第112話 葬儀3

 壇上へまっすぐ伸びる広い通路には葬儀用に白い絨毯が引かれていて、迷いなく棺へといざなってくれる。

 その真ん中を気後れすることなく優雅に歩むキャロライナの後ろへ続く。大聖堂にはいい思い出がなく、気持ちと共に肩を丸めそうになるが、ぐっとこらえて胸を張った。

 一歩、また一歩と演壇が近づくにつれ、居並ぶ弔問客がざわつき始める。


 ――あれは誰? ボーマン卿のお嬢様? いや違う。では、誰?


 ヴェールに穴が開くのではないかというほどの視線を感じる。

 そのうちの数人はリアの正体に気が付いたようだが、表立って嫌味を飛ばすようなことは無かった。


 大聖堂は広い。演壇までの道のりもそれなりだが、終わりはやって来る。壇上への階段は左右にあるので絨毯も回り込むように伸びている。それに沿って右側へ。十段ほどを登り切れば棺が安置されている台が近く感じる。

 前にいたキャロライナが道を譲るように横へ逸れ、リアへ綺麗な仕草でゆったりと頭を下げた。


 豪華絢爛なひつぎのすぐ前に立ち、見下ろす。

 もちろん中は空だ。

 ジョシュアは生きているのだから。

 それでもリアは棺を前にするとたまらなく寂しくて、悲しくて、縋るように棺の上に伏した。

 生きていたとしてももう二度と会えないのだから、それは死んだのと同じだ。

 真っ黒な喪服を着ていると、ジョシュアはもうこの国にはいないという実感が容赦なく胸を締め付ける。


 父も母も、兄もいなくなった。自分は独りになってしまった。

 この国に残ったのは自分の意思だ。とはいっても未だ成すべきことを決め切れず、宙に浮いたまま漂っている。

 これからどう生きていけばいいのだろう。

 涙にむせぶリアの横で、キャロライナがそっと背をさすってくれた。

 それが数秒続いたかどうか、絨毯でも消しきれないほどの荒い足音が迫る。


「そこをどけ」


 恐怖で人を従わせようとする低音はどこかで聞き覚えがあった。リアが振り向くのとキャロライナがまなじりを吊り上げて踵を鳴らすのは同時だった。


「まだ別れの途中です。あなたはなんの権限でこの方から悲しみを整理する時間を奪うのですか?」


 キャロライナが果敢に詰め寄る男は大教会の制服を着ている。先程遠目から見た騎士長だった。金髪で他人を見下すような嫌な目つきをする彼を、リアはこの瞬間はっきりと思い出した。

 涙が乾くほどに目を大きく見開く。この人は、かつてフランが貧民街で捕まえた人だ。

 人の奇跡の力を奪うことができて、前騎士長の息子や大教会職員を監禁していた犯罪者。

 どうしてそんな人が騎士長になっているのか、想像の範疇を超えた展開に言葉を失い、棺に腕を置いたまま放心して見上げる。


「邪魔だ」


 尚も抗議しようとするキャロライナが騎士長のたくましい腕に振り払われた。容赦のない一撃に彼女は勢いよく倒れ込んでしまった。

 リアは我に返り、すぐさまキャロライナの手を取って起き上がらせる。幸いどこも負傷はしていないようだが、看過できる問題では無い。膝をついたまま、下から騎士長を強くめつける。


「奥様になんてことを! お怪我をなさったらどうするつもりだったんですか? 今すぐ謝ってください」


 この男と初めて会った時は恐ろしかったが、今は度胸が据わり毅然としていられる。目つきの悪さは、拗ねた時のドルフの方が一枚上手だ。毎日のように見慣れているので、恐怖という感情はまったく湧かない。

 騎士長は瑠璃色の瞳を軽侮けいぶで濁しながら鼻で笑い、キャロライナを支えるリアの腕を蹴った。


「呼んでもないのに弔問客気取りで乱入する馬鹿の話など、聞くわけがないだろう」


 屈辱的だ。人に蹴られるなんて気持ちのいいものではない。どうして誰もこの騎士長の愚行を止めないのかと、周囲に対しても憤悶とする。自分はまだしも、キャロライナは治安部隊隊長ボーマンの配偶者なのだ。こんな扱いを受けていい人ではない。

