揺れる心と秘めたる想い

第108話 光の姫君と夜の魔王

 光の姫君と夜の魔王。その物語は出版されるや否や、若い女性の間でまたたく間に流行し、今や年齢や性別の垣根を超えて一大旋風を巻き起こすほど人々の心に深く根付いていた。


「あなたのことは命にかえても絶対守ります。結婚してください」


 朝の澄んだ碧空と、横一面に広がる輝く水面みなもに勇気を貰い、青年はひざまずきながら女性の手を取ってはっきりと揺るぎなく言い切った。ほんの少しの恐れや緊張を胸間に置いた横顔は誠実そのもの。

 対する女性は突然の出来事に瞠目し、片手で口元を覆う。青年の真心に満ちた眼差しは温かい。それを一身に受け、感情よりも先に涙が溢れ出していた。


「……はいっ」


 お互いだけを求め、二人はこの上ないほど顔を綻ばせて幸せそうに抱き合う。


「おめでとうっ! 末永くお幸せにっ!」


 たまたま朝の散歩中にそんな素敵な場面に出くわしたリアは、遊歩道から声を張り上げずにはいられなかった。湖畔に佇む二人に最大の祝福を込めて拍手をすれば、周りに居合わせた数人も同調し、人生の新たな一歩を踏み出す男女へ大きな優しさが降り注いだ。

 隣を歩いていたフランもリアに合わせ足を止め、ゆったりと手を叩いている。ドルフはというと、顔を真っ赤にして何も聞こえていないふりをしたまま足早に通り過ぎてしまった。


 幸せの只中にいる二人の邪魔をするのも悪いかと思い、リアもすぐにその場から離れる。

 まず、真っ先にドルフの所在を確認しようと振り仰ぐと、それだけで見つかるほど近距離にいた。ちょうど街灯と街灯の間隔ほどだ。一人でそんな遠くへ行ってしまうとは思っていなかったが、限りなく止まっているような速度でリアとフランが追いついて来るのを期待し、それとなく脇の花壇に目をやっている姿がリアには可愛らしく映る。

 走り寄って肩を叩き、からかうように上目遣いに見上げた。


「素敵ね。命にかえても絶対守るっていうのは女の子にとって、とても嬉しい言葉だと思うわ」

「その言葉はな、処刑が間近に迫った危機的状況での一言だ! こんなちちくり合いのための物じゃねえんだよ! もっとおもたーいんだっ!」


 むきになって声高に言い、ふいっと顔を背けてしまった。その先にあった休憩用の四阿あずまやの壁には一枚のポスターが貼られていて、ドルフはまた慌てて視線を逸らす羽目になった。

 『光の姫君と夜の魔王、公演決定』大きく書かれたその紙面の下半分には、キャッチコピーが占めている。

 『お前のことは命にかえても絶対守る』


 約一か月後に控えた、光の姫君と夜の魔王の演劇公演を告知するポスターが町のいたるところに掲示されている。ドルフが降光祭で口走った言葉を見ない日はない。もはや風景として馴染んでいる。

 いい加減慣れればいいのに、毎日毎日律儀に過剰反応するドルフがおかしくて、少しばかりの嗜虐心が唇から漏れる。


「ドルフは大勢の恋愛を成就させる一端を担っているのよ。素敵じゃない」

「俺はそんなの望んでねえっての! なんなんだよこの事態は!」


 元祖であるドルフは不服に目角を立てたり、羞恥に耳を赤めたりと忙しいが、その言葉は間違いなく女の子の理想であり、プロポーズの言葉として使用される頻度が高まっている。実際に出くわしたのは今回が初めてだが、思った通り、多幸な言葉だ。

