第94話 対話

 再会の喜びを分かち合ってから、これまでのジョシュアの経緯を詳しく聞く為、リアたちは最上階の居室へ移動した。


「お兄ちゃんは平和条約締結会議の後、どこにいたの?」


 ダイニングテーブルにリアとジョシュアが向かい合い、ジョシュアの横にフラン、リアの横にドルフが座った。

 まず一番初めの問いはリアからだ。これまでほんの少しもジョシュアの居場所については耳に入ってこなかった。もう死亡しているか、国にはいないのかと心のどこかで諦めていたほどだったのだ。一体どうやって隠れていたのだろうかと、兄の顔を食い入るように見つめる。


「地底だ。主様あるじさまの館に閉じ込められていたんだ。何度か総政公そうせいこうも様子を見に来たから、出してくれるよう頼んだんだが、駄目だった。外の状況はまったく教えられず不安で不安で」


 伏せられた目は気鬱そうに陰る。


「今、ラフィリアが一時的に封印されたのは知ってる?」

「ああ。クラリス嬢から聞いたよ。その後すぐに主様と総政公が来て、即位とクラリス嬢との婚約が決まったと言われて。もう何が何だか」

「どうして昨日、公衆の面前であんなことを言ったの?」


 即位の辞退、そして婚約は了承していないとはっきり告げたのだ。多くの国民が注目する中で宣言すれば、当然風当たりが強くなるとは分かっていただろう。

 ジョシュアは苦々しく顔を歪める。


「あれは、ああするしかなかったんだ。地底で散々、総政公と主様に脅されて。即位をして、クラリス嬢をめとる。彼女はラフィリアの力を直接授かった寵児ちょうじだから尊敬して第一に考えろって、怖い顔をするんだ。実際、主様から強い力を見せつけられて……。でも僕だって黙って震えて、言いなりになるばっかりじゃないんだぞと、あの場で一泡吹かせてやった」

「お兄ちゃん、やる時はやるのね。見直したわ。私、ただの気弱かと思ってた」


 窮鼠猫きゅうそねこむとはこの事だ。感心して軽く拍手をする。頼もしいと思った事は無いが、一応気概きがいはあったらしい。昔は背中に虫が止まったと、めそめそ泣いていたのをリアが助けたこともあるのに、少しは成長したんだなと温かな気持ちになる。


「……リアは昔から変わらないね。悪気なく人の心をえぐる」


 ジョシュアは弱々しく目をつぶって、不意打ちで心に受けた傷の痛みに耐えるよう言葉を詰まらせた。

 しばらく思考を整理するように呼吸を繰り返した後、もう一度顔を上げた。思いつめた硬い表情だ。


「リア、僕はずっと謝りたかったんだ。十年前、リアが地底に落とされた時、僕には何も知らされてなくって。あの後リアがモグラになったのだと知り、父様に猛抗議した。でも、どうにもならなかった。殴られて終わり。結局、地底までリアを助けに行く勇気もなくて……」


 地底に落とされた日、家族全員から見放されたと思っていたが、確かに兄はあの場にはいなかった。

 弱かった兄が自分のためにいかめしい父に抗議してくれていたなんて、涙がこみ上げてきそうだ。


「私、お兄ちゃんにも嫌われたと思ってた……」


 それだけ言うのが精いっぱいだった。この先は喉で止まった嗚咽が出て来てしまいそうだ。


「僕がリアを嫌うわけがない! リアは運動神経がいいし、二つ年上の僕より勉強の進みが早いくらい頭も良くって、それに何より可愛い。こんなに聡明で可愛い女の子は他にいない!」

「超わかるっ!」


 ジョシュアの熱い力説に、これまでおとなしく話を聞いていたドルフが我慢できないとばかりにテーブルの天板を叩いてそのまま突っ伏した。それをフランが短く叱る。一応これでもジョシュアは次期国主なのだ。そういう配慮をされてしまうのは何だか寂しいが、他人との線引きをきっちりするフランだから仕方がない。だが、リアは妹だ。なんでも言える。


「お兄ちゃんは勘違いしすぎ! 私はそんな優秀じゃないし、世界一可愛いみたいな重圧をかけないでよ!」


 会っていない間に妄想が膨らんだのだ。思い出が美化される現象だと、リアは躍起になって否定する。これでは幻滅されていくだけだ。双方にとって虚しい結末しか生まない。しかし、そんな想いを汲み取らない顔が横でひょっこり上がる。


