小休止

第104話 治安部隊の友人1

 ひっそりとジョシュアを亡命させた数日後。

 そんな真実など知らず捜索に精を出す騎士団を尻目に、ボーマン直々にリアへと単独任務が下った。


 たった一人の兄を失った虚脱感はすさまじい。なんとか日常生活を送っているが気分は晴れず、世界は薄い布をかけたように不鮮明だ。フランもドルフもあえてその事には触れず、いつも通り接してくれている。ボーマンは傷心するリアのために、気分転換になりそうな仕事を与えてくれた。

 大教会内の治安部隊管轄区域にある、倉庫として使用されている部屋の片づけだ。期間は一週間。ボーマンの話ではリアと同年代の女性がもう一人いるらしく、二人でこなして欲しい、との事だった。


 ボーマンの執務室を通り越し、その突き当たり手前の部屋が今回の任務場所。初めて入るので緊張しながら扉を開ければ、真っ先に埃の匂いが鼻を掠めた。扉のすぐ横まで物が溢れ、床に直接書類が積み重なり不安定に傾いでいる。

 ふわっと通り抜けていく風に誘われた視線の少し先には、窓に手をかけ、長く柔らかな亜麻色の髪を風になびかせる一人の女性がいた。色素の薄い青い瞳と目が合う。


「お待たせしちゃいました? 遅くなってごめんなさい」


 想像とかけ離れた可憐な女性を前にして、どんな人と仕事をするのか胸の中に引っ掛かりを残していた不安はすっかり消化された。軽く会釈をして詫びれば、女性もリアを見て緊張が解けたのか目尻が下がる。


「いえ、わたしもたった今来たところでして。あまりに埃っぽいので窓を開けたところでした」


 落ち着いた声で弱々しく笑う姿は、治安部隊というにはいささか儚すぎる印象だ。陽に透ける髪は荒事知らずな艶を放っている。大教会の制服を着ていなければ治安部隊と言われても信じないだろう。リアを出迎えようとしてくれるが、足元には木箱や、むき出しの防具などが置かれていて、足を上げたり避けたり、普通に歩くのですら手間取るほどの無法地帯。もどかしい時間が数秒過ぎる。

 リアも室内に入り、無計画に放り込まれた机を回り込んだところでようやく女性と対面できた。


「初めまして。私はリアです。今日から一週間、一緒にお掃除よろしくお願いします」

「ヘレナと申します。どうぞ、よろしくお願いいたします」


 礼儀正しく頭を下げる姿は、どこか元気が無さそうだった。自分の感覚的なものなので不確かだが、覇気がないようにリアにはうつる。とはいったものの、初対面なのであまり踏み込むものでもない。気が付かないふりをして、差し当たりのないやり取りを僅かに交わし、本来の目的である掃除を始めることにした。


 ざっと部屋内を眺めれば、風に吹かれた埃が太陽に照らされてきらきらと宙を舞い、精神的に行く手を阻む。不用品を秩序なく詰め込むだけ詰め込んだ部屋は倉庫と言うよりは、一度入ったら抜け出せない魔境だ。荒れ果てた惨状を前に、どこから手を付けたらいいのか途方に暮れる。

 入ってすぐ前には大きな執務机、右には書類の山。左には、とりあえず入れました感満載のテーブル、本棚に箪笥たんすまで置かれている。その他、何かが詰められた木箱は数えきれない。


「治安部隊の人たちって意外とものぐさなのかな……」

「普段は町の治安維持のために奔走している腕が立つ人ですから、お掃除は苦手なのかもしれませんね」


 ヘレナの柔らかい物腰は、リアのけばだった気持ちを静めてくれる。

 決して主張はしないが確かに人の心を掴む、花のような愛らしさを持ちながらも率先して足の踏み場を作っていくヘレナに倣い、リアも入口周辺に積まれた書類を退けて居場所を確保する。

 二人で相談し、まずははたきで片っ端から積もりに積もった埃を払っていく作業に落ち着いた。口と鼻を覆うように手ぬぐいを巻き、幾年月も超えた埃から喉を守る。

 リアは手近にあった大きな本棚を初めのターゲットに絞った。三つ重ねて置かれていた中身の入っていない木箱の一つを裏返し、踏み台代わりにして一番上から熱心に払っていく。

 表面を撫でるように羽根を動かしただけで大量の埃が拡散し、思わず顔を背けた。しばらく繰り返していくと、次は床に落ちた塵が気になってくる。そろそろ一度、床の掃き掃除でもしようかと、はたきを持つ手の動きが鈍ったところ、ヘレナが箒に持ち替えて綿埃をちりとりに収めてくれた。