 殿方の間では光の姫君と夜の魔王を読み、意中の相手に想いを告げれば求婚の成功率が上がる、などと真しやかに囁かれているらしい。

 ゆっくり追いついてきたフランは口元に意地悪な笑みを浮かべてドルフを流し見る。


「お前が恋愛成就を担うなんて笑える」

「魔王は黙ってろ」

「お前だって魔王じゃないか」


 清々しい朝の散歩が、とげとげした兄弟喧嘩の色に侵食されそうになってきたので、仕方なしにリアは仲裁に入る。


「あなたたちは二人で一人の魔王なんだから、こんなところで分裂してるのは良くないわ」

「それに関して僕は納得していない。どうしてあの作者は僕とアードルフを混ぜたのか理解に苦しむ。僕はもっとスマートに、余計な事は言わず保護対象を守るのに。だいだいね、あんな大げさに『命にかえても守る』みたいなこと宣言して周囲にアピールするの、かっこよくないんだよ。自分は頑張ってます、みたいなさ。相手の為じゃなくて自分のために言っているんだ、自分が気持ちよくなるために。第一、お前は大口叩いて実行できてないじゃないか」


 光の姫君と夜の魔王について色々思うことがあったらしく、フランの口は一度開いてしまったら歯止めが利かない。ダムが決壊したかのように次から次へと不満が激しく流れ出る。自分の見解を口にし、それに触発されてさらに熱くなる悪循環だ。

 きっとドルフはそれを流せない。濁流を堰き止めようとする大岩のように真っ向からぶつかっていってしまうと、リアは慌てて二人の間に体を滑り込ませ、取り成そうと手で制する。できる限りの笑顔を意識し、薄氷を踏む慎重さで両者の顔を交互に見やる。


「でもやっぱ、そういう台詞セリフがあった方が盛り上がるでしょ?」


 これはあくまで本の話だ、と強調する。しかし、聞かせたい二人はリアを見ていない。


「ふざけんな。お前はいっつも澄ましてお高く留まっててよ、何でもできます、みたいな顔してるけど本当は超悲観的な根暗のくせに何偉そうに言ってんだっつの。少しは俺みたいな潔さを見習えよ」


 やはりドルフは受けて立った。のんびりとした平和な朝が、ここだけ殺伐とした戦場のような緊張感が張り詰める。あまり人が多くなく周囲にばれていないのがせめてもの救いだ。早いところ何とかして収めないといけないと、リアは大げさに声を高める。


「待って待って、フランもドルフもそれぞれ良いところはあるんだし……」

「お前に見習うところなんてないだろ。感情のまま泣き叫ぶところかな?」


 フランの煽りにドルフの目つきが好戦一色になる。

 もう本の批判ではなく、互いに対する悪口だ。


 この二人は時々こうして大人げなく口喧嘩を始めてしまう。仲裁するこちらの身にもなって欲しい。さっきまでの明るい気分が台無しだ。

 二人に挟まれ、フラン越しに見えた幸せ絶頂の若い男女は顔を寄せ合い、楽しげに愛を囁き合っているようだ。こんな近くに幸福に身を委ね、抱き合う人がいるというのに、どうして自分は一触即発の兄弟を宥めなければならないのだろうか。癇癪のように爆発した不平不満は一気に怒りを最大限まで引き上げ、リアは大きく息を吸っていた。


「あなたたちがここで無駄な言い争いをするなら、私はもう一人で行くから!」


 言うなりリアは駆け出す。いつまでも勝手に喧嘩をしていればいい。

 呼び止める声がかかるが、無視していつもは通らない方向へ走る。

 公園を抜け、むしゃくしゃした気持ちを足音に乗せながら通りを歩く。

 商店が立ち並ぶ通りに出ると、買い出しをする住民の活気が余憤にくすぶる頭を入れ替えてくれた。


「おやリアちゃん。今日は一人? ドルちゃんが見れないのは残念だねえ」


 横から声をかけるのは八百屋の女将だ。彼女はドルフの事をいたく気に入っていて、頬に手を添え物憂げに吐息を散らしてみせた。


「えっと、今日はちょっと色々ありまして……」

「二人と喧嘩したのかい? 若いって羨ましいわぁ。あたしも昔は旦那と色々あったものさ」

「ええ、まあ……」


 本当は二人“と”ではなく二人“が”喧嘩したのだが、女将の過去を追想する意味合いも含んだ妄想に水を差すのも悪いかと、曖昧に頷いてやり過ごした。


「そういえばリアちゃん、オルコット騎士長が退任して騎士団が再編されるんだろ? 治安部隊も交えて」

「そうみたいですね。私の立場は特に変わりませんが」

「オルコット騎士長はとんでもない失態を犯したものだよねえ。間接的にジョシュア様を死に追いやったんだから。それでも大教会をクビにならないのは、さすが総政公の跡取り息子様ってことかね」


