第110話 葬儀1
ジョシュア・グレイフォードの葬儀は大勢の貴族が参列し、しめやかに行われている。
弔問客のすすり泣く声やざわめきが、いくつもの柱に支えられた石造りの高い天井まで立ち込め、外は晴れているはずなのに重苦しい湿り気を内包させている。
遥か彼方にある演壇には白い布が一面に敷かれ、中央には白地に金の細工が施された重厚な
大教会はジョシュアの逃亡及び死亡を発表した際、死は惨たらしいものだったとし、遺体は早々に処理したと公式に声明を出している。
本当のところは行方不明のままなのだから、体があるはずはない。見せかけだけの葬儀だ。
リアは入口近くの壁に沿うようにして一人肩をすぼめながら、綺麗に整列してひしめく喪服の背中を眺めている。自分の周りにいるのは大教会の制服を着ている下っ端だ。
大教会職員は全員参加のため、ジョシュアなどまるっきりどうでもいいが命令なので仕方なく来ました、といった風のやる気のなさが壁伝いに群がっている。ひそひそと関係のない会話と、抑えた笑いが時折耳をくすぐる。
こんな人たちならいない方がましだ。彼らも関わりのない人の葬儀に出席したくもないだろうに。
今日は両隣が涼しい。フランとドルフはジョシュアを
騎士団が保護していたジョシュアが亡くなった責任はオルコット騎士長にあると厳しく糾弾され、彼は辞任に追い込まれた。そのため、総政公を含めたオルコット家の者は葬儀への出席を見送られたのだ。
それは仕方のないことなのかもしれないが、今朝、オルコット邸から使者が来て二人は呼び戻されてしまった。総政公がこちらに不利なことをしてくるのではないかと思うと気が気ではない。
想像を膨らませ、こんなところで悶々と神経をすり減らしているのは不毛だ。リアは一度目を閉じて強制的に思考を止める。
再びその瞳に大聖堂の様子を映しても現実は何も変わらない。
ただの人数合わせになっている人の間から時折のぞく棺を親戚が囲い、悲痛に嘆いているのが見えた。次々に訪れる貴族の当主が虚構の棺に儀礼的な礼を払っていく。
何とも滑稽で虚しい。皆、ジョシュアへの敬意はそこそこに、その後ろのラフィリア像へ多大な祈りを捧げていた。熱を帯びる眼差しはリアを苛立たせる。
一体あなたたちは誰を悼むために来たのかと、乱入してやりたい。
ジョシュアは死んでいない。それでももう会えないことに変わりはなく、涙がせりあがって来る。ぎゅっと強く
「前騎士長の失態により、このような事態になってしまい誠に申し訳ない。この俺が騎士長に就任したからには国民を守り、国の更なる発展を約束する。ジョシュア様に哀悼を捧げると共に、新たな国の幕開けを歩んでいこう」
人々の頭の間から見えたのは、天窓から降り注ぐ日華に照らされる金髪の精悍な青年だ。真新しい制服がやけに印象に残る。棺を隠すように立ち、薄ら笑いを浮かべる顔はまるでジョシュアの死を喜んでいるようで、リアの心を逆撫でる。
誰かが異を唱えるのを期待したが、朗々とした声に反応するのは控えめな同意だ。葬儀という場で歓声を上げるのは気兼ねするのか、皆、黙ったまま首を縦に振って騎士長の就任を歓迎していた。
リアはこの時初めて騎士長の姿を見たはずだが、どこかで会ったような既視感が
必死に頭を捻り記憶を呼び起こそうとするが、やはり思い出せない。あともう一押し、喉元まで出かかっているというのに、何とも気持ちが悪い感覚だ。きっと良い思い出ではなかったのだろう。それを抜きにしても、葬儀に似つかわしくない溌剌とした立ち居振る舞いをする彼を好きにはなれなかった。
背が高く、綺麗な金髪で年の頃はフランと同じくらい。鍛え上げられた肉体は服の上からでもわかるほど立派だ。しかし、どこか他人を見下すような傲慢さが見て取れる。まだ次の国主も決まっていないのに、新たな国の幕開けと言ってのける面の皮の厚さに閉口してしまう。
遠くから敵意を向けるリアなど当然気づくはずはなく、彼はここにいる全員に睨みを利かせるように時間をかけて視線を這わせた後、我が物顔で壇上から降りていく。
騎士長の宣言は、重苦しいだけの色を失った悲しみの場に一陣の風を吹かせ、取り巻く空気の流れを変えた。人の間にさまざまな憶測や困惑、噂が微風のように吹いては通り抜ける。
――次の国主は誰か。
親戚筋から次期国主を出すしかない、モグラの主様が適任だ、など。
国民の最たる関心事だとは思うが、次期国主の葬儀でそんな話をするのはあまりに不謹慎ではないだろうかとリアは眉を逆立てる。
