第92話 次期国主

 国主こくしゅの邸宅には、大聖堂でも足りないような人数を集めたい時に使う大きなバルコニーがある。具体的には即位宣言や、婚礼お披露目などの際に使用する。そこは大教会を囲う塀の外からもよく見えるようになっていて、今や町民の多くは沿道に集まっていた。

 これから国最大の関心事であるジョシュアの即位宣言が行われる。

 三階部分から出たバルコニーを近くで見るために作られた二階部分のバルコニーには、大教会の偉人たちが整列する。


「そろそろか? お前のおにーちゃん、かっこよく決められるといいな」

「お兄ちゃんがそんな、びしっとできるか私は不安」

「ジョシュア様信用ないねえ」


 居並ぶ大教会の人たちの背中を見ながら、ひそひそとささやき合う。

 バルコニーの手すりはしっかりとしていて、椅子のような安定感がある。最近治安部隊に所属されたばかりのリアたちはこの場には呼ばれていないが、もちろん悪びれずに忍び込んだ。

 フランが透明化の力を使い、ドルフが重力を操って塔からひとっ飛びだ。なんと簡単だろう。

 それをするにあたり、多少フランとドルフで揉めたが問題はそれくらいだ。

 フランは透明化の力を会場にいる間ずっと維持しなくてはならないので、瞬間移動は使いたくない。ドルフに重力を操って会場まで運んでもらいたいのだが、ドルフの力はリアに効かない。それに伴い、リアはドルフかフランに抱えてもらう必要があるのだが、どちらがリアを持つのかでひと悶着あった。リア的にはどちらでも良かったが、このままでは遅れてしまうと思い、行きはドルフで帰りはフランという折衷案を通した。


 ちなみにドルフの重力を操る力がリアに効かないのは、ラフィリアの力が効かない原理と同じだそうだ。炎が効いてしまうのは発生させた炎は、簡単に言うとラフィリアの力は関係のないただの火だからとフランが教えてくれた。もっと詳しく説明可能なようだったが、聞いてもよくわからないと思ったのでやめた。


 そんなことがありながら、透明になった存在がばれないように小声で喋りつつ主役の登場を待つ。


 始まりは突然だ。

 バルコニーに面するガラス戸が開き、幼少の頃よりも勇ましい顔つきをした兄ジョシュアが姿を現した。

 わっ、と歓声が旋風を巻き起こす。

 様々な装飾がつけられた白を基調とした正装を纏っている姿は、中々様になっていた。次期国主としての風格が感じられる。

 少しだけ、本当に兄なのかと疑う心がちらつくが、自分と同じ焦げ茶の髪に土色の瞳。間違いはない。


「……香ばしいな。焼き立てのクッキーな」


 ドルフが唐突に独り言を呟き、周囲の匂いを嗅ぐように鼻をひくつかせる。

 何をしているの? と問いかけたかったがそれよりも兄が気になり、ほんの一瞬でドルフの事は頭から飛んだ。


 ジョシュアはバルコニーの手すり前まで堂々と歩む。幼い頃の弱々しい面影はない。誇らしいような、置いていかれて寂しいような複雑な気持ちだ。ジョシュアの斜め後ろに騎士長が控えたところで、民衆がさあっと静かになる。

 いよいよ始まるのだ。ジョシュアの晴れ舞台が。

 周囲を見渡す瞳には、揺るぎのない覚悟が見て取れた。


『私は、即位などしません!』


「――えっ?」


 ここで聞くはずのない単語が耳に入った気がして、思わず大きな声が出てしまった。

 フランに、しっ! と注意されるが、前に並ぶ大教会の人たちも皆、似たような反応なので誰も気には留めていない。腰を抜かして座り込んだ者もいる。


『クラリス嬢との婚約も了承していません』

「えっ、ええ……」


 大勢の聴衆からも、困惑のどよめきがバルコニーまで押し上げられる。聞き間違いかと己の耳を疑い、ジョシュアに注目する。

 大量の胡乱うろんな目にたじろぐことなくジョシュアは手すりに両手をかけ、声を張り上げ必死に訴える。


『この国はおかしい! ラフィリアとは、奇跡の力とは、そんなに大切なものでしょうか?』


 問いかけられる民衆はざわつく。


『国主夫妻は平和条約締結の場で、女神ラフィリアによって殺された! 大勢の兵もそうだ! ただ、女神の気に食わなかったというだけで! そんな自分勝手な女神に崇拝する価値などあるとは思えない!』


