第91話 治安部隊員としての初日

「なんだか落ち着かないわ。私も大教会の一員だなんて」


 リアは真新しい制服を着て、フラン、ドルフと肩を並べ歩道を歩いていた。これまでは見ているだけだった黒い制服に袖を通し、なんだか照れ臭い。

 男性用と女性用で若干形は違うものの、見慣れたものだ。二人とようやく同じ場所に立てたと誇らしい。


「記念すべき初出勤だね。おめでとうリア。ついでに僕たちも治安部隊としては今日が初めて。一緒だね」


 フランが左腕を指して言う。そこには治安部隊の腕章が付けられている。ドルフも同じだと横からアピールしてくる。

 今日はボーマンの屋敷に呼ばれているのだ。詳しい話はされていないが、恐らくラフィリア関係だろう。門扉の前で一度立ち止まり、服装を整える。何せ今日は初日なのだ。ここでしっかりやる気を見せなければ、と気合が入る。


 訪問は滞りなく行われた。玄関で使用人に来訪を告げると、間をあけず応接間に通された。そこには既にボーマンがいるとのことで、遅れたのかと焦ったが、そうではないと案内してくれた執事は表情を和らげる。


 通された室内に入ってみれば、ボーマンの他に知らない老齢の紳士がいた。てっきりボーマン一人だと思っていたので予想外の人物の登場に、じろじろと無遠慮に見つめてしまった。

 白髪をきっちりと整え、背は高く、姿勢よく背筋を伸ばしソファに腰掛けていた。身に着けている衣服や装飾品も一目で質の良いものだとわかり、何よりその片隅に従者の男性が控えているのだ。間違いなく貴族だろう。

 その考えにいたったところで、がっつりと観察していた自分の失態に気が付き、慌てて視線を逸らした。どうか怒り出さないでください、と祈るような気持ちだ。


「突然呼び出して悪かったね。こちらはエリントン卿だ。伯爵の地位を持ち、ここからは少し離れた町で暮らしておられる」


 ボーマンは困惑するこちらにゆっくりと説明し、近くに来るよう促す。

 こういう時、どういう対応をしたらいいのかまったくわからず、緊張でぎこちなくなる。貴族の挨拶なんて知らないし、言葉遣いもおそらく上流階級のそれとはまったく違う。何せ十年も地底で暮らしていたのだ。生まれは国主こくしゅの娘でも、すっかり庶民が板についている。

 フランやドルフ、ボーマンも礼儀作法については普段から何も言わず、リアのありのままを受け入れてくれているが、この時ばかりは少し恨んだ。

 吹き出した手汗をおろしたての制服に擦り付けて、右手と右足が同時に出ないように意識していると、リアの後ろにいたドルフに小さく笑われた。それに反応している余裕はとてもない。


 エリントン卿と呼ばれた紳士はソファから立ち、自ら歩んでリアたちを迎える。

 フランとドルフが余所行きの笑顔でエリントン卿の前に出て行くので、自分は男性を立てる淑女だと心の中で言い張ってこちらに矛先が向かないよう、一歩後ろで自分の思う優雅な笑みを精一杯浮かべた。ここへ来るまでは堂々と横へ並んで歩いていたくせに都合が良すぎる、と心の中の厳しい自分が指摘をするが無視を決め込む。

 そんなリアの作戦が功を奏したかはわからないが、エリントン卿はフランとドルフを品定めするように眺めると静かに口を開いた。


「あなた方がフランシス・オルコット様とアードルフ・オルコット様で。……失礼ですが、どちらがどちらなのかまでは」


 確かに今日のドルフは制服をきっちり着ていて、背格好と顔が似ている二人を見分けるには髪の長さくらいしかないな、でも声は違うから喋ればわかるかも、など緊張から見当違いな心の声が騒がしい。


「初めまして、エリントン卿。私がフランシスで、こちらが弟のアードルフです」

「エリントン卿。お会いできて誠に光栄です」


 ドルフもばっちり完璧な挨拶を交わした。

 普段は行動も話し方も上品さの欠片もないのに、こういう時はちゃっかり好印象を与えられる彼が少し羨ましい。

 大教会に勤めることになったのだし、これからは上流階級の方々とも関わるかもしれない。最低限のマナーは身に着けておいた方が良いのかも、と真剣に考え出したところで恐れていたことが起こった。エリントン卿の目がこちらに向いたのだ。

 このまま過ぎ去ってくれるよう愛想笑いをするが、それは叶わない願いだった。


「あなたは……リア……」


 その先を言い淀む。確信が無いというような雰囲気だ。気まずい沈黙が流れてしまった。

 ここは自分から名乗るべきだろうか。それとも適当な偽名を使うべきか。頭の中がこんがらがる。そんなリアの様子を一瞥、そしてエリントン卿とボーマンの表情を窺ったフランは優しくリアの手を取って隣に立たせた。