 挑戦的なリアを騎士長はじろりと見定めるようにして目を細めた。


「お前……」


 リアの腕を引き、無理やり立ち上がらせる。こんな乱暴な男の良いようにされるのは嫌だったが、力まかせに引っ張られれば簡単にキャロライナから手が離れてしまった。

 顔を近づけられ、薄い黒のヴェールと一体化した帽子を強引に引きはがされる。青い瞳が記憶を手繰るようにリアの顔を隅々まで這い回っていく。


「お前、あん時の女か」


 帽子が床へ投げられ、胸元を強く押された。体の重心を崩され後ろに傾きかけるが、たたらを踏んで尻餅をつくのを何とか耐えた。


「おい。お前といた男はどこだ」

「知らないわ、そんな人」


 どんなに凄まれようがリアには効かない。つんと顔を横へ向け、男を挑発する。こんな短気な人に騎士長なんて務まるわけがないと、ここの皆に知らしめたい。


「立場をわきまえろ」


 驕慢で冷たい声と共に拳が振り上げられる。まさか衆目の前であからさまな暴力を振るわれるとは思っていなかったので、リアは咄嗟に反応できず立ち尽くしてしまった。

 反射的に目を瞑り、腕を顔の前に持っていく。

 息を止めていても予想した殴打の衝撃が来ないので恐る恐る確認してみれば、ボーマンが割って入り、手のひらで騎士長の拳を受け止めていた。


「騎士長、お騒がせいたしました。私もこのお方にはぜひ、お兄様と最後のお別れをしていただきたいと思いましてね。あなたの邪魔をするつもりはございません」

「治安部隊隊長ともあろう方が小娘一人に肩入れするなど面目が立ちませんな。その地位を譲るべきでは?」

「失礼いたします」


 騎士長の嫌味にも動じず、ボーマンは礼節を損なうことなく一礼する。それと同時にキャロライナもすっと居住まいを正し、ボーマンへ続いて演壇を辞する。

 それを見送る騎士長は口を歪め、せせら笑っていた。

 ボーマンを馬鹿にされ、リアは居ても立っても居られなくて騎士長の前に立ちはだかる。

 負けん気をたぎらせ、歯向かおうと口を開きかけたところで、ボーマンに呼ばれた。落ち着き払った声で、リアさん、とただそれだけだったが、その中には騒ぎを大きくしてはいけないという意味が隠されている。

 リアは不承不承ふしょうぶしょうながらも床に落とされたヴェールを拾い、先に演壇を降りた二人を追いかけた。


 大聖堂を出るまでの白い絨毯上では、人々の好奇の視線が紙吹雪のように降り注ぐ。居心地は悪いが、ボーマン夫妻は前を見据え、めずおくせずとしていたのでリアもそれに倣う。外へ出て真っ先に歓迎してくれるのは燦燦さんさんと輝く太陽だ。室内は光量を落としていたので、しょぼしょぼとする目をかばうように手で影を作る。

 ようやく緊張から解き放たれたリアは、腹の中を全部入れ替えるくらいの勢いで青々しい空気をめいっぱい吸い込み、大きく息を吐いた。


「リアさん、馬車を用意してあるんだ。今日はこのまま私たちと屋敷へ帰ってくれ」


 脱力するリアにボーマンはそっと耳打ちをくれる。

 もちろんそれを断るほど身の程知らずではない。今、大教会では何かが起こっている。だから小さくはい、と頷いた。

 大教会の正門を出てすぐ脇に馬車は停泊していた。白いキャビンが太陽の光を反射して眩しい。

 すぐさま使用人の男性がドアを開けてくれる。夫妻だけでなくリアにも好意的に接してくれることから、ボーマンははじめからこうなることを予想して周知させていたのだろう。何も考えていなかったのは自分だけだと思うと、恥ずかしさが胸を内側からつつく。

 リアが夫妻の後ろで小さくなっているとキャロライナは真っ先に乗り込み、どっかりと座席に腰掛けるなり不機嫌に口を開いた。


「何ですか、あの騎士長は! 一国の王にでもなったおつもりかしら」

「まあまあキャロライナ。彼がそういう人だとは聞いていたじゃないか」


 弾けた怒気を静めようと、ボーマンはやんわりたしなめながらキャロライナの隣に座る。リアは二人と向かい合わせになるように、遠慮しながら浅く腰かけた。まずは詫びを入れなければならない。膝の上で手を握り締め、深くこうべを垂れた。


「奥様をお守りできなくて申し訳ございません……」

「いいのよ。リア様のせいではありませんから」

「ボーマン様にもご迷惑をおかけしてしまって」

「あそこでリアさんに怪我をさせていたら、私がフランシス君とアードルフ君に殺されるかもしれないからなあ」


 はっはっはと冗談めかして笑うボーマンだが、すぐに色を正して憂鬱そうに長嘆する。


「リアさん、騎士長はモグラのあるじを妄信している。おそらく今日は様子見だったと思うが、これからは主や騎士長を中心とした、主派と呼ばれる一派にリアさんが狙われるとみていい。光の力を授かったリアさんが、ラフィリア様復活に関係していると考えているようだからな」

「ラフィリア様が封印されたことは国民に伏せておりますが、降臨されたのであれば少しでもお目にかかりたいと願う人々は多くおられます。主派の方々はラフィリア様の封印を早急に解いて、自分たちの立場を良くしたいのでしょう。ラフィリア様は主の味方をするでしょうし」


 キャロライナはひと呼吸置いてから、言い足りないとばかりに再び口を開く。


「それに、ここへ来てモグラの主は総政公と仲違いしているのよ。主はオルコット騎士長を退任させ、新たな騎士長に自分を信じる者を置いた。これは国を乗っ取る序章だと、わたくしは思っておりますの」


