第113話 新聖堂完成式典
貧民街の入口に新設された聖堂は、光の女神を意識して白を基調とした清廉な雰囲気を纏っている。周囲の朽ちた貧民街特有の空気とは一線を画し、どっしりと根を張ったように構えて存在感を放つ。
同じ敷地内には貧民を受け入れる保護施設や孤児院が併設され、大教会には及ばないものの、この都市において二番目に巨大な建造物群だ。
今日はその聖堂で完成記念式典が行われている。
内装は光を意識した造りで天井近くには小窓が連なり、灯りをともさずとも明るい。
広い演壇上では主様とクラリスが豪華絢爛な椅子に座し、集まった人々の畏敬の念を受けている。
向かって左側、主様の装いは即位宣言時のジョシュアと同じく、白い式典用の衣服を纏って胸には沢山の勲章が並ぶ。一体いつ受勲されたのだろうか。きっと見せかけだろうと
これでは誰が見ても主様が次の国主だ。
主様は手すりに体重をかけるようにして、ゆったりと立ち上がり圧を放つ。傲慢な様子が不快感を掻き立てる。
リアたちはこの式典で会場警備にあたっている。聖堂の真ん中より少し前、重役が多い場所の監視だ。
演壇の中央に立った主様は片腕を横へ広げ、処断を下すかのように皆を見下ろす。
「これからは貧民もモグラも、奇跡の力の強弱、有無に関わらず、互いに手を取り生きていく世の中をラフィリア様とつくりあげる! それがラフィリア様の望みである。それに反する者こそがラフィリア様にあだなす者。これまでの経歴に関わらず、そういった者を我は容赦しない! すべてはラフィリア様のために!」
高い天井に吸い込まれる事なく余韻を残す強い言い方にどよめくものの、次いで上がるのは歓声。
主様の容赦のない語気は、反ラフィリア派を敵とみなしていると見ていいだろう。
これまでは表立って危害を加えられるようなことはなかったが、今後はいよいよ何かしら暴力を伴った嫌がらせがあるのかもしれない。
主様が椅子へ戻り、入れ替わりにクラリスが腰を上げた。
薄い青のドレスは式典に相応しく重厚で繊細。腰からふわりと広がった裾は床上で花が咲き、緻密な刺繍が施されていて見事な出来栄えだ。結い上げた銀髪は健康的な艶を放つ。
彼女はドレスの裾を蹴り上げるようにして一歩踏み出す。
やや間が開いてもう一歩進むと、危なげに体が揺れた。バランスを取ろうと手が体のすぐ横をさまよう。その顔が何かに怯えるように強張った。
ぴんと張り詰めた神聖な場に不釣り合いなぎこちない動きに眉を顰めたのはリアだけではなく、招待客からもほのかに疑問の唸り声が泡のように弾ける。
自分を注視する大勢に気がついたのか、クラリスは誤魔化すようにまた一歩、足を前に出した。演壇の中央より少し後ろまで辿り着き、背筋を正したところで騎士団の腕章をつけた青年がトレイを持ち現れた。その上に載せられている綺麗に巻かれた書状をクラリスが手に取ると、青年は一礼し演壇の端に控える。
クラリスは書状を片手に持ったまま立ち尽くす。その様子は、頭が真っ白になってしまって動けない、といった極度の緊張状態に見えた。どうするのかと、はらはらしているとクラリスはどうにか持ち直し、震える指先で書状を上下に広げた。
「次期国主であったジョシュア・グレイフォードは、ラフィリア様の寵愛を受けるわたしを拒絶しました。それは神の意志に反することです。そんな思想を持つ一家がラフィリア様を崇める国を治めていたなど恥でしかありません」
息継ぎを忘れたクラリスの言葉はふいに途切れた。
やはり何かに畏懼しているようで、その表情は硬い。
視界の端で、最前列にいる男性が叱責するように小さく手を振り上げるのが見えたのと、自分の隣にいるフランの呟きが重なった。
「アードルフ、二列目右の一番外側とその隣」
険しい顔で隣の弟に耳打ちし、ドルフが小さく鼻をひくつかせる。
「……生乾きの雑巾と生ごみかよ。くっせーな」
心底嫌そうなドルフの視線の先、何が起こるのかとリアもそこに注目する。
そのうちにクラリスは急き立てられるような焦燥に震える声を振り絞った。両手で握る紙が皺になるほど力が強い。
「今後は正しくラフィリア様に寄り添えるよう、わたしたちが民を導いていきます。ジョシュアは、グレイフォード家は、ラフィリア様を踏み台にした罰当たりな人です。ラフィリア様は罪を許さず、その生涯を閉じさせたのでしょう。わたしたちはラフィリア様の元、穏やかに過ごしましょう。すべては女神ラフィリア様のために」
