第107話 治安部隊の友人4

 ヘレナとの一週間はあっという間に過ぎてしまった。最終日にはあらかた片付いてしまっていて、掃除の途中で発掘した椅子を向かい合わせに窓辺に並べ、日向ぼっこをしながら一日中話に花を咲かせていた。


「ヘレナちゃんとここの片づけができて良かったよ。同じ治安部隊として、これからもよろしくね」


 それは自然と出た言葉だった。今回の仕事は終わったが、今後も治安部隊として同じ任務に就くかもしれないし、友達として親交を深めていきたかったから。

 当然ヘレナからも似たようなことが聞けると思っていたが、悲痛な面持ちで顔を曇らせてしまった。

 自分といるのが嫌だったのだろうかと、リアは血の気の引く思いに駆られるが、それについて適切な謝り方がわからない。楽しく軽い空気がまたたく間に重く濁る。


「実はわたし、今日で大教会を退職するんだ」

「えっ」


 独り言のように唇から流れたのは信じがたいものだった。冗談であって欲しいが、伏せられた目は嘘にしては暗すぎる。


「リアちゃんといるのが楽しくて、つい今日まで言いそびれちゃって。……明日の朝、故郷の村へ出発するの」


 あまりの急展開に言葉を失う。開け放った窓から入るそよ風が、別れを惜しむように二人の間で渦を巻く。

 ヘレナは顔を上げ、垂れた長い亜麻色の髪を耳にかけた。


「わたし、大教会に勤められることになって嬉しかったの。出身はこの国の辺境だと言ったでしょ? その村から名誉ある大教会に勤められるなんて凄い事だともてはやされて、自分自身も希望を持って聖都ラフィリアへやってきたの」


 一週間色々な話をして、その中でヘレナの出身である村の話もよく話題に上った。リアは聖都ラフィリアから出た事がないので、とても新鮮で熱心に聞いた。温かい住民が皆で助け合って暮らしている素敵な村だと。


「聖都ラフィリアはこの国の首都であり、ラフィリア様の恩恵を多く受ける華やかな都市だと聞いていて、どんなに素晴らしい場所なんだろうと希望を持っていたのを今でも覚えてる。……でも、ここはわたしの思い描いていた理想とは違ったんだ」


 理想とは違った。その部分を口にする音色は低く、失望に荒涼としていた。

 泣くまいとし、無理やり笑みを形作る頬は引き攣れている。何と答えるのが正しいのか見当がつかず、リアは唇を引き結んでヘレナを見つめることしかできなかった。

 リアを気づかうように目元を緩め、ヘレナはお話を語って聞かせるような和やかさで続ける。


「奇跡の力を持たず、地底に落とされた悲劇の姫君。それは私の住む小さな村にまで伝わってる。でも、わたしの故郷では国家の一大事でさえも夢物語で、あまり実感はなかったけど、実際ここに来て確信したんだ。この都市はおかしい」

「そうなのかな、やっぱり……」


 奇跡の力が絶対であるのは当たり前の価値観だ。力のない者には価値がない、そう言われて育ったし、モグラとして十年も地底で生きてきた。


「わたしの村では半数が力を持たない人だけど、差別はされていないの。皆、普通に生活してる。辺境だからと言われればそうなんだけど、ここへ来てからその素晴らしさに気が付いた」


 郷愁を写す瞳は春の日差しのように暖かい。

 この国にもそんな平和な暮らしをしている人がいることに、少しだけ希望が見える。いつか自分も行ってみたいと、そう思った。


「リアちゃん。これまで言ってなかったわたしの話、聞いてくれる?」

「うん。もちろんだよ」


 寂しそうなヘレナに、リアも泣きそうになりながら応じる。

 語るべき事柄を思い出すように一度目をつぶってから、ゆっくりと息を吸った。


「わたしの初任務は平和条約締結会議の警備だったの。大聖堂の外にわたしたちの部隊は配置されてたんだ。ベテランの部隊長と、わたしを含む五名の新人」


 あの時の大教会はラフィリアによって惨状にさせられた。ヘレナもそれを目の当たりにしたのだろう。気丈に声を張っているが、ほんの僅かに語尾が震えている。思い出したくない過去に無理やり向き合っている証拠だ。


「そこにラフィリア様がやって来たの。部隊長は彼女の力を見抜き、武器を捨て、抵抗しなかった。わたしたちを守るために。なのに……ラフィリア様は部隊長を殺した。無抵抗だったのに。……あれが女神のしわざ?」


 顔を歪ませ泣き崩れるヘレナを抱きしめるため、椅子から立ち上がる。その痛みを肩代わりしてあげたい。

 目の前で上官を殺された衝撃はリアには想像もできないものだろう。気が狂ってもおかしくはない。慰める言葉なんて到底持ち合わせてはいなかった。

 華奢な背中をさすり続ける。どうか独りでそれを溜め込んで潰れてしまわないように。 ヘレナが落ち着くまで、ずっと祈りを込める。


「わたし以外の新人四人はその後すぐ大教会を去った。わたしは村の期待を背負っていたから辞めることができずにいたけど、両親に打ち明けてようやく踏ん切りがついたの。わたしはもうラフィリア様も、ラフィリア様を担ぎ上げる大教会も信じられない」