「ありがとうヘレナちゃん」

「いえ。わたしはしばらく床を担当しますね」


 痒い所に手が届く非常に優秀な人だと感心する。ぜひとも見習いたい。

 手際が良く、真剣に取り組む姿には真面目さが滲んでいて好感が持てる。

 リアは本棚に横倒しになっている一冊を手に取り、ばさばさ振りながら、眼下のヘレナを窺う。逃げる埃の塊を箒で押さえつけながらちりとりに誘う彼女へ話しかけてみることにした。仲良くなれたいいなと期待しながら。


「ヘレナちゃんっていくつなの?」


 一度手を止めてこちらへ体ごと振り向き、話しをしようとしてくれる姿からはヘレナの性格の良さが垣間見えた。


「わたしは二十一です」

「同じ歳だ! 私ももうすぐ二十一になるんだ。なんか嬉しいな、同じ歳の子が治安部隊にいるなんて」


 治安部隊の全員を知るわけではないが、これまで年若い女性は見かけたことがなかった。自分が大層異端なんだと場違い感に肩身が狭かったが、ヘレナのような可憐な人もいるのだとわかってちょっとだけ心強い。

 ヘレナも同じ気持ちだったのか、いくらか親密さが増した好意的な眼差しをくれる。


「わたしも治安部隊の方は年上しかいないと思っていました。あの……リアちゃんとお呼びしてもいいですか?」


 恥ずかしそうで遠慮がちな申し出にリアは二つ返事で了承をする。


「もちろんだよ! それと敬語じゃなくていいよ。せっかく仲良くなったんだから、楽しく話そうよ」

「えと……ありがとうございます」


 照れたようにはにかむヘレナからは、会った時気になった元気のないような空気が和らいでいた。自分と話して少しでも気が楽になったのなら大満足だ。


「ヘレナちゃんはさ、剣術とか得意なの?」


 手に持った本をはたきで叩きながらも会話は止めない。ヘレナも箒を動かしながら自分の力量を精査するように小首を傾げ、可愛らしく唸る。


「得意ってほどじゃあないけど、小さい頃から鍛錬はしてたかな」

「すっごい! やっぱ私も護身術くらい身に付けないとだよね……治安部隊なんだし」


 はたきを剣に見立てて片手で振ってみる。ぶわっと埃が散ってしまったのでそれをかき消そうと横に薙げば、また新たな塵が風に乗る。


「奇跡の力が強ければ問題ないんじゃない?」

「ああ、えっと……そうだよね……」


 治安部隊に入るには戦闘能力の高さは必須条件だ。体術なり奇跡の力なり、それなりの力を持っていると思われて当たり前。しかしリアは特例中の特例、強さは皆無だ。奇跡の力は光るだけ。攻撃手段といったら体当たりか頭突きだ。平手打ちもありかもしれない。なんて正直には言えず、頬を引きつらせて笑うのが精いっぱいだった。


「リアちゃん、そろそろはたきでは取れないこびりついた汚れを水拭きしよっか」


 リアの何たるかを察したのか、ヘレナは余計な追及はせず、さっと話題を変えてくれた。人を不快にさせないよう気遣いもできるなんてとても良い子だ。ヘレナの好感度は止まることなく、どこまでも上がり続ける。


 同世代の女の子と接するのが久しぶりで、終わりの見えない掃除も苦痛ではなくなった。楽しくお喋りをしながら作業をして共に昼食を取り、日が傾く頃には入口付近の足の踏み場が出現していた。まだまだ部屋の奥は手付かずだが、一週間もあるのだ。今日の進み具合からするに、終わらない量ではないと希望に胸が軽くなる。

 ヘレナとは今日一日で旧知の仲のような空気が取り巻くほどに打ち解けた。

 暗くなってきたしそろそろ帰ろうか、なんて話をしていたら無遠慮に部屋の扉が開いた。


「リアー。フランシスが夕飯何が良いかって、」


 入って来たのは言わずもがなドルフだ。リア一人だと思っていたようで、ヘレナの姿を目にした途端、扉に手をかけたまま驚きに固まった。


「ドルフ、紹介するわ。一緒にここの整頓を任されたヘレナちゃん」

「アードルフ・オルコットで、す」


 身内に向ける素の状態をヘレナに見られた恥ずかしさで視線を泳がせながらも、ドルフは何とか自分の名前を絞り出した。軽く会釈をするように顔を下に向けたのは、気まずさを誤魔化すためだろう。

