幅を利かせた面持ちで、ドルフ、フラン、そしてリアへ瑠璃色の瞳を印象付けてから口を開く。


「俺はモグラの主、いや、ユージーン様の騎士だ」


 よく覚えておけ、そんな続きがあるような強い語勢だった。

 そのままリアたちの横を通り過ぎ、騎士長は門を守る兵にかしずかれて通りへと消えて行った。

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