「今は少々訳がありまして大教会治安部隊の一員となっておりますが、彼女は高貴なお方であられます」


 正直に名乗れ、という答えを貰えたのはありがたいが、ずいぶん持ち上げられ、全身から冷や汗が垂れそうだ。高貴な態度、声とはどんなものなのか。


「私はリア・グレイフォードと申します」


 意識しすぎたせいで上擦ったのは否めないが、最低限の会話で済むように一息で終わらせた。声は震えなかった。この動揺は表には出ていないはずだ。


「やはりあなた様は……」


 エリントン卿は思い煩うようにリアを視界に映してから、流れるように視線を床に落とした。一体何のためにここへ来て、何を思っているのだろう。


 途切れた会話を繋ぐように扉が叩かれた。丁度お茶が運ばれてきたのだ。ティーワゴンを押しているのは仲良しのメイド、ドロシーだったので世間話でもしたいが、さすがにそれは無理そうだった。残念だ。


「さあ、お茶でも飲んで詳しい話をしましょうか」


 ボーマンがソファに座るよう、皆を自然に促す。

 フランはリアの手を取って、にっこり微笑みながら自分の腕を持たせた。どうやらエスコートしてくれるらしい。この国の王族であるグレイフォード家の娘という体裁を守ってくれようとしているらしいが、ここにはボーマンの部下として大教会の制服を着用し訪ねているのだから、そんな配慮はいらないような気もしないでもないが念のため、という事だろう。

 それと、後ろのドルフをからかって遊んでいるのだ。もしかしたらそちらの意味合いの方が強いのかもしれない。

 ちらりと振り向き窺ったドルフの顔は、エリントン卿の前なのでかなり取り繕ってはいるが、フランを睨んでいる。

 恐らく彼の心の内はこうだ。


『おいてめぇ、何勝手に良い顔してんだよ。っていうかその役目俺でもいいだろ。今すぐ代われ!』


 声に出せない分、黒いオーラがリアには見える気がしたが、フランはどこ吹く風。彼の意地悪は陰湿だ。こうやってさりげなく、相手が抵抗できない時を狙って面白がるのだ。これは後でドルフにもエスコートをさせてあげないと、いじけて夕飯くらいまで機嫌が悪いままだとリアはそっとため息をついた。


 フランの手を借りてリアがソファへ腰を下ろし、ドルフもその横へ座った。オルコット兄弟の真ん中に配置される、いつもの形態だ。

 テーブルを挟んで向こう側にはボーマンとエリントン卿が座り、その後ろにエリントン卿の従者がぴしりと立ち、落ち着いた。

 ドロシーが流れるような手つきでお茶を準備し、あっという間にそれぞれの前にカップが置かれていく。綺麗にお辞儀をして退出すれば、ボーマンがこちらを順に見つめる。


「実は降光祭こうこうさいの後、エリントン卿から手紙を貰ってね。君たちにぜひ会いたいとのことで、今日はここへ呼ばせてもらったよ」


 ボーマンは横のエリントン卿に目で合図を送った。

 それを受け、一つ大きく頷き、長い息を吐き出す。それは重い蓋を開けるような気だるさを感じさせるものだった。


「降光祭の日。私の孫娘はラフィリア様に殺されました」


 エリントン卿が語り出した内容は予想通り、もしくはそれ以上に重たいものだった。


 降光祭の日にエリントン卿は息子夫婦、孫娘と共にラフィリアを一目見ようと聖都ラフィリアに来ていた。一家はラフィリアをこの上なく敬愛する敬虔けいけんな信者であったから、その日もお祈りをすませ、ラフィリアが通る道に面したホテルからその時を待っていた。しかし、孫娘はもっと近くで見たいと駄々をこね、エリントン卿の息子が人でごった返す沿道に連れ出したそうだ。


 ほどなくしてラフィリアはやってきた。馬車には乗らず颯爽と歩き、理想を体現したような輝かしい微笑みを振りまく姿に見物人たちは心を奪われる。人々の興奮は最高潮になり、エリントン卿の息子は人の波に押され、よろめき、娘が手から離れてしまったそうだ。幼い少女は人に揉まれて沿道から押し出され、そのままラフィリアにぶつかってしまった。

 不意の出来事に転倒したラフィリアは赤恥のためか激昂し、謝る少女を光の刃で切り捨てた、と。


「その後、それを知ったオルコット公はどうしたと思うか。大量の金を持った部下をよこし、これで無かったことにしてくれと。私の孫娘はそんな汚い金をいくら積まれようとも戻っては来ないというのに……!」