 ドルフの名乗りにヘレナは小さく悲鳴を上げた。みるみるうちに顔面蒼白になり強張っていく。大罪を犯してしまったかのような絶望がそこにはあった。


「あ、アードルフ様っ……申し訳ありませんっ!」


 上半身を折りたたむのではないかというほどの低頭に、リアはフランとドルフが大教会内で恐れられているという話を思い出す。

 これこそ、他人が二人に向ける態度なのだと現実を突き付けられた。


「ヘレナちゃん、そんなに怖がらなくても大丈夫よ。ドルフは悪い人じゃないから」


 ばっ、とリアに向き直ったヘレナは口をわなわなと震わせる。


「あなたは、リア様だったのですね……? 数々の無礼、大変申し訳ありませんでした」


 深い後悔の滲む苦しげな謝罪と共に頭を下げられた。

 リアはヘレナと、同じ治安部隊の隊員として友達になりたい。上下関係など望んではいない。


「やめてヘレナちゃん。せっかく仲良くなれたんだから、そんなふうに距離を置かれたら私だって傷つくわ」

「でも……でも……」


 ヘレナはドルフの挙動が気になり、ちらちらと確認する。いつ乱暴なことをされるのかと恐慌をきたし、今にも泣き出しそうだ。ドルフはリアの手前、何も言えずに立ち尽くしている。どうするのかと紺色の瞳は出方を窺い細められる。

 リアとしては、ヘレナとこれからも友好を築いていくためにわだかまりを残したくはないので、隠したり取り繕ったりはしたくなかった。

 本当の事をしっかりと知って欲しい。ドルフは皆に噂されている危険な人物ではないと。

 毅然とヘレナに向かう。


「ヘレナちゃん。ドルフは大教会内で色々言われていると思うけど、人から聞いた話だけをすべてと信じるのはやめて欲しい。ちゃんと自分の目で見て判断して。それでドルフや私を嫌うなら何も言わないから」


 叱責するような強い口調になってしまったが、ヘレナはリアから目を逸らさずに聞いてくれた。ドルフも凛々しいリアに釘付けだ。


「というわけでドルフ、今日友達になったヘレナちゃん。これから一週間、一緒に片づけをするの」


 重たい空気は苦手なので、自分から切り替えていく。

 ヘレナを手で指し示しながら改めて紹介すれば、ヘレナはおずおずとドルフの前に進み出てくれた。


「よ、よろしくお願い、します」


 ドルフの顔色に最大限の注意を払いながらの挨拶は途中でつかえ、先入観の恐怖を拭いきれていないようだが、幾分か落ち着いて一つぺこりと頭を下げた。


「こちらこそ、よろしくな」


 ドルフはリアを立てるため、愛想よく手を差し出した。ヘレナもおっかなびっくり握手をする。それを見届けたリアは満足気に鼻から息を吐き出した。


「私たち、これから帰るところだったのよ。そういえばヘレナちゃんの家はどこなの?」

「私は大教会の宿舎に住んでるの」

「じゃあ送っていけるね!」

「同じ大教会内だし大丈夫だよ」


 リアを迎えに来たドルフに気を使って、ヘレナは早くも片足を廊下に出している。


「私はもっとヘレナちゃんと話をしたいな」

「……リアちゃんがそう言ってくれるなら……」


 ヘレナの視線は言いながら、ちらりとドルフに移される。


「俺の事なら気にするな。宿舎なら大して距離変わらねえしな」

「決まりね!」


 ヘレナと共に、敷き詰められた廊下の絨毯を踏み締める。

 大教会の宿舎は研究棟区のすぐ隣にある大きな建物だ。リアは中に入った事はないので、ヘレナに根掘り葉掘り質問をする。基本的に一人一部屋あてがわれていて、内装もそれなりに綺麗なんだそう。大きな食堂があり、そこの料理は美味しくて人気が高いのだとヘレナは声を弾ませる。そんな会話だけですぐに着いてしまうほど近い場所だ。


 宿舎の前には小さな庭があって、ここに住む人がのんびり過ごせるようになっている。今も、灯ったばかりの外灯の下で制服を着た人が立ち話に勤しんでいた。

 リアとヘレナの少し後ろをついて歩くドルフを目にすると、皆が一様にぎょっとして慌てて目を逸らしていく。災厄の訪れのような反応に、ドルフの嫌われぶりは根強いのだと悲しくなる。

 また明日、とヘレナに挨拶をしてドルフの横へ並ぶ。

 当の本人は周りから向けられる恐怖や敵愾心てきがいしん剥き出しの反応に慣れっこなのか、特段気にした様子は無い。

 いつもと同じ、穏やかな顔でリアを安心させてくれる。


「友達ができて良かったな」

「ええ。まさか治安部隊に女の子がいるなんて思わなかった」

「数は多くないな。お前と同じくらいの歳で治安部隊なんだから相当優秀なんだろ」

「すごい人と知り合いになっちゃったわね、私」


 あまり強さは感じられなかったが、人は外見で判断できない。


「お前は俺っていう凄い人とも知り合ってるんだから、もっと誇っていいんだぞ」

「何それ、自意識過剰すぎじゃない?」

「本当の事だから仕方ねえよ」


 冗談めかして笑うドルフを見た人々が悪評など言えなくなるように、リアは大げさに笑顔を振りまいた。

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