第106話 治安部隊の友人3

 数日後、リアはヘレナと二人で町へ出かける約束をした。

 いつもフランかドルフとしか買い物に行っていなかったので、同性の友達と出かけるのは冗談抜きで楽しかった。

 町を散策し、気になったお店を物色して回り、疲れたので今はカフェでお茶の時間だ。


「リアちゃん。今日はリアちゃんにプレゼントがあって」


 席に着くなりヘレナがバッグを漁り始める。

 差し出されたのは一冊の本だった。『光の姫君と夜の魔王』という題名だ。


「え? 良いの?」

「もちろん! わたしも持ってるんだけどね、今すっごく人気なの! 品切れで中々買えなかったんだけど、昨日たまたま買えて。宿舎でも流行ってるんだ!」


 前のめりになり、長い亜麻色の髪がテーブルに載るのも気にせず声高に語られれば、興味をそそられる。


「どんなお話?」

「ざっくり言うと、虐げられて囚われていたお姫様が魔王に気に入られて、お互い惹かれ合い、最終的に結ばれるの!」


 どうやら恋愛物らしい。興奮気味に捲し立てる様子から、このお話の期待値はかなり高まっていく。

 ヘレナはその勢いのまま、口元に抑えきれない笑みを浮かべて続ける。


「その魔王様の台詞せりふ『お前のことは命にかえても絶対守る』って、それがすっごく素敵で……!」


 きらきらと顔の周りに星を浮かべてうっとりするヘレナに、リアは思わず声を上げて笑ってしまった。


「それ、私もまったく同じこと言われたよ」

「ええっ!? なにそれ!? 誰に!?」

「ドルフに」


 降光祭でドルフが口走っていた。もはや懐かしい思い出だ。

 老後にゆったりと若い頃を思い出すような、のんびりとした気分のリアに対し、ヘレナは椅子から腰を浮かせて迫ってくる。お茶時で賑わう店内で良かった。多少の盛り上がりでは目立つことはないのが救いだ。

 大げさな反応に、どうどう、と両手で制するが、上がりきった熱は冷めそうもない。


「アードルフ様、情熱的で大胆っ! 大教会で出回っている噂って本当にあてにならないんだね」


 ヘレナは腕を組み、世間へ遺憾の意を示すように形の良い眉を吊り上げる


「実際フランとドルフってどんな風に噂されてるの?」


 ミルクがたっぷり入った熱いコーヒーを少しずつ啜りながら尋ねてみる。途端にヘレナの眉は通常よりも垂れ下がってしまった。


「えっと……リアちゃんに言っていいのかな……結構酷いと思うけど……」

「大丈夫、聞いてみたい」


 相手が親密にしている人の悪い話を聞かせるのは勇気がいる。少しだけ迷い、視線がテーブルの上を撫でた後、ヘレナはリアに全てを託すように声を潜めて重い口を割った。


「まずフランシス様だけど、奇跡の力が凄く強いから単純に恐れられているの。やっぱ、みんな怖いんだよ。それに総政公のご子息様だし、何か無礼を働いて立場を悪くしたり危害を加えられたら嫌だから、関わろうとはしないの」


 改めて他人から聞く酷評は、本人を知っているからこそもどかしい。


「それに、フランシス様は奇跡の力を打ち消せるんでしょ? その特殊な力がラフィリア様に対する冒涜だと目の敵にされてる。大教会に所属させる事自体に不満を持ってる人は多いの。大教会はラフィリア様の下、この国を守る役割があるのに、ラフィリア様の恩恵を無碍むげにするような人をどうして所属させるんだ、って」


 ヘレナは思ってもいないことを言うのが辛いらしく、一度息をつき気持ちを落ち着けてから先へ進む。

 リアもその間、波立つ心を静めるためにカップを両手で覆い、温かさを頼りに平常心を手繰り寄せる。


「……本人の意思に関係なく持って生まれてしまったものだし、わたしはそんなの周りの後付けでしかないと思ってるけど。リアちゃんに奇跡の力がなかったのもそう。わたしはリアちゃんが地底に落とされた時はまだ子供で、あまり深くは考えなかったんだけど、今思うと大人たちはちょっと騒ぎすぎだったと思うのよね。奇跡の力って皆、そんなに強くなくて、あってないようなものだし」


 忘れたと思っていた幼い頃の記憶が断片的に表層まで浮上する。信頼していた人々から投げられる数々の心無い言葉、そして底の見えない階段に突き落とされ、転がり落ちる痛み。


「……ありがとう、ヘレナちゃん」


 今、ヘレナが軽く言ってくれた事でリアは救われた。地底に落とされてしばらくの間、自分は無価値な人間だと責めて過ごしたのだ。その時の自分に、世界の全員から嫌われたわけではないと伝えてあげたい。

