【番外編】オルコット兄弟はリアがお気に入り
昨夜は色々ありすぎて大幅に寝坊してしまった。もうすぐ昼だ。しかしながら当事者だった兄はまだ寝ているのではと、のんびり支度をしてやって来たのだが、予想を裏切り小さなダイニングテーブルには、きっちりと大教会の制服を着こなしたフランがいた。
紅茶をお供に、大きな皿に載せられた食パンを切り分けもせず、ちぎりながら口に放り込んでいる。行儀が悪い。
横に置かれた紙袋の巨大さを見るに、パン屋に行くとよく見かける三斤分くらいはありそうな、焼型から出したまま売られた食パン一本だったのだろう。それがもう半分以上食べられていた。
「……お前やっぱ変。頭のてっぺんから足の先まで全部胃かよ」
挨拶だとか、昨日の
「昨日あれだけ力を使ったから、お腹が空きすぎてよく眠れなかったんだよ。朝買いに行った焼き立て。お前も少しなら食べるのを許してやる」
なんとなくドルフは椅子に座ると、フランは席を立つ。
「コーヒー淹れてやるから待ってろ」
キッチンに消えるフランを見送りながらも、ドルフの手は遠慮なく長い食パンをちぎる。ふわっとしたパンは何もつけずとも美味しい。
ドルフは窓から入る光に照らされながら、ぼんやりと昨日の事を思い出す。とても必死だったのでどこか夢心地だが、リアが『大好き』と言ってくれたことだけは間違いがない。
ふふふ、と顔がにやけるので、パンの載せられた大皿を避けながら腕をテーブル上に投げ出し突っ伏す。
テーブルは小さいので、手のひらが向こう側に飛び出てしまう。ばたばたと動かして感情の昂りを表す。
これから先、どんなことが待ち構えようと、命にかえてもリアの幸せを守ると覚悟を決めたのだ。――たとえ自分が側にいられなかったのだとしても。
今一度、胸に変わらぬ思いを刻んでいると、足音がこちらに近づいてくる。
「アードルフ、手が邪魔。カップの置き場がないだろ。それに僕のお茶がこぼれる」
湯気の立つカップを持ち、呆れ顔で見下ろすフランにドルフは起き上がって開口一番、率直な気持ちを表明する。
「リア可愛すぎだろ、お前趣味いいな!」
「お前、ずいぶんリアに
フランは椅子に腰を落ち着け、紅茶を一口。その目は先を
待ってました! と言わんばかりに、ドルフは己の武勇伝でも語るよう張り切る。
「初めは、とんでもなく醜悪な見た目の怪物かと思ってよ、お前の性癖にドン引きしたわ」
リアとの出会いを反芻し、顔を
「リアになんてこと言うんだよ、お前は」
事情を知らないフランは当然むっとする。
「違うんだって! こうなったのもお前のせいだからな。お前がリアを地底になんて転送するから、リアも俺も大変だったんだぞ」
「地底にいっていたのか。ちょっと予想外」
「そ。地底にいたから探すのに時間がかかって、リアを迎えに行けたのが平和条約の二週間後。ボーマン様の協力で地底に行かせてもらってようやくだ。感謝しろよ」
「ああ。助かった。ありがとう」
素直に謝意を示しておけば、気を良くして喋り続ける単純な思考回路だと熟知しているので、フランは微笑も交える。
案の定、ドルフは得意そうに胸を張った。
「リアは地底の娼館で下働きをやってたんだ。可哀想だろ。でよ、その娼館へ向かう道すがら、客引きしてたおばさん娼婦にしつこーく付き纏わられたんだよ。急いでるって言ってんのに、俺の腕をがっちり掴んですげー力で引っ張んの。とんでもなくケバくて香水きっつい顔がここまで来たんだぞ! ここ!」
ドルフはその時のことを鮮明に思い出したのか、熱心に手のひらを鼻すれすれで上下に動かす。臨場感たっぷりの弟が面白いので、話しは脱線しているが少しだけからかうことにした。
「すごいテクニックがあったんじゃない? 試してみれば良かったのに。新しい世界を開けたかもしれないよ?」
思った通り、ドルフは見ているこちらが気持ちよくなるほど圧倒的な渋面を浮かべる。
