第98話 厳しい兄の愛
リアがオルコット兄弟の会話を聞いてしまってから三日後、フランとドルフはオルコット邸に帰っていった。
明日の午前中には帰ると言い残していったが、もうここには戻って来ないのではと焦燥が頭の大部分に鎮座している。
その夜、リアはジョシュアに呼び出された。ダイニングテーブルで静かに向き合う。
「リア。話がある」
カンテラの炎に照らされるのは
「なに? 改まっちゃって」
わざと軽く返すが、ジョシュアの態度は変わらない。それどころかリアを責めるような強さを増す。
「いつまであの二人といるつもりだ」
「……え?」
こんなにもはっきり言われるとは思っていなくて、わずかに身じろぎしてしまった。
「フラン君もドルフ君も僕の恩人だ。彼らがいなかったら僕は騎士団に見つかり、どうなっていたかわからない。それを棚に上げるが、聞くんだ、リア」
諭すような口調にリアは反抗できず、子供のように大きく頷く。
「フラン君は幾度となくリアを救い、生かしてくれた。彼はリアの命の恩人であることに変わりはない。僕ではとても守りきれなかった。感謝してもしきれない」
とても感謝しているとは思えないほど冷厳な表情をしている。そこにあるのは嫌悪だ。
「だが、そのあとが問題だ。彼は自分の勝手でリアをここに縛りつけている。それがリアのためにならないとわかっているのに、手放さない。この塔は父様と総政公がフラン君に与えたものだ。他の誰かが住むことは許容されていないはず。そんな安定しない住まいにリアをいつまでも置いておくなんて無責任だ。総政公が一言、出ていけと言ったら住む場所を追われるにも関わらず」
それは見て見ぬふりをしてきた現実だ。聞きたくない。
だからわざと笑う。これ以上話を進めないために。
「やめて、お兄ちゃん。フランは何も悪くないの。私がここから出て行こうとしなかっただけよ。フランに助けられて、それからドルフも加わって、この暮らしが楽しくて出ていけなかったのは私だわ」
それは本当だ。出て行くタイミングはあった。降光祭以降、リアは治安部隊に入っているのだから自分で生活できるだけの基盤は整っている。でも、ここを離れられなかった。
へらへらと躱そうとするリアの思惑には乗らず、ジョシュアは辛辣な言葉を続ける。
「ドルフ君も子供すぎるんだ。彼はいわば、自分のわがままで家出しているにすぎない。いつまでも子供のように親に反抗している歳でもないだろうに。ようは、あの二人は立場を
椅子に勢いよく背を預け、足を組む兄からは明確な苛立ちが放たれている。
ジョシュアが二人をよく思っていないのは何となく感じていた。
「フラン君は力があるから、周りに特別対応をさせているだけ。総政公もフラン君にやたら怯えて、あまり強く言えないのをいいことにやりたい放題だ」
「やめて、お兄ちゃん。もう何も言わないで」
耳が痛い。あえて気が付かないふりをして、閉じたままにしている箱を開けて欲しくない。
だが、ジョシュアは止まらない。意図的に止めないのだ。ぬるま湯に浸かり続けるリアを引き戻すために。
「あの二人がリアに特別な感情を抱いているのは伝わってきた。だけど、それだけじゃ生きていけないのが世の中だ。大切だからこそ、その人を想って手を放すのも優しさだ。幸せになってもらうために。彼らはそれができない。いつまでも自分たちの気持ちしか考えられない。ずっとリアと共にいたいから、そんなのは彼らのエゴだ。リアのためにはならない。リアのことはまるっきり無視だ。いっそ駆け落ちでもしてくれた方がまだ筋は通っている」
それはできるはずがない。ラフィリアがいる限りは。
兄は五百年前から続くリアとフランの宿命を知らない。だからそんなことが言えるのだ。
苦く唇を噛み締め、テーブルに目を落とすリアの返事は待たずにジョシュアは強く息を吐く。
