第95話 無情な現実

 一通りジョシュアとこちらの認識をすり合わせ、落ち着いたところで、この件はリアたちの手に余る大きさであると結論を出した。そうとなれば次にすることは、ボーマンへの報告だ。

 この件に関しては誰かに見られるわけにはいかず、無礼を承知でフランがボーマンの執務室に忍び込み、瞬間移動の力を用いて内密に塔まで案内した。


 ボーマンも多忙だ。手短に話す為、ダイニングテーブルに座ってもらったところでリアがジョシュアを連れ立ち居室の扉を開けた。

 先にリアが室内に入り、兄を振り返る。ジョシュアは扉から遠慮がちにのぞいている。そのいで立ちは、いたずらをして怒られるのを恐れているかのような怯えぶりだ。


「じ……ジョシュア様……?」


 椅子を倒す勢いで立ち上がったボーマンの声は大きく揺らぎ、途切れた。

 立ち尽くしたまましばらくジョシュアを見つめ、また、ぽろりと言葉を零す。


「どうして……本当に、ジョシュア様ですか」


 確信はしているだろうに、口に出さずにはいられなかった、というような意味が強い。

 ボーマンを警戒していたジョシュアだが、無理やり捕らえられたり、怒鳴られる事は無さそうだと安心したのか、表情を和らげて歩み寄る。


「ああ。僕は間違いなくジョシュア・グレイフォードだ。ボーマン卿。即位宣言の日、騎士団に捕まり逃げ出していたところ、フラン君とドルフ君に保護されたんだ」

「なんと……」


 天井を仰ぎ、よろよろと力なく椅子に座った。


「君たちなら、人を見つけてこっそり保護していてもおかしくないよな……いやはや、優秀すぎる部下を持ったものだ」


 テーブルの脇に立つフランとドルフに視線を這わせ、はあっと大きく息を吐き出した。

 頭の中で様々な思考が飛び交っているのか、ボーマンはしばらく手で顔を覆い、俯く。

 ジョシュアをボーマンの向かいに座らせ、その隣の席でリアが兄の補足をする形になった。

 平和条約締結の日からの経緯を事細かに説明している間、ボーマンは口を挟まず静かに頷いてくれた。

 ひと通り聞いた後、ボーマンはジョシュアを射抜くような鋭さで、初めて口を開く。


「ジョシュア様は、ご自身の今後についてどうお考えですか? 率直な意見を述べさせていただきますと、状況はよくないかと。即位辞退宣言をあれだけの民衆の前でして、今の国民はジョシュア様の即位に対し否定的になってしまっている。総政公を次の国主に、という声が最も多い。つまり、ジョシュア様はラフィリア派の者に見つかれば命の危険があるかと」


 これは決して目を背けることはできない現実だ。

 歯に衣着せぬ物言いに息を呑む。いつもの優し気なボーマンとは打って変わった厳しい雰囲気に、上に立つ者の責任と覚悟を垣間見た。


 国民の間ではジョシュアに国主は務まらないとの声が多く、総政公が国主になったらどうかという話が当然のように出始めている。しかし、総政公が国主になってラフィリアを復活させてしまったら目も当てられない。

 中には、ラフィリアに直接治めてもらうとか、ラフィリアの寵児クラリスを主体とした国づくりを……などという声も上がっている。

 どのみちすべてラフィリアを肯定するもので、リアたちには都合が悪い。


「ラフィリア派の総政公としたら、ラフィリア様を疑うような発言をした前国主直系のジョシュア様は邪魔でしかない」


 黙り込むジョシュアに向け、ボーマンは噛むようにもう一度繰り返す。

 嘘偽りのない冷厳な言葉に誰も反論できない。


「この国は今、揺れている。今後の動向も不透明。新たな勢力が出てこないとも限らない。平和条約締結会議や降光祭こうこうさい、そしてあなた様の訴えがありラフィリア様を疑う風潮もあるが、未だラフィリア様を信仰する人がほとんどだ。あなた様がラフィリア様に疑問を持ち、命をしてでもこの国を変えたいというのであれば国主という地位に着き、行動を起こしていただきたい。その際はこのボーマンも全力でお力添えさせていただきます」


 一切の揺るぎない視線にのせて熱意がジョシュアへと届けられる。目指す未来のために自分が犠牲になる事もいとわないというような意志の強さが見て取れた。ボーマンはそのまま公平さを持った面持ちで続ける。


「しかし、実際それにはまだ時期尚早だと私自身は思っております。今、ラフィリア様の悪行あくぎょうを並べても、国民の心にはさして響かないでしょう。申し訳ないが、次期国主であるジョシュア様より、ラフィリア様を味方につけた総政公の方が現時点で発言権が強い。それにラフィリア派は有力な貴族が多い。そんな状態ではろくに活動できず、ジョシュア様の命が危ぶまれるばかりだ」


 次々と突きつけられる現実に、どこか楽観視していたジョシュアの顔がこわばる。


「僕は……」


 視線を落とす顔は思いつめている。リアには兄が出す答えがわかってしまった。

 数秒の静けさが、どんよりと不穏な今後を予感させる。


「僕には……そこまでの覚悟はありません……」


 沈黙の末に出された結論は後ろ向きなものだが、誰も責められはしない。あまりにも大きすぎるからだ。

 今後、兄はどうなるのだろうか。リアはテーブルの上に投げ出されたジョシュアの手に自分の手を重ねていた。改めて大変なことをしでかしたのだと実感が押し寄せる。

 罪状を告げられるのを待つような焦燥感に苛まれながらボーマンを前にする時間は、一生終わらないのではというほど長く感じる。

 しかし、その時は来る。ボーマンは怒るでもさげすむでもなく、感情を廃した平坦な面持ちでジョシュアに語りかけた。


「ジョシュア様。あなた様にはもう亡命しか手はありません。あなた様は別の国で、別の誰かとして生きるのです。もちろん危険はあります。失敗したら命を落とすことをご承知おきください」

「はい……」


 頷かざるを得ないジョシュアの声に覇気はない。

 このままここにいても遅かれ早かれ総政公側に見つかり、拿捕されるだろう。そうなればその先は十中八九、人生の行き止まりだ。であれば国外逃亡に賭けるしかない。

 それが最善であると理解しているが、リアは落胆を隠せない。せっかくこうしてまた会えたのに、二度と会えなくなる日は目前に迫っているのだ。かといって引き留めることはできない。ジョシュアの安全を願うなら。


 ジョシュアはリアの手を握ってくれた。慰める言葉も、叱咤する言葉もどれが適切かわからない感情をひっくるめて包むような、ほのかな体温が手のひらに伝わる。

 重苦しい空気が住み慣れた部屋に満ちる。今後の方針は決定だ。

 ここまでリアとジョシュアの後ろに立ち、黙って推移を見守っていたフランの気配が動く。


「ボーマン様、亡命の手筈はどのようにするおつもりですか?」


 少しだけ軽快した場にそぐうよう、ボーマンの表情もほんのわずか明るくなる。


「エリントン卿に相談してみようと思う」


 その提案に一同から期待と不安、両方の感情が沸き上がった。

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