 色々な感情がない交ぜになって感極まるリアに気を使ってか、ヘレナは明るく話の軌道を修正していく。


「あと、アードルフ様だけど、彼は炎を撒き散らすから危険人物だし、よく大教会の人と喧嘩してるみたいで、怖い人ってイメージ」

「炎が出ちゃうのは弁護のしようがないけど……ただ、故意的にじゃないのよ。あんまり制御できてないだけだし、喧嘩してるっていうのも大教会の人に嫌味を言われたりするからなの。ドルフは感情を我慢できないから、突っかかっちゃうのよね。自分から喧嘩しにいく人ではないの」


 本当は子供のように純粋なのだ。思わず自分の事のように弁明し、全面的に味方してしまう。


「うん。会ってみてそれはわかったから大丈夫。比較的わかりやすくて、なんか思った以上に親しみやすかった」

「そうなの。愛想良くすれば、絶対もっと上手く人間関係いきそうなのに」


 ドルフは目付きの悪さも手伝って、何も知らない人にしたら不機嫌で凄んでいるようにしか見えない。本人にそんなつもりはないのだが、周りが避けていってしまうので、その誤解はいつまでたっても解けない。

 どうしたものかと難しい顔で思案するリアの正面では、カップを横へ避けたヘレナの口元に、聞き逃さないと言わんばかりの興味津々、お節介なにやつきが支配していた。


「二人ともいい人で、しかもすっごくかっこいいのにみんな損してるよ! リアちゃんは独り占めしてずるいっ! 実際リアちゃんはどっちと付き合ってるの?」


 この質問は絶対に来ると思っていた。大いに期待が込められた視線を向けられて気まずい。


「二人とはそういう関係じゃないよ」

「えーほんとに!? じゃあ、フランシス様とアードルフ様とはどのような関係で!?」


 リア自身その答えが欲しい。フランやドルフとの関係を言葉で表すとしたら、なんというのだろう。友達と言うのはしっくりこない。かといって恋人でも家族でもない。一番正しいのは治安部隊の同僚か。


「うーん。多分、ヘレナちゃんが思っているようなロマンティックなものではないよ。ただ一緒に暮らしてるってだけで」


 ヘレナの期待に沿えなくて残念だが、これがすべてだ。リアは手持ち無沙汰になり、顔の横に流れる髪をくるくるといじる。


「一緒に暮らしてて何も起こらないはずがない! 実際どうなの? わたし口は堅いし、リアちゃんをおとしめるような噂は流さないから。言っちゃえ、言っちゃえ」


 煽り立ててくるが隠しているわけではないので、これ以上リアの手の内は無い。


「本当に何もないんだって。三人で仲良く暮らしてる」

「リアちゃんはどっちの事が好きなの? やっぱフランシス様の方が王道かしら。優しくって気遣いもできて完璧よね。でも、アードルフ様も見かけによらず無邪気なところがあって、ギャップにやられる可能性はあるかぁ」


 胸の前で手の平を組み合わせて妄想に片足をつっこみかけているヘレナに、リアは乾いた笑いを送る。

 フランは外面が良いだけだ。実際は自由奔放で他人に興味が薄い。ドルフが無邪気なのは認める。

 よく知りすぎてしまったせいか、特に感情が動く事はない。恋の始まりは、見える景色がきらきらと輝くように変わるとどこかで聞いたが、そのような多幸感はこれまで無かった。


「どちらにもときめくことはないなぁ……」

「そんなぁ! リアちゃんって実は超絶ニブいの!? フランシス様もアードルフ様もリアちゃんのこと好きよあれは! あんな特別な眼差しを向けてくれてるのにっ」

「うーーーん……なんていうか、それは色々あって、多分ヘレナちゃんが期待してるようなものではないと思うけど……」


 二人にとってリアは特別で、リアにとっても二人が特別なのは間違いない。五百年前から決められていた運命の上に生きる者同士、切っても切り離せないのだ。ラフィリアを消滅させるまでは。

 思えば二人との出会いはどちらも最悪の印象だった。それが今では離れがたい存在になっている。どうやっても運命からは逃れられない大きな力を感じ、リアは己の小ささに落胆する。

