第96話 厄介者

 ジョシュアの亡命が決まり、手筈が整うまではそのままフランが保護することになった。

 彼は未だに大教会内では忌み嫌われている除け者なので、住居の塔にわざわざ近寄ろうとする者はいない。それが今回有利に働き、ジョシュアをかくまい易い環境となっている。必死に捜索をする騎士団を上手くあざむいているのだ。


 秘密裏に一国を揺るがす事情を抱えている大教会だが、即位拒否をしてから一週間も経たないうち、町ではジョシュアが大教会から逃げ出して行方不明になったという話が出回って市民を混乱の渦に巻き込んでいた。

 極秘でごく一部の関係者にしか知られていないはずの話がこうも早く漏れ出てしまい、上層部は殺気立っている。研究棟内ですれ違う人の足取りが、どことなく乱暴に感じるのは気のせいではなさそうだ。


 今日はリア一人、ボーマンから執務室での雑用を頼まれたので単独行動をしている。

 何も難しいことはなく、本棚のちょっとした整頓だったので仕事と言うには恥ずかしい。ボーマンとしても戦闘力のないリアに、町で起こった犯罪の処理などを任せられるはずもないので、そういう対応になるのは仕方がないのだが、これでは申し訳ない。少しでも体を鍛えてみることを視野に入れた。


 そんな安全で簡単な仕事はすぐに終わり、今は塔への帰り道。大教会研究棟区は中々に入り組んでいて迷ってしまいそうだ。結構な広さの中庭もあり、ここを突っ切れば近道になる。大教会の面々は木々が好きではないのか、いつ来てもあまり人はおらず開放的な気持ちになれるし、自然に癒されるのでリアはよく好んでこの場を通る。

 貴族の庭園のように大々的で豪華な花壇などがあるわけではないが、定期的に整備されている草花や青々と茂る樹木は充分目を楽しませてくれる。

 大きく深呼吸をして植物の生命力を取り込み、腕を組んで空へ伸ばしていると、少し前の木陰から男性が出てきた。

 自分しかいないと思っていたので、これ以上ないくらい無防備なところを見せてしまった。

 すれ違う際、羞恥を隠すために小さく会釈をすれば、嫌な事に呼び止められた。


「こんなところで野に咲く一輪の花に出会えるなんて、僕はなんて幸運なんだ」


 茶色っぽい黒髪の、リアよりも少し年上らしき青年は前髪をかき上げ、鼻にかかった声で白い歯を見せて流し目をくれる。

 一瞬で、これはめんどくさい人種だと察知した。リアは頬が引きつらないように注意しながら口元にだけ笑みを貼り付けて過ぎ去ろうとするが、青年は無視できないほど溌溂はつらつとして勝手に喋り出した。


「僕は騎士さ。ほら、この腕章、それにこの剣。本物だよ。この国は、この僕がいるから安泰。あなたの暮らしを守っている」

「あ、ありがとうございます……」


 自分に酔いしれ、独自の世界を作り上げる青年は体を捻って腰に差した剣を見せつけてくる。

 何事も自分が優位に立っていると信じて疑わない、おめでたい頭の持ち主だと薄ら寒さを感じる。

 青年はリアの腕章を確認すると、大げさにため息をついて片手で顔を覆った。


「あなたは治安部隊なんだね。女性なのに荒事に身を置くなんて……きっと僕には想像もつかない事情があったんだね……」


 その通りです。あなたには想像もできないですよ、と脳内で同意する間にも青年の独りよがりを極める会話は止まらない。もはや会話ですらない、独白だ。


「僕はアルバート・マルクリー。オルコット騎士長の従兄弟いとこなんだ。総政公にも懇意にしてもらっていてね。前国主に拝謁したこともある」


 だから自分は偉いんだぞ、とでも言いたげな愉悦に浮かされる視線だ。

 他人の威光にも関わらず、自分が凄い人だと勘違いする愚か者だとリアは苛立ってきた。せっかく爽やかな自然の中で羽を伸ばしていたというのに、とんだ邪魔が入ったものだ。さっさとこの場から去りたい。

 その感情が顔に出ないよう注意しながら、騎士長の従兄弟だというアルバートを改めて見てみれば、確かに顔がフランやドルフと似ている気がした。

 あの兄弟ほど恐ろしく整っているわけではないが、逆にほんの少し造形に隙がある事で親しみやすさを感じる。フランとドルフが美術品だとしたら、アルバートは高級食器といったところか。