落ち着かない駆け足で最後まで言い切り、クラリスはほっとしたように頬を緩めた。
それと同時にフランが指摘した、二列目の一番端にいる人の手が顔の高さまで上がった。ひゅっと何かが演壇に向けて飛んでいく。
リアは何事かと無意識に目で追う。演説が終わり放心するクラリスの目の前で、きらりと陽を照り返す瑞々しい輝きがごとりと落ちた。
間近で見ていた人が困惑の吐息を漏らし、それが不穏なさざめきとなって遠くまで波及し不安と混乱を運ぶ。
「危ないところだったね。間に合って良かった」
「えっ、え、何? あなたがクラリスに何か飛ばしたの?」
「違うよ、クラリスを守ったんだよ。ひどいなあ」
フランは不満を隠しもせずに唇を尖らせる。
クラリスが狙われたということだろうか。ようやく状況を理解し始めたところで、今度はフランの向こうにいるドルフが前へ出た。
「動くな!」
近距離からの怒声にびくりと体を震わせ飛び上がってしまった。
ドルフは荒い足音を立て、周囲を威嚇するように人の間を割って進む。向かう先はフランが言っていた二列目の右端だ。そこには逃げようとしていたのか、体を捻った状態で止まっている男二人がいる。
「お前ら、物騒なことするじゃねえか」
ドルフからは
「ドルフ、顔が怖い……」
本気で睨み付けている彼の迫力は、普段見慣れているはずのリアですら萎縮してしまうほど強烈だ。この場にいる全員が水を打ったように息を潜め、ドルフに従い動きを止めている。
「あはは、あいつの凶悪な目つきはたまに役立つから侮れないね。さあリア、僕らはクラリスのところへ」
「え、何をすれば……」
「キミはクラリスを労ってあげて。こういうのは人々に好印象を残すパフォーマンスさ」
「えっ、ちょ、ちょっと……!」
そっと片目を閉じてから駆け出すフランを止めようと手を伸ばしかけるが、この場で大声を出すわけにはいかない。予定になかったアドリブを任されて狼狽えるが、こうなってしまったからにはやるしかない。リアは寄せ集めの勇気を持って演壇上への階段を登り、言われた通りへたり込むクラリスを支えた。
「大丈夫?」
リアを掴む手の力は痛みを覚えるほどに強い。握り込む指が白くなるほどの必死さがそこにはあった。
恐怖で歯の根が合わず、話すのは無理そうなほどに動転している。
フランはそんな醜態を晒すクラリスを群衆から隠すように立ち、ナイフを拾い上げた。
「クラリス様を殺そうとしたようですね。この小さなナイフで。風の力まで纏わせて、明確な殺意を感じます」
大きな独り言で人々の注意を惹き、皆に見えるようにひと振りのナイフを掲げる。見たところ、これといって特徴のない果物ナイフだ。
その場に出席していたボーマンはすぐに陣頭指揮を執り、治安部隊隊員に呼びかけて混迷に狼狽え始めた場を静めにかかる。同時進行でドルフが捕まえている男二人を拘束しようとボーマン直属の部下が応援に近づくが、すんでのところで騎士長の邪魔が入った。一見丁寧に頭を下げているが、瑠璃色の瞳は刃物のように鋭く、攻撃的だ。
「お騒がせして大変失礼した。そちらの治安部隊隊員にも感謝する。騎士団が凶行を阻止できず不甲斐ない。だが、今日この場の警備の主たる責任は騎士団にある。その二人はこちらで預からせてもらう」
騎士団の失態だというにも関わらず、指示にあたっていたボーマンを高慢な態度で冷ややかに見下す。
この聖堂は騎士長が権力を持つ主派の本拠地。今回の出席者は当然主派が多くを占める。言い争っても不利になるだけだと、ボーマンは潔く犯人の男を騎士団へ引き渡す選択をした。
「クラリス、もう襲われることはないわ」
リアは未だ身動きが取れずに座り込んだままのクラリスに声をかける。あまりにも怯えているので、かつて殺されかけて恨んでいるにも関わらず、手を差し伸べてしまう。
顔をのぞいてみるがリアの呼びかけも聞こえていないようで、ただ浅い呼吸を繰り返している。
このまま演壇にいたのでは、クラリスは多くの人の目に晒され続けてしまう。弱った姿を大勢に見られるのは可哀想だ。どうにかここから降ろしてあげたくて小さくクラリスを揺すり、何とか正気を呼び戻そうとする。
そんなささやかなやり取りを蹴散らすように騎士の四人が人々の混沌を割き、犯罪者の根倉へ踏み入るかのように荒々しく演壇に登って来た。