「大丈夫だ、リア。お前はもっと自信を持って良いんだからな」

「ドルフは余計な事言わないで!」


 これ以上、ジョシュアに幻想を与えたくないので、太鼓判を押すようなドルフの自信をかき消すように強い語調で叱責する。


「ちょっと一回落ち着こうか、諸君」


 軽く手を叩き、収拾のつかなくなったこの場をフランが制する。お茶を飲んで、と合図される。

 皆がその指示に素直に従ってしまうのは、彼の落ち着きがなせるわざだ。興奮冷めやらぬ場は無事に鎮火された。

 ジョシュアは申し訳なさそうに肩をすぼめ、気を取り直す。


「失礼。……少し時間は戻るが、懺悔ざんげの日にリアが来たのはすぐにわかった。そこでクラリス嬢が酷いことをしただろう。あの時、足がすくんで助けられなかったんだが、誰か――フラン君がリアを連れ去って」

「あの場にいらっしゃったんですか」

「ああ。片隅に」

「俺もバックレずに行きゃよかった」


 ドルフは残念そうに頬杖をつく。懺悔の日はモグラがラフィリア像の前でひたすら己の罪を叫ぶだけの悪趣味なものなので、見る必要は無いとリア個人的には思う。

 あの日はクラリスに背中を傷つけられ、散々な思い出だ。唇を引き結んだリアに気を使うよう、ジョシュアは平淡に話を進めていく。


「僕はあの時、フラン君のことをよく知らなくて。リアを助けた人の事を調べたんだ。すると、総政公の次男だという事がわかったんだが……」


 尻すぼみに言葉を切ってから、横に座るフランにほんの少し険の混ざったような不審げな視線をちらちらと送る。


「変な噂話を耳にされたんですね。聞かれる前に言っておきますが、全部事実無根ですよ」


 きっぱりと切って捨てるフランはどこか冷然としている。

 直接聞いた事は無いが、ここでリアと暮らす中で様々な噂が立っていたらしい。それには非常に興味がある。


「僕はリアの兄として、聞いておかなければならない」


 ジョシュアは意を決したように眉をきりっと吊り上げ、フランを敵視する。


「リアを夜な夜な欲望のはけ口にしたり、人体実験をしたりしているというのは本当か?」


 人はまったく見もしないことを、どうしてかそういう、ちょっといやらしい風に想像して好き勝手広めるものだ。きっと今、フランやドルフと共に暮らしているのも、とんでもなく醜悪な噂になっているのだろう。だが、リアは今も昔もこの塔の一室にただ居候いそうろうしているだけ。まったくやましいことなど無いと自信を持って言える。


「うわフランシス、お前最低だな」


 ここぞとばかりにドルフはフランを責め立てる。このままジョシュアに便乗して潰してしまえ、という勢いだ。


「そういうドルフ君にも聞いておきたい。あなたは素行不良で悪名高く、さらには女性であれば見境なく手を出すと聞いたが、リアに酷いことをしてないだろうな」


 兄の細められた目は力強く本気度が高い。心配してくれるのはありがたいが、こんなところで内輪揉めは望んでいない。


「誰だよそんな噂立てた奴は! 見境なくはねえよ! 俺だってちゃーんと立場とか色々考えてるっつーの!」


 火のない所に煙は立たぬという言葉を今こそ教えてあげたかった。彼には彼なりの流儀があるらしいが、他人から見ればそんなもの無いに等しいことは多々ある。

 たまにリアを見て哀れそうな目をしている時はあったが、それ以上はない。


「申し訳ございません、ジョシュア様。リアは弟の好みではなかったようで」

「はぁ!? てめっ、違っ! ふざけんな!」


 怒りと照れと恥ずかしさで頬と耳が真っ赤だ。適切な言葉が見つからず支離滅裂のまま叫ぶがフランはそれを無視し、ジョシュアに向けて真摯に頭を下げる。

 未だ疑心を滲ませている兄、ドルフをからかいつつ誠実さを見せようとするフラン、一人鼻息荒く興奮しているドルフ。どうにかして色めき立つ三人をたしなめなければと、リアはテーブルに手を付いて椅子から腰を浮かせた。とりあえずこの場は兄に納得してもらって穏便に済ませるのが一番良い。


「お兄ちゃん、安心して。フランもドルフも性格はおかしいけど、ちゃんといい人なの。私は何ともないし、それなりに楽しく暮らしているわ」


 渾身の輝かしい笑顔を意識して明るく弾みながら言えば、渋々といったていだが、フランとドルフに対する当たりを和らげてくれた。

 それと同時に、性格がおかしいというところに過剰反応した二人が食って掛かって来たが、これは放置だ。

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