「だったらお前が行けよ。今すぐ案内してやっから。俺はこっちが金もらったって、あんな全身ぶよぶよの相手はごめんだわ。肉は付く場所が大切なんだよ。……で、そんなおばさんの話がしたいわけじゃないんだ俺は。リアの話だ」
ここで一旦、ドルフはコーヒーで口の中を潤した。
少しだけ甘みの加えられた味に懐かしさを覚える。なんだかんだ、兄の淹れるコーヒーが一番好みだなんて恥ずかしすぎてとても口には出せないので、コーヒーと共に飲み込んで話を続ける。
「そんな事件があったから、俺もすっげーイライラしてたんだよ。リアのいる娼館に着いて、ついそのままの勢いでリアを出せ、みたいな脅しで凄んじまって。そしたらその場にいたみんなびびった」
「当たり前だろ。お前はただでさえ目つきが凶悪なんだから。でも、リアはそれくらいじゃ動じないから、敵意剥き出しで対抗されたんだろ」
「そうなんだよ。その出てきたリアが原型留めないほど顔が腫れ上がって、青あざだらけだったわけ。頭真っ白になるほど酷い有様だったぞあれは。あの店の
相当悲惨な状態だったのか眉間の皺が深い。
「何でそんな?」
「どうやら俺に会う前日、地底に来ていた
「……そいつらに次会ったら教えてくれる? 僕からも、ぜひご挨拶しなきゃね」
フランは今後の指針を胸に刻んで、にっこりしながら食パンを一切れちぎった。力が籠っていたのか、想定より大きくなってしまったが問題はない。
「その笑顔が超こえぇ……けど全面的に賛成。で、その娼館でびっくり顔面のリアが出てきて、もう俺の機嫌地に落ちたわけ。ぶよぶよおばさんの次はガリガリ化け物かよ! って。しかも連れて帰らないといけないなんて、何の罰ゲームかと思った。それで、まあ……ボヤ騒ぎを起こした」
言葉を濁しながら、カップの取っ手を指先でいじる。
フランにはその時の状況が手に取るようにわかった。
弟は燃える炎を前に、内心大慌てだったが何もできず、
強がるくせに頼り甲斐は
変わらない弟に安心と呆れを覚え、フランは苦笑する。
「お前は事を悪い方に持っていく天才だね。お前がリアを追い詰めるような事を言って無理矢理連れ出したのは良いが、逃げられて捕まえるのに苦労したとか、そんなところなんだろ」
「当たってる。あいつ俺に全然怯まないの。果敢なの。大教会に入ろうとして塀を登って警備兵に捕まってたんだよ。やる事が予測できなくて飽きないなあいつ」
「あはは、リアらしいね。塀って身長の倍以上あるよね。絶対無理なのにね。こっちの予想を上回ってくるから、目を離さないようにしないと」
大真面目な顔で石の壁に張り付くリアを想像して、フランは笑うのを堪えられなかった。
「結局、俺があいつを抱えて重力操って塀を越えたんだけどよ、あいつ怖かったみたいで口では強がり言ってんのに、俺にめっちゃしがみついてくんの。もうなんか愛おしくて。ガリガリのとんでもない顔の女に愛おしさを感じるなんて、俺どうかしたんじゃねえかって」
俺の好みはもっと肉感的で端麗な顔の女で……とドルフは頭を抱え、苦悩を滲ませる。
「お前、それはリアに喧嘩売ってるってわかってる?」
「決してそういうわけではねえよ! リアはなんていうか、そういうのとは別枠っていうか……もしかして、これが運命の出会いってやつ!?」
自分の言葉に酔っているようでドルフは喜色満面だ。弟はどうしてか年の割に子供っぽく、フランに言わせれば馬鹿なのだ。普段は女性の体ばかり目で追っているくせに、時たま夢見る少年のような感性を発揮する。
「アードルフ、それはあれだよ、道の片隅に捨てられていたぼろぼろでガリガリの仔猫を助けたのになぜか威嚇されたけど、ああ、頑張ってるな~、可愛いな~って気持ちだよ。僕もそうだった」
「それだ! あいつ、ちょこちょこしてて可愛いんだよ。表情がくるくる変わって考えてること全部漏れてるし。かと思えばすっげー前向きで、こっちがやたら励まされるし」
ドルフはリアを思い出し、敬愛するものを直視できないとでもいうように両手で顔を覆った。
「リアには不思議な魅力があるよね。確かに可愛い」
