第三章 縁

動乱

第88話 降光祭の後

 降光祭こうこうさいが終わり、すっかり日常が戻ったある日の事。リアたち三人は朝の空気を吸いながら、のんびりと散歩をしていた。馬車の軽快な音が時たま横を通り過ぎる。

 天気は晴れ。澄み渡る青い空が気持ちいい。

 今日は一日何の用事もない。ラフィリアについてまだまだ問題は山積みではあるが、しばしの休息というやつだ。


 たまにはおしゃれでもしようと、白いブラウスにボルドーのスカートを履いた。やはりスカートは足が涼しくてなんだか気恥ずかしいが、たまにはいいだろう。

 本当はリアだっておしゃれに興味はある。ただ、地底にいた頃は身だしなみに気をかける余裕などなかったので、なんとなくその時の感覚が身につき、未だに見た目にお金をかけることに罪悪感がつきまとう。


 そんなリアの心のうちを見透かすのか、フランは呉服店に連れて行っては何かと理由をつけて服にお金を出してくれる。

 ハーフアップにした髪を飾る、きらきらした花がたくさんあしらわれた髪留めはドルフがくれた物だ。お店で散々買うか迷って、迷い抜いて何度も手に取ったり置いたりを繰り返していたら、買い物に付き合ってくれていたドルフが痺れを切らし、問答無用で買ってくれた。

 逆に申し訳なかったので、次からは即決できる心を持ちたい。


 フランとドルフも今日は制服をやめ、私服なので新鮮だ。ちなみに二人はまったく仕事のない日でも大教会の制服を着ていることが多いのだが、理由を聞いてみたところ、服の組み合わせを考えるのが面倒くさいからだとの事。二人は似た者同士、服装に頓着ないことがわかった。


 人通りを避けて入った通りには、地元民を相手にした小さな商店や住宅が並び、ひしめき合う。

 その一角、民家の前に真っ黒な箱馬車が停まっていた。見かけは乗合馬車を小さくしたような目立たない風貌だが、キャビンから馬まで漆黒の姿は不吉な印象を与えている。

 馬車のつけられた玄関先では母娘が抱き合い、悲痛に泣き崩れていた。

 リアが歩いているのとは逆側の歩道上でのことだが、なんとなく通りづらく足を止めて遠目から眺める。

 親子が大声で慟哭しているので、騒ぎを聞きつけた近所の人が窓からのぞいたり道へ出て様子を窺っていて、ちょっとした事件のように辺りは騒然としていた。


「どうして私なの!? 母さん、私っ、離れたくない!」

「母さんだってお前を離したくはないさ! でも父さんが許さないんだ。ごめんね……」

「どうして!? どうしてラフィリア様は私の力を消したの!? 私は週に一度、しっかり教会に行ってお祈りをしていたのに! パン屋のアンは数ヶ月に一回しかお祈りをしてなかったのに、力が消えないなんて不公平よ!」


 どうにもならない現実を嘆く叫びは虚しく通りに響く。誰もなぐさめる者はいない。

 包み隠さない悲泣をかき消すように、玄関が壊れるのではと思うほど勢いよく開いた。中から壮年の男性が肩を怒らせ、憤怒に赤らむ顔をして出てきた。この娘の父親だろうか。新たな人物の登場に、野次馬たちが息を呑む。


「早く行け! 一家の恥晒しめ!」


 横暴な怒号と共に、太い腕が振り抜かれた。娘はそれを頬に受け、地面に倒れ込む。

 あんまりだと、リアの頭は瞬時に沸騰する。


「ひどいっ!」


 咄嗟に駆け出そうと足を踏み込むが、フランは黙って腕を出しリアを止める。行くな、と厳しい顔を横に振る。

 確かに、ここで自分が出て行って涙を流す娘を助け起こし、言いたい事をぶちまけても何の解決にもならない。

 ――いくらなんでも酷すぎます! 娘さんの気持ちを考えてあげてください。どうして簡単に家族を捨てられるんですか!?――

 こんなのは勝手な感情論だ。

 助けたい。しかし、あの子の面倒を一生見続けることは今のリアには事実上不可能だ。部外者がでしゃばって中途半端に助ける方が酷になる。フランの紺色の瞳はそれを伝えていた。冷静になれ、と。

 幾分か落ち着きを取り戻したが、心は暗く沈んだまま。具体的な解決策もないのに他人の事情に首を突っ込むのは愚かだとリアは唇を噛み、道の先で繰り広げられる悲劇をただ見つめる。


 降光祭の後、無作為に人口の三分の一程度から奇跡の力が消え去った。

 初めの数日は迫害される事を恐れ該当者は黙っていたが、日を追うごとに白日はくじつの下に晒され、奇跡の力の優劣が人々の生活を左右していた聖都ラフィリアは、この二週間でかなり混乱をきたしていた。

