第101話 秘密を探る者

 アルバートの元を去り、急ぎ足で広間に向かう。途中、会場から抜けた客人とすれ違うが、リアには目もくれない。治安部隊員など使用人と同じ扱いだ。

 制服をきっちりと着こみ、会場の入り口を守る兵に声をかければ、すんなりと通してもらえた。配置されている場所は入って右手側の角だ。先任に声をかけ交代する。

 警備といっても特別治安が悪いわけではないし、問題を起こしそうな招待客もいない。ほぼお飾りとして壁際に立っているだけだ。

 天井は高く、いくつものシャンデリアが輝き、着飾った人々をより一層引き立てている。

 この空間全体が非日常で彩られ、その下にあるものすべてに鮮やかな幻想を纏わせているようだ。


 そんなみやびやかな風が立ち込める中、リアは居心地の悪さを感じている。ここへ来てからずっと、周囲の人々の視線が突き刺さり続けているのだ。それもそのはず、女性の治安部隊員は珍しい。

 男性からは、どんな粗野な女だろう、といった笑いぐさにしようというもの。女性からは、身をやつして荒仕事をしなければならないような可哀想な女、といった少々のさげすみが入ったものだ。

 これ見よがしに若い男女がそばまで寄って来て、こちらをちらちら見ながら、


『わたくし、働いた事など無いですけれども、あちらのお嬢様は立派ですわね』

『君は美しいんだから労働などして、その柔肌を硬くする必要はない。愛される、それが君の労働だ』


 なんて、くすくす笑っていく。もちろんそんなのは無視だ。

 余計なお世話! と毅然と胸を張る。何も悪い事はしていないのだ。卑屈になる必要は無い。

 気を紛らわせるためにボーマンと、それを護衛するフランとドルフを探すため、それとなく視線を動かす。


 目的の人物は比較的すぐに見つかった。

 遠巻きではあるが、年若い女性が群がっていたから。

 言わずもがなボーマンはやはりかすんでいる。本当に申し訳ないが、そう思ってしまうほどに圧倒的な人物が二人もいるのだ。

 ボーマンの護衛として式典用の白い正装をしっかりと着込んでいるオルコット兄弟は、普段よりも三割増しで輝いていた。

 いつもは自分が二人の真ん中で煙にまかれたように霞んでいるのだと思うと、戦々恐々とする。両隣が圧倒的すぎて、もしかしたら人の視界から消えている可能性すらある。


 勇気ある、どこぞのご令嬢たちに話しかけられ、彼らは笑顔で対応している。人間、表と裏はだいぶ違うものだとしみじみしてしまう。

 そこでふと、フランと目が合った。

 そのままフランは隣にいたドルフを肘で小さく突いて合図し、二人してこちらに力の抜けた微笑みを寄越した。


「やだっ、あの方々わたくしに向かって笑みをくださいましたわ!」

「いえ! わたしにですよ!」


 リアの前にいた、重そうなドレスを引きずる女性たちが勘違いしてしまった。きゃっきゃと楽しそうだ。

 今日初めて会った人に対して親密に笑いかけるなんて確率、ほぼないでしょう、と冷静に心の中でつっこむが、本人たちが幸せならそれでいい。この世の半分くらいは思い込みでできているものだ。


 大勢の人が行ったり来たりして会話をし、今後のために交友を拡げる、そんな自分とは全く関係のない退屈な時を過ごす。

 他人から受ける好奇の目にも慣れてきた。ジョシュア亡命まであと少し。気が気ではない。


「やあ、リアさんじゃないか」


 急に名を呼ばれ現実に意識を戻せば、美しい女性を連れ立っている金髪の青年がこちらに向けて小さく手をあげていた。

 忘れるはずがない、彼は地底に物品を卸すのを主としている商家の息子、ハリスだ。総政公と親交を深めているため油断大敵。迎え撃つため、ぼやっと緩んでいた気持ちを引き締めた。

 しかし、すぐに表情は不安定に移ろうことを余儀なくされる。

 隣の女性が、かつての友人だったから。


 どうしてルーディがここにいるのかと唇をわななかせるが、最近ハリスと結婚したのだった。結い上げられた長い赤毛にはたくさんの髪飾りが散りばめられ、娼婦の頃とは比べ物にならないくらい高価なドレスを身に纏っている。赤い生地はルーディの派手な顔を際立たせて、より一層魅力的に映る。