 大教会でそんなことを口走れば、場合によっては処罰が下ってしまう。ずっと心に押しとどめ、周りに合わせて生きるのはつらかっただろう。


「私も同じように思ってる。ラフィリアなんて大嫌い」


 ヘレナから離れ、椅子に座り直しながら同調する。

 するとヘレナは受け入れられた安堵から、濡れた瞳に光を宿らせた。目尻に残っていた涙を指で拭い、親密な笑みを見せてくれる。


「リアちゃんと会って、迫害されるような人ではないと思ったの。とても優しくて、気さくで。どうしてこの人が力を持たないという理由だけで、不当な扱いを受けなければならないのかと。フランシス様とアードルフ様もそうよ。あの方たちの悪い噂はたくさん出回ってるけど、実際に会ってみたら拍子抜けするほど普通の人だった。強い力を持ちながら、それを少しも鼻にかける事もなくって、蔑む人の方がよっぽど穏便じゃない」

「ありがとうヘレナちゃん。そう言ってもらえて私は嬉しいよ」


 二人で笑い合う。


「本来、治安部隊の統括であるボーマン様が一般隊員のわたしと直々にお話しをする事なんて無いんだけど、ラフィリア様の被害を見せられたわたしたち新人の事はとても気にかけて下さって。ボーマン様がどうして最後にリアちゃんとわたしを引き合わせたのか、よく分かったよ。リアちゃんといると、希望が湧いてくるもの」

「そんな……。私はヘレナちゃんと仲良くしたかっただけで、何もしてないよ」


 特別な力があるとか、意識的に元気づけようとしていたというわけではない。買いかぶりすぎだ。

 持ち上げられてどぎまぎしているとヘレナは笑みを消し、表情を引き締めた。


「リアちゃん。どうかこの国を変えて。わたしは奇跡の力なんていらない。ラフィリア様によって、あっけなく殺されてしまう命がなくなるように、女神ラフィリアの好きにさせないで」


 胸中のすべてを吐露する訴えは現実的なものではない。たくさん人が殺されたのを見て導き出した短絡的なもので、ヘレナ自身、具体的な案など無いはずだ。だが、確実にリアの心は揺さぶられた。

 国を変えろ、それは兄ジョシュアにも言われた。元よりリアはラフィリアの消滅を遂行するために動いている。少なからず国を変える一端は担うはずだ。

 男子ではないため継承権は持たないが、国の象徴だった国主唯一の直系である自分。十年モグラとして蔑まれて来た自分。ラフィリアを消滅させるための切り札になる自分。複雑な立場は進むべき正しい道を覆い隠す。

 不安定な情勢で、すべてを立てて進むのは一筋縄ではいかない。


 ここは嘘でも大きく出て、国を変えると豪語してしまえばヘレナへ餞別の代わりになったのだろうが、無責任に言う気にもなれなかった。

 午後の温かな日和の中で、互いの想いを整理するようにリアとヘレナはどちらからともなく抱きしめ合う。

 遠く離れても、この一週間を忘れないように。


 すっかり綺麗になった一室を、掃除し忘れがないか名残惜しく確認し、ゆっくりと掃除用具を片付ける。ここを出たらヘレナとお別れだと思うと寂しい。二度と会えなくなるわけではないが、気軽に会いに行ける距離でもない。

 橙色をする太陽が少し憎らしい。

 最後の会話を楽しんでいると、今日もまた扉が叩かれた。

 入って来たのはフランとドルフだ。

 ヘレナは二人の前に出て深々と頭を下げる。


「フランシス様、アードルフ様。わたし、今日で大教会を辞めて実家に帰るんです。言うのが遅くなってしまい申し訳ありません。今までありがとうございました」

「そうなのか? 残念だな。せっかくリアに友達ができたと思ったのに。たまにはこっちに遊びに来いよ」

「……はい……」


 ドルフの正直な挨拶にヘレナは言葉に窮し、顔を俯けてしまった。この都市に良い思い出がないヘレナにしてみたら、もう二度と足を踏み入れたくはない場所に決まっている。

 そんな事情など知らないドルフを責められもしない。明らかに気落ちしてしまったヘレナにドルフはうろたえる。どうやら失言をしてしまったらしい、ということしか確かな情報がない彼はどのように謝ればいいのかわかるはずもなく、会話は不完全燃焼のまま途切れてしまった。そんなドルフに助け舟を出すべくフランがこの場を引き継ぐ。


「ご実家は遠方とおっしゃっていましたね。長旅でしょうから、今日はゆっくり休んでくださいね。少しの間でしたが、仲良くしてくれてありがとうございました」

「こちらこそ、ありがとうございました」


 それ以上は何も言わず、いつもと同じようにヘレナを宿舎に送り届ける。昨日までは次から次へと会話の種は発芽していたのに、今日は荒野が広がるばかりだ。

 一言二言、掃除大変だったね、なんてどうしようもない言葉を交わすだけで無情にもたどり着いてしまった。

 暮れかけて薄暗くなった宿舎前の庭には、外灯が暖かな光をもって玄関への道を示す。


「ヘレナちゃん、元気で……」

「リアちゃんも元気でね」


 胸の前で小さく手を振る。ヘレナがまたいつか、ここへ来たいと思えるような都市になったらいいなと漠然と考えながら背中を見送る。揺れる亜麻色の髪が遠ざかり、宿舎玄関の手前で振り向いて手を振るヘレナに、こちらも大きく振り返しながら、リアの単独任務は終わりを迎えた。

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