第109話 朧げな現実
八百屋から出て、ぐるぐると町を徘徊する。フラン、ドルフから逃げ出してきた公園には近寄りがたく、かといって大教会に帰っても結局家は二人と同じ。どこにも行き場はなかった。
誰もリアを気には留めず、靴音を一定に保って追い抜かし、すれ違う。歩道の向こうでは馬車が通り過ぎ、空を見上げれば、きっちりと整列する建物の屋根から飛び立った鳥が一瞬だけ太陽を覆い隠す。
壁に掲示されている光の姫君と夜の魔王のポスターを前にお喋りの花を咲かせる、リアと同年代の女の子たち。彼女たちはその話を見て何を思ったのだろうか。
先ほどの女性の言葉が頭から離れない。リアにこの国を継いでもらいたいという。
もし本当にそうなったら、大手を振って歓迎してくれるのだろうか。
「あ、リアいた」
物思いに
「よかった。キミはすばしっこいからすぐに見失っちゃう。勝手にどこかへ行っては駄目だよ」
安堵するフランの柔らかな表情を見ると、鬱屈としていた気持ちが晴れていく。その代わり、二人に対する憤慨の気持ちがぶり返してきた。
「私は勝手にどこかへはいかないし。あなたたちがいつまでも言い争っているから悪いじゃない」
「ごめんごめん。僕としてはアードルフをからかっていただけなんだけど」
からかうというには本気度が高かったように思う。それはドルフも同じだったようで、紺色の瞳に苛立ちを再熱させ、温顔のフランに挑みかかっていく。
「ぜってー違うだろ。お前のそういう後付け設定みたいな言い訳腹が立つ。本音で勝負しろよ。リア、こいつの言う事は信用すんなよ。すぐ手のひら返されるからな」
リアとフランの間に割って入り、守るように肩を両手で持たれた。顔だけをフランに向け、背中越しに警戒を露わにしつつ肉食獣のように威嚇している。それに対するフランはどこ吹く風といったように飄々としていたので、リアはほんの出来心でドルフの腕を取って手を絡ませた。フランとの口喧嘩ではいつも劣勢のドルフに加担する、そんな軽い気持ちで。
「フランはちょっと意地悪だもんね。ドルフの方がわかりやすくて好きになっちゃうかも」
途端、三人を取り巻く空気が一瞬で凪いだ。
すぐにフランが皮肉を返して、ドルフは赤面し慌てるのだと思っての行動だった。
しかし予想に反し、いくら待っても返事はなく、リアの
二人の兄弟はどちらも思い詰めたように目を伏せてしまっている。
その瞬間、リアは現実という冷水を頭からかけられ、体の深層まで急速に冷え切っていく心地を味わった。
ぱっとドルフの腕を放す。
「ご、ごめんなさい! ほんの冗談のつもりだったの。本気じゃないから気にしないで!」
堕ちるところまで落ちぶれた姫なんかに好かれても困るだろうと、調子に乗りすぎた己を反省する。
彼等とはお互いに想い合って繋がっているわけではない。五百年続く運命によって引き合わされただけの関係だ。切っても切り離せないのは間違いないが、それ以上でもそれ以下でもない。それを違えることはできないと、今一度肝に銘じる。
自分が作り出してしまった気まずい空気をどうしようか持て余していると、すぐそばを幼い兄弟が言い争いながら通り過ぎていく。お互いの服を掴み、揉み合いもつれ合っている。体の大きな兄の手に、ごつごつと無骨な石が握られているのに気付き、リアは咄嗟に体を前に出していた。
「あぶないよ!」
それが弟に振り下ろされると思った瞬間に手からすっぽ抜け、止めに入ろうと近づいたリアめがけて飛んできた。
不意の出来事に、踏み出した足は回避行動を取れない。受け入れる覚悟もできないまま、ただその事実のみを視界に映す。当たるのは必然のはずだったが、石がリアに届く直前、上から圧力をかけられたような不自然さで落下した。
「ったく、喧嘩はフェアじゃないといけねえ。こんなもん持ち出した方が負けだろ」
三白眼の鋭い眼光を遺憾なく発揮し、少年たちを一喝してからドルフは石を拾い、フランに手渡した。その刹那、二人は眉を
フランはその石を数度手のひらの上で転がしてから、服を掴み合ったまま固まっている兄弟に向いた。
「キミたち、人が多く歩く場所で暴力的な事をするのはみっともないよ。さ、これはもう無くしてしまおうね」
フランは能天気に、にこにこしながら石を握り込んで二秒ほど少年たちをじっと見つめる。その顔は確かに笑っているが、どこか鋭いと感じるのはリアの気のせいだろうか。
開いた手のひらに石は無く、細かい氷の粒子が風に流れていく。石を凍らせて砂のように砕いたらしい。高度な芸当に、リアは手品のようだと目を輝かせる。対する少年兄弟は喧嘩していたことを忘れたのか、目の前の光景に震えあがり、互いに身を寄せ合って青い顔をしていた。
「ご、ごめんなさいっ!」
謝罪の言葉は遠ざかる背中越しに発せられた。道行く人にぶつかりそうになりながら懸命に遠ざかる。
もう喧嘩などしては駄目だと声をかけたかったが、その暇なく慌てふためき走っていってしまったので、中途半端に伸ばした腕の行き場がない。仕方がないので、すごすごと下ろしてドルフに向き直る。
「ドルフありがとう。あなたが重力を操ってあの石を落としてくれたんでしょ。私、あのままだと当たってた」
「ああ。怪我が無くて良かった」
ちらりと少年たちが去っていった方を確認してから、ドルフはリアのほんの少し後ろへ立った。
「リア、キミは他人の事情にすぐ首を突っ込もうとするけど、あまり考え無しに動かないようにね。今みたいに万が一の事もあるから。さあ、帰ろうか。今日はこれからボーマン様に雑用を頼まれているんだ」
フランは穏やかに諭してからリアの少し前に立ち、大教会へと歩き出す。
先程の気まずい空気は幼い兄弟のおかげですっかり流れ去った。今日も一日、いつもと変わらない日が始まったのだと、リアは当たり前のことに感謝し太陽を仰いだ。
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