第89話 潮目

 散歩の道順はその日によってまちまちだが、大教会に帰る前にはこの都市一番の公園へ寄るのが日課だ。本日も例に漏れず通りかかった。

 池の周りには芝が植えられ、揺れる水面みなもとゆったり浮かぶ水鳥を眺めながら会話を楽しむ若い男女や、元気に走り、どさりと転んで泣き出す子供をあやす母親など、のどかな風景が広がる。まさしくこの都市の憩いの場だ。


 公園には大教会からの声明が張り出される掲示板が用意されているのも、人が多い理由の一つ。遊歩道から見やすいよう、小高い丘のようなこんもりとした芝の上に突き立つ大きな掲示板。三方を囲う小さな小屋のようになっていて雨の日でも野ざらしになる心配は無い頑丈なものだ。その前には、いつもよりかなり多くの人が集まっていた。

 何かあったのだろうか、とリアはフランとドルフに目配せをするが、二人共首を傾げる。あんなに人だかりができるような内容であれば、自分たちはボーマンからあらかじめ聞かされているはずだ。直近では何も言っていなかった。降光祭こうこうさいに魔王は降臨していないという声明はとっくに出された後だ。


 気になり近づいてみれば、昨日まで沢山貼られていた紙はすべて外され、一枚の大きな紙が存在を主張していた。

 掲示板のすぐ前までごった返していて、人の間を縫ってどうにか近づくものの、リアは身長が高くなく、背伸びをしても連綿と連なる背中しか見えない。気を抜けば押しつぶされてしまいそうだ。

 フランとドルフを見失わないようにその背に隠れ、風よけのごとく人避けの盾にすることにした。


「えっ……」

「マジ……」


 ほぼ同時に上がった二人の声は意図せず飛び出たものといったようにおぼろげで、それ以上は続かなかった。

 一体何が書かれているのかと、興味は最高潮に達する。リアは丁度いい隙間を見つけ、そこからようやく掲示物をのぞくことができた。


『ジョシュア・グレイフォード様の即位及び、モグラでありながら光の女神ラフィリア様の加護を受けたクラリス嬢との婚約が決定。今後、奇跡の力を持つ者、持たぬ者が手を取り合い、穏和に暮らせる世の中の創造はラフィリア様の下、確約されました』


「ええっ!?」


 世界がひっくり返るほどの衝撃を受けた。実際、ぐらりと地面が揺れたような浮遊感を味わったほどだ。

 兄が生きていたという事、そして何故かクラリスと婚約する事。ここへ来て事態は一気に動き出した。これまであんなに行方を探して見つからなかったというのに、びっくりするほど簡単に判明して拍子抜けもいい所だ。喜んでいいのか、怒っていいのか、悲しんだ方がいいのか、反応に困っているとフランに手を引かれる。ドルフにも軽く背を押され、あっという間に人の群れから抜け出した。逸る足が向かう場所は決まっている。大教会だ。

 横に並ぶフランとドルフも半笑いのような、呆れとも驚きともつかない顔をしていた。彼らも急展開に筋道が定まらず、心中穏やかではないのだ。


「びっくりだよね。そう来るとは。これ、絶対総政公そうせいこう様側の独断だよ。今からボーマン様に確認しよう」

「ボーマン様が知っていたら、私たちに教えてくれるはずよね。特にお兄ちゃんの事は。ああ、でもお兄ちゃん生きてたんだ……良かった……」


 素直に喜んでいる場合ではないのだろうが、兄が生きていたというのは何よりも嬉しい。平和条約締結の日、ジョシュアは身を挺して守ってくれた。そのお礼をちゃんと伝えられるかもしれないのだ。今後の不安よりも安堵が勝って頬が緩んでしまうが、それは自分の意思では止められない。フランもドルフも、優し気な視線をくれるだけで浮つくリアを咎めはしない。


「良かったな、リア。でも何だか、また大きな事件の匂いがするじゃねえか。……あーあ。平和な日々は長く続かねえなぁ」


 はぁ、とご丁寧に足を止め、憂鬱に息をつくドルフとの差は刻一刻と広がる。

 リアも穏やかな日が続いて欲しいことには同感だが、立ち止まっている時間はない。


「ドルフ! 早く!」

「あー、はいはい」


 鋭く呼べば、嘆きながらも追いついてきて横へ並んでくれた。フランとドルフがいてくれれば、なんだってできる気がする。


 呑気な町は、今この国がラフィリア派と反ラフィリア派で割れていることを感じてはいるが、重大な関心事とはなっていない。

 女神ラフィリアをうやまい、授けられた奇跡の力をありがたがる、それが人々に根付いた当たり前だからだ。

 降光祭でラフィリアの暴挙を目の当たりにした人たちを中心に、ラフィリアの存在に疑問を持つ人も増えてはいるが、そんな反ラフィリアに傾きつつある者もリアたちの成し遂げようとしている真相を知ったら考えを改めてしまうかもしれない。

 何せ、ラフィリアをこの世から消滅させることは、奇跡の力も完全に無くなる事を意味するのだ。


 今あるものを手放すのは難しい。たとえそれが、これまでの生活にほぼ役に立っていないものだったとしても。無くなると知った途端、惜しくなるのはいわば人間の性だ。

 今のところ正しく理解し、それでいて同意をしてくれている人はボーマンしかいない。

 この厳しい現状は果たして好転するのか、停滞していた問題が再び動き出した感覚に、リアは立ち向かうべくしっかりとした足取りで渦中へ飛び込む。

 町の中心部に広大な敷地を持つ大教会は、もう目の前だ。

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