 赤とルーディ、それだけで嫌な思い出が蘇り、左の下腹部がちくりと疼く。刺された衝撃はまだ鮮明に残っている。


「治安部隊に入ったようだね。おめでとう」


 ハリスは切れ長の目を細め、どこか見下すような冷たさを秘めた賛辞をくれた。


「ええ。ありがとうございます」


 無機質に無難な返答をする。ルーディとは意識的に目を合わせない。


「あなたはこんな荒仕事ではなく、夫人として着飾って生きることもできたのに。馬鹿な真似をした。おかげで俺は、こんなに素敵でしとやかな妻を手に入れられたけど」


 嫌味ったらしく顎をさするハリス。

 頭突きの件はしっかりと根に持っているらしかった。だが、リアとしては正当防衛だと結論が出ているので謝る気は無い。


「それは良かったですね」


 つん、と素っ気なく言う。


「あなたの噂は聞いていますよ。高貴な男二人をたぶらかし、好き勝手生きていると。国主様のご息女という生まれであったとしても、品行方正かどうかは別物なんだね」

「こんなところにまで来て、わざわざ嫌味を言うあなたの方がどうかと思いますけど」


 黙っているほどお人好しではない。喧嘩を売られたなら買う。特にこの二人には思うことがありすぎるので、こちらが我慢し笑って穏便に収めることはできない。

 リアが血の気を滾らせ睨み付けたところ、横からまた別の声がかかった。


「ハリス・ヘイズ様ですね。僕はフランシス・オルコットと申します。父と親密なようで、一度ご挨拶しておきたいと思いまして」


 清流のような透明度の高い笑顔をしてフランが物腰柔らかく登場するものだから、こちらの尖った気持ちは萎えてしまった。

 こうなればもうリアは口を挟めない。


 見事な金髪を有する長身の男らしさを秘めた美形と、艶やかな黒髪を結えて背中に流す線の細い女顔の美形による、静かなる戦いが開始された。


「フランシス様。俺も是非、あなたとお話しをしたいと思っていました」

「それは光栄です。まず、この度はご結婚おめでとうございます。とても麗しい奥方で羨ましい限りです。さぞ心も友愛に満ちて美しいのでしょうね」

「ルーディ・ヘイズです。よろしくお願いいたします」


 ルーディはフランと初対面であるかのようにうやうやしくドレスの裾を持ち上げ、上品な挨拶をしてみせる。フランもそれに対し悪意のひとかけらもないような爽やかさで対応するが、ルーディから目を離す直前の一瞬、呼吸を忘れてしまうくらい攻撃的で凍てつく眼差しをした。明らかに侮蔑の色が宿っている。

 彼はリアに大怪我を負わせたルーディを許してはいない。いつか暗殺でもするのではないかと少し心配になるほどだ。

 居竦まるルーディに気づかないまま、ハリスはフランだけを瞳に映す。


「フランシス様、俺はラフィリア様をもっとよく知りたいと思って、たくさんの書物を読んだんですよ。でも五百年前の事はどれを見ても記載がなくて」

「その当時が記された物は、なぜか残されていませんからね」


 五百年前、ラフィリアが降臨した時代の暮らしなどの記録は今現在、一切ないのだ。ラフィリアがどのような悪事を働いたのかは、当時のフランシスがこっそりと残したフランとリアにしか読めない本だけに書かれている。これは多分、ラフィリアが都合の悪いことを後世に残さないようにしたのではないか、とフランが言っていた。

 そんな事情はおくびにも出さず、ゆったりと話すフランにハリスは少しだけ口の端を持ち上げた。自分が有利だとの自信が見え隠れして不快極まりない。


「ですが、とうとう見つけたんですよ、五百年前の記述がある本を。当時生きていたフランシス・オルコットの半生についてですが」

「それは僕の先祖の失態などが赤裸々に語られている、ということですか。恥ずかしいので、僕は遠慮したいです」


 肩をすくめ、フランは小さく笑う。


「いえ。そのようなことはないんですよ。オルコット家はラフィリア様が降臨する以前から続く歴史ある家だ。ちょうどラフィリア様が降臨した時代にフランシス・オルコットという者がいて、ラフィリア様が天上に還った後すぐに建国したラフィリア国の初代国主から直々に公爵位をもらった初代オルコット公がその、フランシス・オルコット様なのだそうですが、何か知っている事がおありですか?」


 差し当たりのない会話でかわすフランにも動じず、ハリスはずかずかと深い場所に入り込もうとする。リアには初耳の情報が多く、いちいち反応をしてしまいそうだが、それが仇になりそうなので必死にすました顔をして片隅に立ち、ハリスの対応はすべてフランに任せる。


「オルコット家は旧国の時代から続きますが、確かに公爵位を賜ったのは五百年前のフランシス・オルコット様ですね。それは家系図に載っていますから、もちろん知っていますよ」

「不思議じゃないですか? どうして公爵位をもらえたのか。彼は元々、政務官であったようですが、あまりに特別対応すぎる気がして、納得のいく理由を探していてね」

「それを今知って何をなさるおつもりですか? 不正を働いて貰った爵位だと突き止め、オルコット家を失脚させようとでも?」


 フランに焦りなどは感じられない。あくまで一定に会話を保っている。


「まさか。現オルコット公爵であられる総政公には良くしていただいていますので。俺はフランシス・オルコット様がラフィリア様についてなんらかの、それも重要な何かを握っていた気がしてならないんです。だから、それを知る初代国主はフランシス様に高位の爵位を与えた、と考えられはしないかと」