「このままではリアの立場が悪くなる。リアは奇跡の力を授かったんだろう? だから、もうモグラじゃない。この国を治めるグレイフォード家のれっきとした一員なんだ。こんなところで曖昧な関係を続けて良いわけはない」
「お兄ちゃんに何がわかるっていうの……? 私たちの……」
夜の闇は負の感情を増幅させ、兄に対して抱きたくはない怒りの感情が芽を出す。
「わからないさ。でもね、本当にリアのことを想うなら、正式に婚姻を申し込めば良いんだ。オルコット家はラフィリア派、きっとそう上手くはいかないだろうがね。ただ、他にもやり方はある。それはボーマン卿にリアの保護を頼む事だ。彼なら社会的信用も高く、様々な面でリアを守る事ができる。あの二人はオルコット家の子供だが、嫡男ではない。今の時点では何も持っていないんだ」
そんな一般論で測られたくはない。しかし、人の社会はそんなに甘いものでもない。それはリアだって充分承知している。
「この数日、彼らと過ごしてみて、あの二人が世間で言われているような悪い人物ではないことはよくわかった。むしろ誠実で信頼できると。だが、世間はそう好意的に見てはくれない。彼らは、奇跡の力をたくさん持った罰当たりで恐るべき人物だ。そんな状況の中、大切なリアをいつまでも悪名高い自分たちのそばに置いておくのはよくないと、彼らは確実に気づいている」
ジョシュアの中ではフランもドルフも、リアを貶める敵でしかないのだ。
リアに嫌われる危険を冒してでもはっきりと
顔を上げることができないリアへしっかりと届くように、ジョシュアはテーブルに乗せた腕に体重をかける。
「だからリア。自分から離れなさい」
この一言はとても重かった。ジョシュアにとっても、リアにとっても。
リアは大きくかぶりを振った。涙で視界が塞がれる。
本当は、二人と距離を保ちつつ付き合う事だってできるのはわかっている。でも、せっかく手に入れた絆を自分から捨てて独りになるのが嫌だった。
兄を納得させるだけの言い訳を並べなければこの場を乗り切れないのに、そんなものなど持ち合わせていない。どこまでも短絡的で自分勝手な理由しかないのだから。
「感情だけでは生きていけないのが世の中だ。深入りしてはいけない縁もある。身を滅ぼす前に断ち切るんだ。あの二人はリアの家族ではない。そこを勘違いしたら駄目だ。いくら気が合うといっても、親密になりすぎてはいけない。線引きは必要だ」
黙ったままのリアにジョシュアは優しくも厳粛に諭していく。
兄は何も間違っていない。すべて正論だ。人からの印象は良い方が生きやすい。
かといって二人を見捨てる事などできるわけがない。
「私だってわかってるよ、そんなこと」
まるで反抗期の子供のような、吐き捨てる口調になってしまった。
「リア。僕と一緒に国外へ行かないか? リアが一人、この国へ残る義理もない」
当然の提案だ。自分とよく似た土色の瞳は真剣そのもの。リアの今後を心配してくれているのは間違いない。だが、その答えは問われる前に決まっている。
「それはできないよ。お兄ちゃんのことは好きだし、できるならずっと一緒にいたい。でも、私はこの国の行く末を見届ける。それは誰がなんと言おうと覆らない」
それだけは
暗く寒々しい階段を一歩ずつ慎重に降り、自室のベッドへ身を投げる。
冷えたシーツが涙で火照った顔を冷ましていく。
兄に叱られたのは少なからずショックだった。フランやドルフといることを冷静に真っ向から理詰めで否定されて、己の浅はかさを突きつけられた。
ラフィリアをこの世界から消すためにはリア一人では不可能。だが世間はフランやドルフとの仲を割こうとする。どうしたらいいというのか。
夜空に浮かぶ月は不安を増長させる。リアはシーツに顔を押し付け、見たくないものから目を背けるように強く目を瞑った。
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