 憂いを帯びた遠い目をするリアに、ヘレナは鼻息荒く力説をやめない。


「リアちゃんたちには、わたしには想像もできない事情がありそうだけど、それを抜きしてもぜぇったいお二人はリアちゃんに気がある! もっと自覚を持って!」

「えぇっ……」


 街頭演説のような力強さで語られ、リアは気圧けおされ気味に、相槌とも言えない無味乾燥な呻きを漏らす。


「お二人はどうしてリアちゃんに愛の告白をはっきりしないのかしら。意外とシャイなのかな……いや、でもここは男らしく言って欲しいっ! ずっと好きだったって!」


 ひとり熱を上げ、ヘレナは声高に脳内の妄想を惜しげもなく披露する。


「ないよ、ないない」


 げっそりと顔の前で手を振る。

 普通に考えて、あの二人と自分では造形に差がありすぎて釣り合わない。美女と並んでいてもらう方が周りも嬉しいはずだ。

 それに、もしそんな事を言われてもリアは受け入れられない。

 彼らはラフィリア派筆頭の家の人間なのだ。今のままでは、決して相なれることは許されない。

 共に暮らす生活も良くないことはわかっている。どこかで区切りを付けなくてはならないのは必然だ。


「リアちゃん、今難しいこと考えてるでしょ。顔が険しいよ」

「はっ、えっ、えぇっと……」


 言われてリアは両手を頬に当てた。

 また顔に出ていたのだろうか。どうしたらこの習性は治るのだろう。

 どう答えたものかと戸惑うリアをからかうことはせず、ヘレナは静かに微笑んでから、すっと表情を切り替えた。恋の話に盛り上がる女子の雰囲気は鳴りを潜め、そこにあるのは助言者の風格を漂わせた女性の顔だった。


「ねえリアちゃん。リアちゃんたちはさ、貴族で、わたしみたいな庶民とは違うから、自分の自由に恋愛して結婚して、っていうんじゃないと思うけどさ。家同士の損得だとか……特にリアちゃんたちはそれ以上に色々抱えてるだろうし。でも、一緒にはなれないのだとしても、自分の気持ちをおざなりにしないで、ちゃんと向き合ってみるのもいいんじゃない? そうしたら後悔の無い選択ができると思う」

「自分の気持ち……?」


 ヘレナにはラフィリアのことや、自分たちが成し遂げようとしていることは何一つ話していないはずなのに、妙にしっくり来る。


「そう。自分の気持ちを認めずにした選択は、後で絶対後悔すると思う。でも、自分の気持ちをわかった上で下した選択なら、しっかりと納得できるんだよ。自分にとって何が大切で、それを実行するためには何が必要で、何を捨てるべきなのか、自分の中で答えを出すの。失った後に後悔しても遅い。だから、主体的に物事を動かした方がいい」


 核心をつく物言いにリアは考え込む。

 リアも素敵な恋愛に憧れる普通の女の子だ。

 地底にいた頃は、仲の良かった娼婦たちと恋の物語を見聞きして一緒にときめいたし、いつかは自分も狂おしいほど胸を焦がす恋をしたいと夢見ていた。

 フランやドルフに対し、恋物語の中によくあるような胸の高鳴りは感じない。 ただ一緒にいて誰よりも落ち着ける存在なだけだ。

 この感情が何かはわからないが、ずっと一緒にいたいと切望しているのは疑いようもない。

 だが、今の情勢を鑑みれば、それは叶わない。どこかで別れはやって来る。それをわかった上で、どう動くかを考えなければならない。


「真面目な事言っちゃった。わたしはリアちゃんたちの事情には首を突っ込まないから、ちゃんと考えるんだよ。……さ、もう一杯頼んでまだまだ話そうっ」


 諭されているのに不思議と嫌な気持ちにはならなかった。柔らかいヘレナの物言いは程よい距離感を保ち、見守ってくれている。


 その後は終始明るい話だった。ヘレナの故郷の事や大教会の同僚の話など、話題が尽きることはない。

 気持ちとその場のノリで延々と続く会話は楽しかった。どこへ流れつくのかもわからない川だが、身をまかせて流れ続けることこそがお喋りの醍醐味だ。


 その日は結局、日が暮れるまで喋り倒した。ヘレナを宿舎まで送り、高揚感を持ってリアも帰路に着いた。

 家に帰ればフランとドルフが待っている。

 フランが用意してくれた夕飯を三人で食べながら今日一日の出来事を話せば、二人共よく聞いてくれる。手放したくないほど幸せだった。

 やはり、まだこの生活は捨てたくない。もう少しだけこのまま。





 その夜、ヘレナから貰った『光の姫君と夜の魔王』を読んでみる。

 軽い気持ちでページをめくってみれば、皆が魔法の力を持ち、幸せに暮らしている国に突如生まれた魔法をまったく使えないお姫様が主人公だった。

 まさか自分の事では……? と心音がうるさくなるが、ありがちな設定だと思い上がりを押さえ、その日は本を閉じた。


 そのまま数日かけ、じっくりと読み進めていく。

 姫は城の塔に幽閉されて日々孤独に泣き濡れていたところ、強い力を持ち、国民から恐れられている魔王がそれを見つけ、誰にもばれないように逢瀬を重ねて心を通わせていく。

 しかし、そんな日々も長くは続かない。父である国王に見つかり、姫の処刑が決定してしまう。それを知った魔王は処刑の場に乱入し、炎と水を自在に操って見事姫を助け出し、めでたく結ばれる、という話だった。


 ぱたん、と机の上で本を閉じ、しばらく呆けてしまう。

 かなり脚色されているが、降光祭での自分たちのことが元になっている。

 降光祭直後、フランの行いを見た者によって魔王が降臨したと町で噂になっていた。きっとそれに着想を得てこの話ができたのだろう。

 それが売り切れるほどに皆が見ているなんて、なんだか気恥ずかしくなりリアは余韻を断ち切るようにベッドへと潜り込んだ。

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