 大教会も奇跡の力が消え去った原因究明に奔走しているが、未だ公表できる情報は掴めていない。


 あっちの家の奥さんから力がなくなった、こっちの家の子供は全員だめになっただの噂が飛び交い、離婚や夜逃げ、遠方の親戚に押し付けるなどが相次いでいる。今、玄関先に停まっている直黒ひたぐろの馬車は、ここ数日で突如商売を始めた『引き取り屋』だ。奇跡の力を失った者を買い取り、どこかへ連れていく。一言に言えば人買いだが、奇跡の力を失った者を対象にしているので誰もその商売を咎めない。むしろ、厄介者を引き取ってくれると家族はありがたがっている。力を取り上げられるほど、ラフィリアの怒りに触れた罰当たりな人でしかないからだ。


 真っ黒な外套を羽織り、これまた真っ黒なハンチング帽を目深にかぶった御者ともう一人の似たような黒い衣服を身に纏った男は、頬を押さえ呻く娘を前にひざまずき、右手の親指を地面につけてラフィリアに祈りを捧げる。


「ラフィリア様からの加護を失ったこの者に。今一度、再起の道を示していただきますよう」


 道にいた数人の住民も同様に許しを乞い始めた。道端で始まった懺悔がひと段落すると、男たちは地面に伏せって嗚咽を漏らす娘を強引に引っ張り、馬車の中に押し込めてしまった。そのまま感慨もなく出発してしまう。

 横を通過する際、リアは睨み付けるが、窓のない馬車にそんなささやかな攻撃は跳ね返された。

 ラフィリアへ祈りを捧げることで人々から家族を売る後ろめたさを軽くしている汚いやり方に、激しい怒りが煮えたぎる。

 当たり前に根付く歪な価値観を覆してしまいたい。

 大教会としても引き取り屋の存在は問題視しているが、現時点で摘発したとしても似たようなことが水面下で起こるのは目に見えているので、行動を起こせていないのが現状だった。


 通りから馬車が去り、娘の母親が夫に引っ張られるようにして家の中に引き返せば野次馬たちもそれぞれの生活に戻り、何事もなかったかのような平穏を取り戻した。

 フランは、はあっと緊迫していた息を吐き出して肩をすくめる。


「ラフィリア様は祈ったところで助けてはくれないんだよね」

「あっちこっちで人間の汚さ見えてて反吐へどが出るな」


 独り言のように答えるドルフも嫌悪感に目元が鋭い。


「私ばっかり力を授かっても、これじゃあ嬉しくないわ。あの子だって本当は引き取り屋なんかに連れて行かれるべきじゃなかったのに。お母さんだってつらそうだった」


 胸元で手のひらを上に向けてふた呼吸。意識を右手に集中させれば、苺ほどの大きさをした光源が生まれた。まだ上手く使いこなせない力であり、握り込んでしまえば消えてなくなる。

 たったこれだけのおぼつかない自分が良くて、あの子が駄目だなんてそんなことは絶対にない。あの子にはあの子だけの素晴らしい人生があったはずなのに。

 気落ちするリアにフランは散歩を再開させながら、苦笑のような曖昧な表情で小さく笑う。


「キミはお人よしがすぎるよ。キミの方が十年前、酷い扱いだったじゃないか。罪を叫ばせ、国中から嘲笑の的にされて、身一つで地底に落とされてさ」

「そうだぞ。あいつらだって力を持たないリアを十年前に笑ったんだ。今更、自分の娘が力を失ったから助けてください、って都合良すぎるだろ。俺から言わせれば、ざまーみろだ」


 二人は少しむっとしたように、世間を揶揄する色の強い批判を口にする。かばってくれるのは嬉しいが、リアとしてはそんな気持ちにはなれなかった。


「私はそういう運命だったから仕方がないのよ。でも、今回力を失った人たちは違う。ラフィリアに巻き込まれただけじゃない。本当はこんなつらい思いをしなくてすんだのに」


 ここに暮らす者たちはただの被害者だ。無関係に未来を滅茶苦茶にされただけなのだと、重い息が落ちる。


「リアが清らかすぎて直視できねぇ!」


 ドルフが大げさに手で顔を覆い、リアに背を向けた。

 それと変わるようにフランがリアを安心させるよう、平和の象徴のごとく暖かな微笑みをよこす。


「相当数から奇跡の力が消えてしまった事態は大教会側も危機感を持っているからね。すぐに対策が練られるはずだよ。何せ重鎮の娘さん……リアの昔の友達だったっけ? その子から力が無くなって、婚約していたらしいんだけど、相手方が大層ご立腹で白紙に戻ったみたいだし」

「そうそう。お偉い貴族様の当主本人からも力が無くなったり、大教会内でも無くなった奴らは多いみたいだからな」


 大教会に少なからず恨みを持っているフランはどこか楽しそうで、それに同調し、にやにやするドルフも愉快そうだ。悪ガキ兄弟のような雰囲気に少しだけ救われる。


「このままだとパワーバランスが変わって、どこもかしこも大混乱、ってわけね。奇跡の力一つでそんな大騒ぎするなんて、本当ここは嫌な国ね」


 力があろうがなかろうが、その人自身は変わらないのに、とリアは思う。

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