【番外編】フラン&ドルフ過去話4
広い訓練場の一角に人が集まる場所があった。隙間から見える石材の地面が微かに赤く線を引いたようになっている。これは血を流した人が引きずられた跡だ。雑に引かれた赤い線の先、力なく倒れ込んだ体が目に入った。黒髪の少年だ。
力の入っていない小さな腕が、意地の悪い笑みを浮かべた男の鍛え上げられた腕に引っ張り上げられる。
作戦とか、理性とかそんなものは一瞬で飛んだ。
フランシスは前にいた男を水の塊で吹っ飛ばし、アードルフを掴んだ男の肩に、水を状態変化させて先端を尖らせた氷を深々と突き刺した。
男は奇襲になすすべなく、アードルフから手を放し、みっともなく悲鳴を上げて尻餅をつき騒ぎ立てる。
うるさいので、大きな氷の塊を頭の上に落として静かにさせた。
訓練場には大勢の騎士がいた。この時、フランシスは頭に血が上っていて正しい数は数えられていないが、二十名ほどになる。
思ってもみなかった子供の登場、そして仲間二人があっけなく倒された状況にどう出るべきか様子を窺い、訓練されたはずの騎士たちは指示待ちの
そんな無能な外野など今のフランシスの視界には入らない。何もかもが憎かった。どうなっても良いと思った。弟の元まで駆けつける間、氷、水、本能のままに力を使った。壁や地面が抉れ、大木がなぎ倒される。訓練場に併設する騎士団詰所も壁が剥がれ崩壊した。
「アードルフ! アードルフっ!」
倒れる体を抱き起こすと、そこにはおびただしい数の打撃痕、火傷、切り傷があった。手遅れだったのかと頭が真っ白になったが、少しだけ残っていた理性がフランシスの手をアードルフの首元へとあてがわせた。指先に感じる規則正しい鼓動が、落ち着きを取り戻させる。自分とよく似ているが、まだ子供らしくふっくらした頬には涙の跡が残っていた。それにひどく心が痛む。
アードルフはフランシスと違って、奇跡の力を上手く扱えない。何も抵抗できない子供に寄ってたかって暴力を振るうなんて、それを許容する神なら要らないとフランシスはこの時、女神ラフィリアに明確な殺意を抱いた。
治癒の力ですべての外傷を綺麗に治し、アードルフの頬を軽く叩く。
「アードルフ!」
「……フランシス……?」
薄っすら開いた目に、心底安心した。緊張が解れ、ようやく頭が冴えてきた。
「アードルフ、大丈夫か?」
アードルフを立たせて、一通り異常がないか体を見る。服が破れてしまっている以外、痛むような場所は無さそうだ。
俯くアードルフをのぞき込もうとしたところ、勢いよく抱き着かれた。その肩は震えている。
「フランシス……これは父様と母様の命令なんだってさ……父様と母様は……ぼくらのこと……」
――好きじゃなかったみたい。
涙を流す弟を前にフランシスは何も言えず、慰めにも解決にもならないが頭を撫でることしかできなかった。
フランシスはとっくに知っていた。両親は長兄にすべての愛情と期待を注ぎ、ラフィリアを冒涜するような力を持つ自分とアードルフは頭痛の種でしか無かった事を。
純粋な弟は悲しみに暮れて、細く悲痛な叫びを上げる。
こればかりは自分ではどうすることもできず、無力さに空へと投げた視界には憎たらしいほどの青空が映る。
光の女神のせいで滅茶苦茶だと、フランシスは投げやりに大笑いしたい気分だった。
ラフィリアは不幸を運ぶ女神だと、恨みつらみを心に並べ立てる。
五百年前から続く因縁のせいで家族はおろか、国からも疎ましがられている。ラフィリアさえいなければあったはずの平穏は、根こそぎ取り上げられた。あるのは逃れられない運命だけだ。
弟には、そんなもの関係なく生きて欲しかった。しかし、ほんのごくわずか、アードルフにも五百年前のフランシスの力が発現している。本来フランシス一人が受け継ぐはずだったものが、何かの手違いで分かれてしまったのだろう。その些細な力でさえ運命は逃してくれないのかと絶望する。