 決死の演説は尚も続けられる。一人でも多くの心に届けたい、そんな兄の気持ちに心打たれる。


『この国の姫である妹のリアは優秀だったにも関わらず、奇跡の力がないという、たったそれだけの理由で地底に落とされた! 人間を気分で殺す女神と、どちらがこの国にとって必要だったかは明白だっ!』


 そこまで言うと室内から数名の騎士が雪崩れ込んできた。ジョシュアの腕を掴み、数人がかりで取り押さえる。抵抗しているが複数の騎士に敵うはずもなく、そのまま室内に引きずりこまれてしまった。好奇の視線を遮断するようにガラス戸が閉じられれば、周囲の不安や怒りが一気に爆発する。大教会の者たちはうろたえ、声を荒げながらラフィリアに許しをう者まで出てくる。


「わお。ジョシュア様大胆。リア良かったね、キミは女神より大切だって」

「とっ、とんでもない事態よこれ……即位拒否って、お兄ちゃんどうなるの一体……」


 前代未聞だ。今後どうなるかなんて前例がなくて予想しようにもできない。ここで自分が気を揉んでもどうにもならないが、呑気に構えてもいられない。


「とりあえず場所変えねえか?」

「そうだね。めんどくさくなる前に逃げよう。さ、リア」


 フランは腰かけていた手すりから降り、リアに背を向けてしゃがむ。帰りはフランだと約束だ。大人しく背に負ぶさる。ドルフはフランの手を取って手すりを蹴った。ふわっと浮いて、しばし空の旅だ。


◇     ◇     ◇


 翌日。大教会内にあるボーマンの執務室に呼ばれた。


「君たち、昨日は会場にいたんだろう?」


 それがさも当然というような口ぶりだ。


「はい。情報収集として」


 答えるフランは開き直っているのか、隠すつもりや申し訳なさなどはどこにもない。

 苦言のひとつでももらって当然だと反省の意を込めて首を垂れてみるが、ボーマンからは、もっと重要なことがあるので話が省けて良かったと言わんばかりの大きなため息が出た。心労が滲む目元に厄介事の気配を感じる。


「だろうと思ったよ。……昨日、ジョシュア様は即位拒否をし、婚約も認めず騎士団に拘束されたのは見ていただろうが……今朝、収容していた部屋がもぬけのからになっていたそうだ」


 衝撃に衝撃を加えるとそれが普通になるものなのか、リアは声を上げることなくボーマンの眉毛のあたりを見つめていた。だが、言葉が出てこないという事は少なからず動揺しているのかもしれない。一人感情の扱いに苦慮していると、フランが視線を鋭くした。


「それは、誰かに連れ去られたか、もしくはご自身で逃げたという事ですね」

「そうなんだ。これはもちろん極秘で、捜査は騎士団主体で行っている。それはもう血眼で探しているよ。向こうも今回の件に関しては治安部隊を蹴っているから、捜索の要請は出ていないが、一応私のところに話は入った。どうなることやら」


 ボーマンは執務机に肘をつき、がっくりと項垂うなだれた。

 これは騎士団の落ち度だが、国民からしたら大教会の落ち度、となるだろう。そうなれば治安部隊を出さなかったボーマンも批判の的になる。

 即位拒否をしたとはいえ、世継ぎが行方不明になるなど国を揺るがす大事件だ。

 無事に見つかって欲しい。ジョシュアはリアにとって只一人の肉親なのだ。しかし、同時に別の問題も浮上する。このまま何事もなくジョシュアが見つかったとして、その先はどうなるのだろうか。即位はしないと大々的に発言してしまったのだ。リアには恐ろしい未来しか浮かばず、それをボーマンに尋ねることができなかった。

 暗愁を拭えないリアの横で気配が動いた。ドルフの指がリアのそでを掴む。


「もし、ジョシュア様が見つかった場合、どのような扱いになるのでしょうか」


 リアの代わりに恐る恐る問いかけてくれた。彼も一緒にうれいてくれているのだと思うと心強い。


「おそらくあんなことを言ってしまったから、国民感情を考え即位は難しいだろう……身の安全は、正直わからない。……すまないね、リアさん」

「いえ、ボーマン様のせいではありません……」


 とは言ったものの、自分でもわかるくらいに声は沈んでいた。

 頼りなかったが、大好きな兄だ。その危機に何もしてあげられない自分がもどかしい。

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