誰もジョシュアの死を悲しんでなどいない。気になるのは次の国主だ。なんて薄情なんだろう。ジョシュアは次期国主という以前に一人の人間だ。人が亡くなったら悲しむのは当たり前ではないのだろうか。
そんな鬱憤に支配されるリアのすぐ横で、大教会職員の青年二人がひっそりとお喋りを始めた。
「この国は直系男子が代々国主の座を継承して来たからな。一体どうなることやら」
苦笑交じりの声は、周りに上官がいないのを良いことに大人ぶりたい子供のような幼さを内包したまま、知ったような口を利いている。対するもう一人も似たような表情をして会話を軌道に乗せていく。
「国主には娘もいるんだから、そいつの可能性もあるんじゃないか?」
「モグラだろ? 何年か前に地底に落とされた。もう死んでるだろ」
「お前知らないのかよ! リア・グレイフォードは今、治安部隊にいるんだぞ!? なんでも奇跡の力を授かったとか」
「じゃあそいつが次期国主か?」
「いや、そもそも娘だし、とんでもないあばずれだって話だぞ」
「なんだそれ?」
ぎらりと光を宿す双眸が生々しい。相方が食いついたのに気を良くして男は饒舌に語り出す。
「あのフランシス・オルコットとアードルフ・オルコットをたらし込んで奇跡の力を貰ったとか。それだけでは飽き足らず、治安部隊隊長とも寝て治安部隊に入れてもらったらしいぞ。実際腕っぷしも強くないんだとよ」
「いいよな女は。カラダ一つで地位が手に入ってよ」
下品な笑いが耳にこびりつく。
しかし、ここで躍起になって否定しても意味がない。証明できるものは何もないのだから。悔しく、もどかしくてもひたすら耐えるしかない。
自分のつま先をじっと見つめて嵐が過ぎ去るのを待つ。
「そこの君たち。私の噂話かな? ぜひとも聞かせていただきたいね」
よく知った低い声にぱっと顔を上げた。
「ぼ、ボーマン卿……! 失礼いたしましたっ」
昂然とした風体で声をかけるボーマンを前にし、若い二人の顔は真っ青だ。まさかこんなところに大教会の重役がいるとは思っていなかっただろう、無様に背中を丸めて人の間を縫いながら消えていった。
それを目で追っていたボーマンは改めてリアに視線を戻し、いつも通りの優しい顔で心を落ち着けてくれる。
「リアさん、気にすることはない。人は他人の汚辱が好きだからな」
「そうですわ。自分の身に覚えのないことでしたら、何も小さくなることはありませんのよ」
苦笑するボーマンの横で喪服に身を包み、黒いヴェール越しにリアへ微笑みかけるのはボーマンの妻、キャロライナだ。気の強そうな眉で作る不敵な表情はさまになっている。
「ボーマン様、それに奥様も。ありがとうございます」
「キーラもあなたのように素直になっていると良いのだけれど」
ため息混じりの小言には愛想笑いで応じた。
キーラとはボーマンの一人娘である。キャロライナ譲りの美貌と、艶やかな亜麻色の髪を持ったリアと同年代のお嬢様だ。かつて、ちょっとした事件で関わったのだが、とんでもなくわがままで付き合うこちらが疲弊した。
その時にキーラは犯罪行為に関わっていたため、重く受け止めたボーマンにより、今は地方の修道院に送られて花嫁修業と言う名目の罰を受けている。
失礼ながら、美女であったとしてもあの性格をどうにかしないと嫁の貰い手は無いと断言できるほど強烈だった。どうか矯正されていることを願う。
「リアさん。新しい騎士長には要注意だ。詳しくはまた話す。――キャロライナ、あとは頼む」
ボーマンは周囲に気取られないよう耳打ちをし、妻へ主導権を渡した。それを受け取ったキャロライナは一歩リアの前へ踏み出し、ヴェールですら隠し切れないほど圧倒的な美貌で艶然と笑んだ。
「リア様、わたくしと一緒に来て下さるかしら?」
「え、は、はい」
何が始まるんだろうと、どもるリアの返事を受けて、キャロライナはくるりと背を向け歩み出した。
大物の登場に萎縮する年若い職員たちの間を泰然としたままに出入り口を目指す。扉の真横に控える兵に開けるよう頼めば、すんなりと通してくれる。兵の男はひげ面の中年男性だった。治安部隊らしいがリアの知った人ではない。向こうもボーマン夫人と歩くリアが誰なのか、見定めるように険しい視線を寄こす。
怪しい者ではないと示すため、ぺこりと綺麗にお辞儀をして通り過ぎた。
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