 太ももの上で固く握られる手には恨みがこもっている。孫娘を失った悲しみ、信じていた神の裏切り、そして総政公の対応。すべてがエリントン卿の怒りを増長させている。

 それを聞いて真っ先に反応したのはフランだ。深々と頭を下げる。


「申し訳ございません。父がそのような無礼を働いていたなど、いくら謝罪しても足りませんが、本当に申し訳ございませんでした」


 ドルフもフランに合わせ、沈痛な面持ちで腰を折った。

 リアはというと、四人の話についていくのに若干苦労している。どうやら総政公そうせいこうというのは愛称的なもので、オルコット公というのが正式な爵位名なんだな、と話の流れからなんとなく理解した。そういう予備知識は早々に教えておいて欲しい。

 ボケっと自分の思考の海に揺蕩たゆたっていたが、両端がエリントン卿への真摯な謝罪のため涼しくなってしまい、思わずリアも仲良く頭を下げてしまった。よく考えてみれば自分は総政公とはなんの関わりもない。

 引っ込みがつかなくなってしまったので、そのまま自分の足元を見つめていると、エリントン卿の慌てた声が上から降ってきた。


「どうか顔を上げてください。あなた方に危害を加えようとは思っておりません。こちらこそ、つい感情的になって勘違いさせてしまい、申し訳ありませんでした」


 エリントン卿は一度自分を落ち着けるようにお茶を口にし、さらに話を続ける。


「あの一件で息子夫婦は憔悴しょうすいしきり、私自身も長年信じてきたラフィリア様の酷い所業に混乱し、オルコット公の横暴さにも疑問を持った。そこでオルコット公の周りのことを詳しく調べさせてもらったのです」


 オルコット家の嫡男は大教会の騎士長。総政公と共にラフィリアを信じるラフィリア派のトップ。

 影でラフィリア派と対をなす、反ラフィリア派のトップがボーマン家当主であり大教会治安部隊隊長ボーマン卿。

 そしてなぜか、オルコット家の次男と三男は反ラフィリア派ボーマンの部下であり、親密。さらに調べると、十年前に奇跡の力を持たぬ罪として地底に落とされた国主の娘と思しき、リア、と呼ばれている女性もボーマンやオルコット家次男、三男と懇意にしていると。


「あまりにも複雑で、どういう事かわからなくなり、一か八かでボーマン卿に手紙を出してみたところ、丁寧に返事をもらえてね。数度やりとりをして、今日こうして実際に会えたということです」


 確かに相関図に纏めたら、ごちゃごちゃになりそうな関係性だと我ながら笑えた。


「いやぁ、私も最初に手紙をもらった時は内容の経緯から、フランシス君やアードルフ君に危害を加えられるんじゃないかと思ったんだがね、誠実そうな雰囲気が伝わってきたので一度会ってみようかと。――何せ反ラフィリア派は人員が不足しているからね」


 ボーマンの言葉にエリントン卿は落ち着いて一つ頷いた。


「是非とも、あなた方の力になれたらと思っております。ラフィリア様は信用できず、オルコット公も同じです。地方に住んでいるからこそできる手助けもあると思いますので、なにかお手伝いできる事があれば遠慮なく言ってください」


 背筋が伸び、綺麗に会釈をする姿からは悪意など感じられない。これは有力な味方の登場だ。ボーマン以外、信用できる貴族はいないと身構えていたが、柔軟な心を持った人もいるのだと嬉しくなる。


「とても心強いです。よろしくお願いしますっ」


 思わず声をかけてしまったが、今のは失礼だったかもしれないと、はっとして押し黙る。

 前のめりの弾んだ声は、高貴でしとやかな淑女とは言い難い。糸の切れた仮面を必死に着けていたが、ここへ来てぽろりと落としてしまった気分だ。

 品がないと思われたに違いないと内心震える。位の高い人を怒らせたらどうなってしまうのだろう。牢屋にでも押し込まれる、もしくは腕を一本取られるとか、もしかしたら極刑も、と最悪の想像を繰り広げる。


「リア様、そんなに私の事を怖がらないでください。私はあなたを食らい尽くす悪魔ではありませんよ。むやみやたらに投獄や処刑などしません」


 笑い混じりのエリントン卿の言葉に、リアを見守っていたフランとドルフは小さく吹き出した。ボーマンまで笑っている。

 また顔に出ていたのだろうかと思うと恥ずかしい。これは一刻も早く直さないといけない癖だと、リアは熱を持った顔を深く俯けた。

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