年配の一人がリアなど見えていないかのようにクラリスの腕を引っ張り、恐怖で力を失った足を無理やり立たせた。クラリスは息を呑み、錯乱したように髪を振り乱して拒絶する。嫌だ、嫌だと涙ながらに抵抗する姿を前にして、リアは居ても立っても居られなくなる。
「やめてください! 今は襲われた直後で混乱しているんです! そんな乱暴な扱いをしたら余計怯えてしまいます!」
クラリスを捕まえている騎士の腕を両手で掴んで訴える。じろりと見下ろされる目はうざったそうに細められた。
当然振り払われ、クラリスは物のように引きずられていく。そんな酷い扱いを黙って見ていられるわけがない。
リアは追って、クラリスの手首を握り込んでいる腕を叩く。
「落ち着くまで話をさせてください! この子は――」
言葉の途中で壇上にいた四人全員の騎士がリアへ向いた。
無表情、無感情。
外は晴れ渡り、暖かな日中であるにも関わらず、寒風がリアへ吹き付けるのを確かに感じた。本能的に命の危険を察知し、背筋に冷たいものが通り過ぎる。
逃げなければ。端的に理解しても、どこへどうやってと頭は次から次へと質問を投げかけ体は動かない。
肌で感じる冷気はやはり気のせいではない。何者かによって冷やされた風がリアの体温を奪っている。命乞いをしようか、そんな一瞬の迷いを経て、ふわっと背後から何かに包み込まれ、体を取り巻く冷たさは消え去った。
「申し訳ございません」
聞きなれた軽薄そうな声が、程よい硬さを帯びて耳のすぐそばで発せられた。クラリスを拘束する騎士が数歩先の距離にいる。今の今までその腕に触っていたはずなのになぜ、と当惑に目を
よく見てみればフランの腕が体の前に回されている。後ろから抱きしめられる形になっているのに気付いたのと同時に、彼が瞬間移動の力を使ってくれたおかげで難を逃れたのだと、今更恐怖に鼓動が早くなった。もしあのままだったら、騎士たちは躊躇いなくリアを強制的に排除していただろう。
フランはそっとリアを放して横へ並ぶ。端正な顔を沈痛に暗くさせて、こちらを睥睨する騎士たちに深々と頭を下げた。
「騎士様に無礼を働いてしまった事、お詫び申し上げます。クラリス様に対しても、出すぎた真似でした。彼女の行動は浅慮でしたが、クラリス様を想っての事。どうか、これ以上の罰はおやめいただけますよう願います」
「申し訳、ございませんでした」
もう一度頭を下げるフランに合わせるようにして、リアも腰を折った。
クラリスは主様との繋がりが深く、今はラフィリア派の貴族の家に預けられている。この場でリアがクラリスに干渉できることなど無いに等しい。
騎士団がリアに危害を加えたのだとしても、恐らく許されてしまうのだ。主派とラフィリア派が大多数のこの場では。
そこまで考えが及ばず、リアの尻拭いにフランが謝罪することになってしまった。自分の軽率さに嫌気が差す。
騎士はリアとフランを一瞥し、それ以上何かすることはなくクラリスを連れて演壇を降りていった。
床を叩く硬質な音はすぐにかき消え、最前列でクラリスの動向を食い入るように見つめていた中年の男性に彼女は引き渡された。
遠目からでもわかるほど、男性の様子は命の危険に晒された少女に対するものではなかった。
上着を着ていても誤魔化せないほど弛んだ下腹を揺らしながら、身の毛もよだつような形相でクラリスを問い詰めている。おそらく彼がクラリスを預かっている貴族なのだろう。
縮こまって顔を俯けるクラリスを見ていると、かつて娼館の女将に理不尽な怒りをぶつけられていた時のことが思い出される。彼女は地底の娼婦からラフィリアの寵児となり、貴族の屋敷に住んで今、幸せなのだろうか。
「リア、僕たちも行こう」
「ごめんなさい、私のせいで……」
沈むリアにフランは何も言わず、ほほ笑みで応じてから元いた配置場所へ戻っていく。
人々は一連の騒動にざわつき、浮ついている。
その場に居合わせた大教会の上層部は、クラリス襲撃について緊急の会議をすると決定し、物々しい雰囲気を隠さないまま聖堂を後にした。
こうなってしまえばもう式典の続行は不可能。
しまりの無いまま、記念すべき式典は幕を閉じた。
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