リアについて行けば、どんなに深い洞窟にいたとしても光の降り注ぐ出口にたどり着けるような安心感がある。フランも顔が
「てか、あいつ痩せすぎじゃね? 色気云々の前に健康を害するレベルだろ」
急に生活習慣を指摘する医者のような真面目な顔つきになって、ドルフはリアを憂う。
確かにフランから見てもリアは痩せすぎだと思っている。同じくらいの歳の子と比べても明らかに華奢だ。
「あれでも、僕と暮らしている時に太らせようと思って栄養のあるものを食べさせてたから、少しはマシになったんだけど」
「あれでか?」
無駄な脂肪など一切ないといっても過言ではない姿を思い浮かべて、あれ以上痩せることができるのかと、ドルフはテーブルに腕をついてフランを疑い深くのぞく。
「僕が十年ぶりに地底でリアと会った時は今より細くて、長生きしないな、って思うほどだった。地底ではあまり良い食材は出回っていないし、リアは裕福ではない灯り売りだったから一日に二食、簡素な食事を摂るのが限界だったみたい。食べられない日もあったみたいだから、ああなるよね」
「それなら、そん時に引っ張ってでも連れてこいよ。薄情だな」
ドルフは信じられない、と顎を引き睨む。
「だってリアが僕と来るのは嫌だって言ったんだから、無理強いはできないよ」
地底で会った時、リアはフランに対し敵意をむき出しにしていた。かつて自分を地底に追いやったのと同じ、大教会の人間が訪ねて来たのだから当たり前だ。フランとしては想定内だったので、少しも傷つくことはなかった。
「お前は胡散臭いから不審がられても仕方ないな」
ふふん、と勝ち誇ったように目を細めるドルフを、フランは余裕の面持ちで迎え撃つ。
「でもリアは自分から僕の元へ来てくれたんだ。二度も。逃げられたお前とは圧倒的に違うよね」
ぐっ、とドルフは言葉に詰まった。フランとしては弟を少し
「とにかく! リアを太らせないといけないな!」
「そうだね。風邪でも
「まああいつ、悪運強いから簡単には死ななそうだけどな」
「そうだね。まさに世界が求めて祝福されてる、って感じ?」
「そりゃメルヘンすぎだろ」
あはは、と二人で笑い合う。リアについて愛おしむ気持ちを分かち合っていると、そっと部屋の扉が開いた。
本人は気づかれないように顔だけを出して様子を窺っているつもりらしいが、まったく隠れられていない。
姫の登場に、フランはパンの載っていた皿を手に取り席を立つ。
「おはよう、リア」
おずおずと入って来るリアに向ける二人の眼差しは他の誰に対するものよりも柔らかく、慈愛に満ちているのは言うまでもない。
当たり前にリアがここにいてくれることが、フランもドルフも幸せだった。
気兼ねなく自分を預けられる存在が、こんなにも心強いなんて初めて知った二人。家族に恵まれなかった兄弟が、お互い以外で信頼できる存在の登場に心を動かされないわけはない。
フランはリアとドルフを待たせ、キッチンで手早くお茶の準備をする。
ティーポットに茶葉を入れ、沸点まで温度を上げたお湯を奇跡の力でポットの中に発現させる。蓋を閉め一分半。砂時計を裏返す。さらさらと流れ、下へ積もっていく白い砂は刻一刻と真ん中の窪みを深くしていく。
ドルフも理解しているはずだが、三人でいられる時間はおそらくそう長くはない。自分たちはラフィリアを
理想の幸せはこの砂時計のように、あっという間に足場が崩れてしまう。
たとえ自分が側にいられなくても、リアが少しでも楽に歩いて行けるように手を尽くすつもりだ。この愛は誰にも侵すことができないほど、崇高で尊いものだから。
落ち切った砂時計を合図に、フランはポットからカップへ紅茶を注ぎ、丁寧にトレイへ載せる。
せめて今だけは余計な事など考えず、この瞬間を楽しむと決めた。
未来への危惧はいったん片隅に起き、いつか夢見た“家族”の元へ、温かな心で戻っていった。
【番外編】オルコット兄弟はリアがお気に入り 完
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