 意味ありげにリアへ視線を投げる。思わずぴしっと居住まいを正してしまった。


「そこのお嬢さんは国主の血を引いていますよね」


 ラフィリアとの関係に少なからず勘づいている様子だ。片眉を上げた青い瞳がリアの内側を無遠慮に這い回る。

 自分に話が回ってきてしまい、何か発言しなくてはと頭は高速で打開策を打ち出そうとするが、え、とか、あ……とか言葉ですらない時間稼ぎの感嘆詞しか出てこない。

 その横でフランはあえて微かな苛立ちを隠さずに目を細めた。


「せめてお嬢様とお呼びください。それと、この子に突拍子もない事を言うと驚いて少々面白い顔になってしまうので、彼女の名誉のために公衆の面前ではやめてもらえると助かります」


 困ったように一瞥をくれるフランにリアは慌てる。

 変な顔をしていたつもりはないが、どうも自分は感情が顔に出やすいらしい。苦肉の策として顔を伏せた。


「それと、オルコット家と彼女は関係ありませんよ。懺悔ざんげの日に傷つけられたこの子を僕が個人的に助けただけです」

「初代オルコット公は様々な力を操れたと。さながらおとぎ話の魔法使いのように。フランシス様はその生まれ変わりのようで羨ましいです」


 逸らした話を強引に戻すハリスの図々しい性質が気に入らず、リアはむっとするが、フランはまったく気にしたそぶりは見せない。


「力は皆と同じくらいの方が幸せですよ。結局、平均が一番良いんです。だから、あなたもあまり深入りしない方がいいですよ。ラフィリア様の黒い噂もたくさん出回っていますし」


 ゆっくりと噛むように言う彼の言葉には重みがあった。それなのに過去や現在をたんじることもなく、穏やかにハリスの刺々しい態度を包み込むようにして無害化している。

 なんと返されるのだろう、そして自分の挙動はいつまでこの場で持ち堪えられるだろうかと、はらはらし始めたところで、ハリスの従者らしき男性が足早にやってきて彼に何事か耳打ちした。


「おっと、つい長話をしてしまいました。また落ち着いてお話ししましょう。改めて家にお呼びします。うちにはフランシス様が大切にしていたのと似た、真っ白な本がありますので」

「楽しみにしておりますね」


 真っ白な本とは、五百年前のフランシスが残したものだとリアは肩をびくつかせるが、フランは安穏さを保ったまま。


「それではこれで」


 目礼し、ルーディを伴ってきびすを返す。背を向けるほんのわずかの間、ルーディと視線が交錯する。黒い瞳が会場の照明を反射して潤んでいるように見えた。固く引き結ばれた唇からは何も語られない。

 綺麗に身繕いし、権力を持った家に嫁いだルーディはもう別世界の人だ。 自分を傷つけ、未来を掴んだのだと思うとやるせない。

 見送るフランは最後までハリスの揺さぶりには動じることなく、笑顔で乗り切った。

 すっかり二人の姿が人に紛れてから、リアに苦笑を落とした。


「リア。キミは本当に顔芸が好きだよね。もういっそ、それを職業にしたら? ハリス様、リアの表情で僕の話の真偽を確かめようとしていたよ。リアを介してのコミュニケーションなんて新しいよね」

「ごめんなさい。私的には抑えていたつもりだったんだけど……というか、ボーマン様を放り出していいの?」


 フランはボーマンの護衛としてここにいる。


「うん。ボーマン様が、ハリス様に絡まれているリアのところに行って良いと言ってくれたんだ。向こうにはアードルフがいるし」


 多分、ドルフはとんでもなく不服なんだろうな、とふてくされている姿が目に浮かぶ。とはいえ、ボーマンがフランを寄越したのはとてもよくわかる。ドルフではなんの助けにもならないだろうし、なんならボヤ騒ぎでも起こして悪評を広めるだけだ。


「じゃあ僕もそろそろ戻るね。リアはこれから大仕事、頑張ってね」


 手を振り、にこやかに去ってしまった。

 一息ついてまた壁際で会場を眺めるだけの警護を始めると、子女たちの視線がやたら刺さる。先程よりも鋭い。針が槍になったようだ。

 フランと仲良くしすぎたせいだと今更ながら後悔する。

 嫉妬とか、厳しく品定めをするような強い敵意が容赦なくリアを潰そうとする。

 この会場で顔の良さランキングをやったら、おそらく一位か二位のフランが自分のような平凡な、しかも一般隊員と親しげにしていたら面白くないだろう。

 嫌だなぁと肩身が狭い思いをしながらも、職務を放り出すわけにはいかない。壁際でじっと交代の時間を待つ。

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