 我ながら中々に良い表現ができたとしたり顔をしていたら、アルバートが一歩近づいた。

 初対面とは思えないほど距離を詰められ、嫌悪感が体の内側で突沸する。


「愛しいあなたへ信頼の証として、僕だけが知っている話を教えてあげよう。ここだけの話だ」


 勿体ぶるような数瞬の後、リアの様子などお構いなく両肩を掴まれ、耳に息がかかるほど顔を寄せられた。


「実は今、次期国主のジョシュア様は行方不明なんだ」


 その言葉に驚かない訳はない。声にならない吐息を漏らしてしまった。

 この人は軽々しく機密事項を喋ったのだ。

 アルバートはリアを離して真正面から顔色を窺い、驚愕に言葉を失う姿に満足して鼻の穴を膨らませる。


「驚くのも無理はない。ジョシュア様は即位を辞退し、騎士団に保護されたのだが、逃げ出してしまってね。でも大丈夫、僕たち騎士団がすぐ見つけるさ。これは僕とあなたの秘密だ」


 勝手に続けられるのは独善的だ。組織の事など一切考えていない。

 多分この人が『ここだけの話』をたくさんしていて、そのせいで町に広まったんだと紐づいた。もう我慢の限界だ。そろそろ強引に去ってしまっても許されるだろうか。


「あなたのお名前は? きっと可憐な野草のような可愛らしい名前だろう?」


 やたらねっとりとした熱視線を送るアルバートからじりじりと距離を取る。野草とは明らかにこちらを馬鹿にしている。


「私はリア・グレイフォードです」


 怒りのまま正直に名乗ると、アルバートは面白いものを見つけたと言わんばかりに手を叩いた。


「あなたが噂の、フランシスとアードルフの二人と家族ごっこをしているっていう情婦か。あの二人のどこが良いの? やっぱり顔かぁ」


 小馬鹿にしたような言い方がリアの神経をさらに逆なでする。


「勝手な憶測で語るのはやめてください」

「あいつらをかばうなんて健気だね。三人で暮らして、仲良しこよし家族ごっこしてるけど、あなたたちは何の繋がりもないんだよ? 赤の他人が同じ家に暮らしているだけじゃないか。いわば非常識なんだよ。だから、外から何を言われようが仕方のないことさ」


 ぎらつく虹彩が舐めるように体を這い、嫌悪に身が竦んだ隙に腕を掴まれて木の幹へと体を押さえつけられた。

 左手が頬を撫でる。鳥肌が立つのはアルバートの手が冷たいのが原因ではない。


「これから僕と遊ばない? どうせ地底にいたキズモノだ。今更気にすることはないだろう」

「離してっ!」


 誰かに気が付いてもらおうと大声を出したが、近くに人の気配はない。絶体絶命だ。

 アルバートは体を密着させ、逃げ道を塞いでリアの腹部や腰を何の断りもなく撫で回す。

 這い回る指の感覚が艶かしくて気持ちが悪い。


「地底ではどうやって男を楽しませてお金をもらったの? 僕にも試してみな。気に入ったらお金をあげてもいい」


 よく動く唇が迫る。必死に首を捻り、これ以上の接近を拒否する。


「やめて! 嫌っ!」


 腕をばたつかせて力いっぱい抵抗するが、背中には木があり、前からはアルバートが容赦なく押さえつけてくる。さすがに男性の力には敵わない。

 恐怖に身が硬くなるが、怖気おじけづいている場合ではない。こうなったら自分で逃げ出すか、アルバートに屈するかの二択。選ぶべきは前者しかない。ぐっと腹に力を入れた。

 リアは奇跡の力を使い、光を呼ぼうと手を握り込んだ。最近は少しずつだが力の扱いにも慣れてきている。手を掲げ、顔の横で稲光のようにまばゆい光を発生させることに成功した。もちろん自分は目を瞑ることを忘れない。

 アルバートが呻き、怯んだところリアは腕を振り払い全力で逃げ出した。中庭を抜け一目散に塔へ駆ける。


 なんて気持ちの悪い人なの!? と文句を垂れながら塔の庭への扉を開け、転がるように入ればフランがいた。最近片隅に小さな花壇を作ったので、のんびりとジョウロで水やりをしている。


「あ、リアおかえり」


 優雅な挨拶に強張っていた体の力が抜けた。ここへ来ればもう安心だ。とぼとぼとフランの元へ歩む。少し慰めてもらおうと、リアは気丈に振る舞うことはせず、消沈したまま吐息を揺らした。