しゃくり上げる弟にかける言葉が見つからず、背中をさすり続けていると、がちゃがちゃと重々しい音が近づき、訓練場に武装兵が駆け込んできた。あっという間に包囲されてしまう。
超危険人物のような扱いに、狭窄気味だった視野が本来の広さを取り戻していく。
元からいた騎士たちは揃いも揃って地面と仲良くしていた。これでは物々しい対応をされても仕方がない。
立ち居振る舞いからするに、騎士の中でも特に強い先鋭だろう。普段は
恐怖に体を硬直させるアードルフを背にかばう。
「一体、何をしているんですか? あなた方は」
感情の籠っていない声でどこにともなく問えば、真正面にいた壮年の騎士が怒気を放つ。
「貴様……こんなことをして、何が目的だ! 国主の座か!?」
「僕は弟がいじめられていたので、助けただけです。国主様になりたいなど、これっぽっちも思ってはおりません」
包み隠さず本音を述べる。これ以上の理由はないのだ。
しかし、目の前の騎士は耳をかさず、威圧するように片足を踏み出した。
「嘘をつけ! 国主様の娘であるリア様が力を持たぬと知って馬鹿にし、この国を任せ続けるのは不適だと思っているのだろう!」
ご立派な被害妄想だと、フランシスは目の前の愚かな男を鼻で笑う。
リアという子もいずれ運命に巻き込まれるのだ。自分と同じ、五百年前から続く負の連鎖に。きっと耐えられるはずがない。今はまだ国主の娘として手厚く保護されているが、見放される日は必ず来るとフランシスは憐れむ。
壮年の男はフランシスが何も答えないのをいいことに、一声発破をかける。隙を見せず一斉に騎士たちが踏み込む。上層部からの命令は、自分たち兄弟の殺害だろう。目が本気だった。
これだけの手練れに逃げ場を断たれたのでは、普通の人なら勝機は薄い。だが、フランシスは慌てる必要性を感じていなかった。何故なら力の差が歴然としているからだ。
戦闘とは力の近い者同士が繰り広げるもの。圧倒的な差があれば競うことはなく、一方的な暴力になる。
フランシスがこの不毛な試合を制したのは
近くの地面に転がった輝かしい長剣を手に持ち、一番偉そうな壮年男性の頬を剣先でぺたぺた触る。
「僕たちは帰りますから、父様と母様にはちゃんと報告しておいてくださいね。オルコット兄弟の殺害は失敗しました、今後も無理そうです、と」
剣を放り投げてアードルフの手を引き、フランシスは訓練場を後にする。ここは大教会の奥なので、出入り口までの道のりが少し不安だ。だからフランシスは瞬間移動の力を使い、大聖堂前まで一気に移動した。
弟の前で力を本格的に使うのは初めてだったので、すぐにその反応を窺う。
突然変わった風景にアードルフは少しの間ぽかんと口を開けていたが、単純な彼は先程の悲しみを忘れたように破顔していく。
「これ、フランシスの奇跡の力!? すごいっ!」
泣いていたため目は真っ赤だが、その輝きは今や興奮によるものだった。
「アードルフ。お前にも奇跡の力の使い方を教えてあげる。覚えたいだろう?」
「いいの!? やったー!」
鼻息荒く喜ぶアードルフに、フランシスは安堵と悲しみを混ぜた複雑な目を向け、未来を見据える。
アードルフを巻き込まないために教えていなかったのだが、今回のように悪意を持った誰かに襲われた時、対抗するすべが必要だと考えを改めた。今日はたまたま自分が間に合ったから良かったものの、これからは分からない。
アードルフも膨大な力を持つ。きっと使い方を覚えれば、誰にも負けないくらい強くなるだろう。そうすれば、誰も手を出してこないかもしれない。
自宅への道すがら、フランシスは今後の身の振り方を再構築しつつ、半歩前をいくアードルフの今後を気遣わしげに見つめた。
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