 体を前屈させ囁くキャロライナの言葉と同時に馬車は動き出した。がたん、と体が否応なく揺すられる。

 初耳の情報にリアの興味と不安は高まっていく。

 現騎士長はかつて貧民街にいた頃、大教会に強い恨みを持って仲間と共に悪事を働いていた。そのような人物を主様が上手く取り込んだとすれば厄介だ。

 気鬱にかげる面差しのまま、夫妻に確認の意を込め改めて問う。


「主派と呼ばれる人たちはラフィリアというよりも、主様に傾倒しているってことですか?」

「そうよ。ラフィリア様を崇めるのは変わらないけれど、特に主を中心とした国づくりを理想としているの。その支持者の多くは貧民たち。それが意味する事はあなたにもわかるわよね? 規模が大きくなれば、これまで押さえつけられていた鬱憤を晴らすでしょう」


 憂国に遠い目をするキャロライナに、ボーマンも悩ましげに顎に手をやる。

 この国は長年、奇跡の力が弱い者を都市の端に追いやり蔑んで放置した。力が弱いというだけで不当な扱いを受け、貧民にならざるを得なかった人たちは代々その宿怨を蓄積させている。

 これまでも小規模な暴動はあったらしいが、その都度大教会が押さえ込んだのだそうだ。


「総政公率いるラフィリア派も、主を主体とした大規模な暴動を起こされてはさすがにまずいと対策を練り始めているのだが、騎士団を取られたのは痛手だ。主については私も看過できんから、総政公と共になんとか貧民たちの救済を進めようとしているところなんだ」

「なんだか複雑になってきましたね……」


 新たな勢力の登場で、敵だと思っていた総政公も今の状況ではまったく相反するとは言えない。協力できるところはして、相容れないところはそれぞれ折り合いをつけるしかないのかもしれないと、リアは国を平和に保つ難しさを肌身で感じた。


「総政公もラフィリア様の復活を望み、これまで通りラフィリア様を崇拝することを理想としているから我々の理想とは真逆だが……今は主の強行を止めるのが先決だ。今度、貧民街に新しく建設された聖堂のお披露目を兼ねた完成式典があるのはリアさんも知っていると思うが、いよいよ主派が動き出しそうで警戒しているんだ」

「たしか、主様はその聖堂に付随する邸宅に住むのですよね。まさか、そこで本格的に貧民を味方につけて……」

「その通り。日を置かずに地上と地底の階段開放も控えている。地底人の受け入れ先はその聖堂に併設する保護施設なんだ」


 重苦しい物言いに、最悪の事態が現実味を帯びてきて怖気おぞけが走り、リアは自らの腕をさすった。


「モグラも、巻き込むって事ですか……」


 馬車の揺れも相まって声はうねり、跳ね上がった。


「その確率は高い」


 ほぼ確実な流れのように感じるのはリアだけではない。ボーマンもキャロライナも神妙に頷いた。


「ラフィリア様の降臨をきっかけにして、奇跡の力によって差別された人々が平等への一歩を踏み出すのは私としても喜ばしい。だから階段開放や、貧民街に聖堂を作ること自体は悪いとは思わない。だが、主はその者たちを煽り立てて国を乗っ取ろうとし始めた。それにはとても賛同できない。このままでは、この都市が戦場になり多くの血が流れてしまう」

「今や騎士団の大半が主派だと言いますし、治安部隊員も反ラフィリアを推し進める総隊長に離反する者が多いのですわ。そのお方たちはもれなく騎士団に所属され、規模が大きくなったので近々再編されるそうで」


 それはすなわち、治安部隊が担っていた仕事を騎士団に取って代わられてしまうということ。このままではボーマンの地位が危ぶまれる。それすらも主様の思惑のはずだ。


「戦力が取られてしまうのは見過ごせないが……残ったのは私に同意してくれる者ということ。とにかくだ、リアさん、あなたは危険に晒されている。あなたが主の元へ行ってしまうのが一番の痛手だ。これからはくれぐれも注意してくれ」

「申し訳ありません」


 切に訴えかけるボーマンに、自分の身を自分で守れない不甲斐なさを覚える。俯くとも、謝意を込めた会釈とも取れるような曖昧さで下を向いた。

 そんなリアを励ますように、ボーマンは打って変わり、穏やかな声をかける。


「今日は家に泊まり、明日にでもフランシス君かアードルフ君に迎えを頼もう。あの二人は護衛として申し分ないからな」

「はい。そうしてもらえると助かります」


 何もできず、たくさんの人に迷惑と手間をかけてしまう自分が情けなかった。

 早くすべての決着をつけて楽になりたいけれど、それはまだ遥か彼方、地平線の先くらい遠いように思う。

 だからリアは己の無力さに落胆しながらも、ボーマンの提案に甘んじるしかない。

 膝の上に置いた黒い帽子の短いつばを指で何度もなぞりながら、力なく答えるので精一杯だった。

 話がついたところで丁度馬車は停止し、ボーマン邸に着いた事を御者から伝えられた。

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