「ねえ、フラン。私、騎士団のアルバートさんって人に会ったんだけど」


 すると途端に曇る顔。手に持ったジョウロを取り落としそうなほどの動揺がこの一角を取り巻き、感情を不安定にさせる。


「えっ……酷いこと……されて……ああ、僕には言いづらいよね……」


 珍しく口ごもってしまった。

 思った以上の反応にこちらが面食らってしまう。別にそこまで事を大きくしようと思っていたわけではない。怖かったのは間違いないが、なんとか逃げられたので同情してもらえれば良かったのだ。

 重大な犯罪に巻き込まれた人にかける言葉が見つけられない、といった意味合いの沈黙が流れたところで丁度、庭への扉が開きドルフも帰ってきた。


「アードルフ! 大変だ! リアがアルバート様に会ったって」


 それを聞くとドルフは足をもつれさせる勢いでやってきた。


「おい、マジかよフランシス! そんな……よりにもよってリアが……」


 絶望を的確に表現したような青白い顔で声を詰まらせるドルフ。一気に憔悴した虚ろな目を閉じ、リアの肩に手を置いた。


「リア、今日はゆっくり休め。心はそんなんじゃ癒えないだろうが、せめて、体だけでも……」


 なんだか彼らの中ではとんでもない事態になっているようだ。アルバートとは一体、何者なのだろう。

 早いところ誤解を解いてあげないと二人が可哀想になってきたので、リアは顔の前でぱたぱたと手を振って元気さを強調する。


「私は大丈夫よ。ちょっと体を触られただけ。必死に逃げてきたの」

「触られた!? 次に会ったらあいつマジぶっ殺す」


 最近は穏やかだったドルフの表情が、絶対零度の眼力を持つ凶器に変わる。

 本当に危害を加えてしまったらドルフの立場が今より悪くなってしまうと、リアはへらっと軽く笑う。


「物騒だよドルフ。触られるくらいどうってことないし」

「リア。自分を安売りしないで。アルバート様に酷いことを言われたのかもしれないけれど、キミがこれまでどんな生き方だったとしても自分を卑下する必要はない。僕もこの事態についてはアードルフと同意見だから」

「えっと……でもその、人を殺めるのはちょっとやりすぎというか、どんな理由であれ犯罪というか……」


 冗談の隙もないくらい真剣真顔で面と向かって宣言されるのはさすがに照れる。

 このいつもと違う空気をはぐらかそうと、しどろもどろ目を泳がせながらそれっぽいことを並べた。


「大教会内だからと油断していたけど、一瞬の気の緩みが命取りだね。今後、リア一人になる時は何らかの対応が必要だ」


 凄惨な事件現場にいながら奇跡的に助かった被害者にかけるような落ち着きのない安堵と共に、自らを戒めるような厳しさを突き立てるフラン。

 そんな殺伐とした空気をどう処理したらいいかわからず、リアは若干強引だが明るく話題を変えることにした。


「アルバートさんってあなたたちの従兄弟でしょ? ずいぶん自分に自信がある人なのね」


 リアの嫌味にフランは苦笑を返す。


「僕らの母の弟の子供なんだ。だからコネで騎士団にいるんだよ」

「とんでもなく弱いぞ、あいつ。お飾りだ。そのくせ女大好きで、行く先々で盛ってんの」

「そうそう。それが原因で数々の不祥事を起こしていてね。泣かされた女性は数知れず。……簡単に言うと、アードルフをタチ悪くした感じ」

「うっせ黙れ! あんなのと一緒にすんな!」


 大教会内でも厄介者なんだと察しがついた。

 一旦話しがまとまったところで、リアはアルバートの口から出た見逃すことはできない話題を二人に伝える。


「ねえ、聞いて。お兄ちゃんが逃げ出して行方不明って情報、大部分がアルバートさんから漏れてるわ。『ここだけの話』って言って、ご丁寧にペラペラ喋ってくれたのよ」


 自分を飾るためだけに易々と口外されて、やはり腹が立つ。

 フランもドルフも、想像がつくのか悲壮感を漂わせて頷いた。


「あり得るね。『ここだけの話』を何回囁いたんだろうね、一体」


 呆れるフランにリアもドルフも全面的に肯定する。アルバートの口は塞ぐ事のできない壊れた蛇口のようだと、少しだけ大教会の上層部を憐れんだ。

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