 女将は鼻を鳴らし、棘のある言い方をする。

 先日、大教会はジョシュア死亡の声明を出した。それに伴い、ジョシュアを保護していた騎士団の不手際で行方不明になった事も明かされた。その事実は噂話として町中に広まっていたので公表しないわけにはいかなかったのだ。

 もちろん騎士団への非難は轟々。騎士長は辞任せざるを得ない事態に。


「貴族様はいいよねえ、あたしらみたいに職やお金の心配しなくていいんだから。あたしら庶民は、これからこの国がどうなるのか不安なんだよ。最近の大教会は何だかおかしいからね。新しく就任した騎士長はやたらモグラのあるじを崇拝していて、さらには貧民とも繋がりがあるって聞くし……おっと、これはリアちゃんたちに対する愚痴じゃないよ。もっと上層部にだから」

「私も大教会のやり方には疑問を持つことも多いですから」


 女将にふざけたところはなく、自分たちの生活が脅かされる事を憂いていた。

 リアに大教会の在り方を変えることはできないので、気休めだとしても女将の心を軽くしてあげられるように大きく頷いて共感を示す。


「リアちゃんはあたしたちの味方だと思ったよ。ジョシュア様がお亡くなりになられたと発表されて、大教会は次の国主はモグラの主だと少しずつ決定付けようとする。でもね、率直な意見、得体の知れない人に国を任せたくはないんだ、あたしたちは」


 周囲の空気を一気に吸い込んで吐き出される大きなため息に混じり、リアの後ろから別の息づかいが聞こえた。

 振り向けば、女将と同年代くらいの細身の女性が立っていた。買い物籠を手に提げ、揃いも揃って嘆息している。


「そうそう、モグラの主がラフィリア様に近しい存在だっていうのも本当なんですかね? 経歴を騙っているだけかもしれないですし、私はいっそリア様に跡を継いでもらうのがいいんじゃないかと思っています」


 どくん、とリアの心臓が跳ねる。

 女将は快活に手を叩き、リアの横を通り抜け女性の前で会話を決め込んだ。


「奥さん分かってるね! あたしもジョシュア様の訴えが心に響いちゃってね。自分の身をかえりみず、即位宣言の場ではっきり意見してかっこよかった! 国の頭としてあの対応は駄目だったかもしれないけど、一人の人間として妹を想う姿は最高だった。あとは、リア様が元気で生きていればいいんだけどね。地底で十年以上、どうなっているかねぇ」

「今人気の光の姫君と夜の魔王のお姫様、あれはリア様がモデルですよね。きっと今このタイミングで出版されたのには意味があるんじゃないかって」


 二人の会話は取り留めもなく続く。どこにでもある井戸端会議だ。深い意味は無いと分かりつつも、小さな石を投げ入れられたリアの心は波紋を広げ不安定に揺らぐ。


「奥さんもあの話、読んだんだね。あたしも子供のを読ませてもらってね。素敵な話よね、忌み嫌われる者同士が惹かれ合って。若いっていいわぁ」

「私も娘に借りて読んだんですよ。あまり大きな声では言えないですけど、ジョシュア様の演説もあって、十年前にリア様が地底に落とされた時のことをもう一度考えてしまったんですよね。確かにリア様はラフィリア様の力が授からなかった。それは異常なことだけれど、地底に落とすのはやりすぎだったんじゃないか、って。……お嬢さんはその時小さかったから覚えていないでしょう? この国の姫の事は」


 話の流れに沿って優しくリアに視線が移された。


「……ええ。あまり。……すみません、失礼します」


 直視できず、リアはその場から逃げ出した。

 『リア』なんてありふれた名前で、姫なんて言うには凡庸すぎる顔に焦茶の髪。誰もリアがその『リア』だと気が付かない。

 もし、それに気が付く人がいたらどんな反応をされるだろうか。

 商店が軒を連ねる通りの片隅を小さくなりながら行く宛てなくさまよう。


 リアはここにいる。


 地底で生き抜いて、大教会まで戻って来た。そしてその先は――

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