【番外編】フラン&ドルフ過去話3

 その日はいつも通りではなかった。


「お前さんの治癒の力、一度近くで見てみたかったんだ」


 いつもなら、お祈りという名の拷問が終われば、関わり合いになりたくないとばかりに我先にと大聖堂から去ってしまう男が一人、フランシスに話しかけてきた。

 ラフィリア像の前で膝をつくフランシスの背中越しに、まだ若そうな男がしゃがみ込んだ。十代後半特有の、少年と大人が混じり合ったような顔つきだ。

 親密な笑みを浮かべているが、どうにも信用ならない。別の目的がある、そんな直感が胸中に浮かぶ。現に入口側に立ちはだかるようにしていて、フランシスをこの場に少しでも留めようとしているかのような位置取りだ。

 ずいっと迫る顔に、鳥肌が立ちそうなほどの不快感が募る。


「な、いいだろ?」

「はぁ……」


 友達のような砕けた態度に苛立つ。とはいえ、ここでこの男と喧嘩をするつもりもない。いつも通り背中に手を回し、傷を治していく。じんわり温かくなって、痛みはまったくなくなった。


「凄いな! これが治癒の力か。本当に傷が塞がっちまった! この国で戦争が起こったらお前さんは引っ張りだこだな」


 大げさに手を広げ、おだて上げる姿は逆にこちらをしらけさせる。


「この力はせいぜい鞭で打たれた背中の傷を治せるくらいなので、大勢の負傷者を前には使い物になりませんよ」


 ちくりと嫌味を混ぜた、ちっとも可愛げのない回答を無感情に言いながら服を着直す。

 いつもなら真っ先に駆け込んで来るはずの弟がいないのが気がかりだった。祈りの度、先に帰れと突っぱねているので、それに従う気になったのなら問題は無い。

 だが違和感が膨れ上がって感情にわずかな波を立たせ、早く探しに行け、と急き立ててくる。

 ベストのボタンをすべて留め、端をきっちり伸ばしてからワインレッドの上着を羽織り、早速行動を開始する。


「それでは、僕はこれで失礼します」


 制止するように手を伸ばしかける男の脇を通り、演壇から飛び降りて扉へと続く真っ直ぐな通路を進む。気持ちは走り出したいが、相手の目的がわからない以上、こちらの心中を悟られるようなことは不利に働く。落ち着いてゆっくり歩いていく。

 特別大きく造られた大聖堂に規則正しいフランシスの小さな足音と、それを追いかける乱雑で傲慢な足音が不協和音を起こす。


「まあ待てよ。お前さんの力をもっと教えてくれよ。俺は水を操れるんだ」


 男はフランシスの横について、両手で作った窪みに水を発現させた。顔の筋肉は笑みの形に動いているが、口元が不自然だ。本心では思い通りに動かないフランシスを怒鳴りつけでもしたいのだろう。

 大根役者ぶりに、敵ながら助言の一つでもしたくなる。力んでいるのは不自然な証拠ですよ、と。


「すごいですね」


 社交辞令と共に、力の抜けた顔で笑いかける間も足は止めない。これで気を悪くしていなくなって欲しかったが、男は距離をあけようとはせず、やたらと粘る。


「お前さんも水の力があるんだろう?」

「ええ。そうみたいですけど、僕は奇跡の力について教育を受けていないので、よく分かりません」


 更なる追撃をさせないよう、話が終わるように締めたところで大聖堂の扉を抜けた。真正面には人々を楽しませる綺麗な庭があり、気持ちのいい日差しが木々や草花に色をあたえ、蝶や鳥がのんびりと憩う。

 午前中の早い時間なので人は多くない。制服を着た者が興味なさげにこちらをちらりと認識し、過ぎ去っていくだけだ。ざっと見渡してもアードルフはいない。

 大教会内でアードルフのいる場所に心あたりなど無く、どうしたものかとフランシスは思案する。


「出口まで送っていく」


 舌打ち混じりの低い声に、思考から意識を引っ張り戻される。

 付きまとっていた男はようやく不機嫌になって解放してくれるようだが、ご丁寧に門の方へ手を払う。早く帰れと態度で示す割に、門まで見送るなんて対応がちぐはぐだ。まるで、誰かに命令されているようである。

 ここで逃げたり口答えをするのは良くない。男に従い、はじめからそうするつもりであったかのように大きな門を一歩出る。大教会の前の通りは綺麗に整備されていて、散歩する人が多い。老夫婦や子連れなど、様々な人がたわいもない会話をしながらあちこちに行き交う。


 アードルフの姿を探し、視線だけを左から右まで目一杯動かす。

 その努力もむなしく、街路樹やガス灯の側にも自分より少し小さな少年はいない。

 立ち止まったのはほんのひと呼吸分で、後ろで追い立てるように立ち塞がる男には不審がられてはいなそうだ。帰るふりをする方が穏便だと方策を定め、ここまで勝手について来た男に形式上の会釈をし、きっちり敷き詰められた石畳をゆっくりと踏みしめる。大教会の塀に沿って左側へ。

 帰路に着いてもなお向けられる男の視線が気になる。門の傍らでじっとこちらを監視しているのだ。ちゃんと家に帰るのを見届けなければならない、そう誰かに言われているのは間違いないだろう。

 他人の事情に踏み込む趣味はないが、今回は特別だ。


 道の先、フランシスは自宅のある方へ角を曲がったところで透明化の力を使い、元来た道を全力で引き返した。未だ男はフランシスが戻って来ないか見張っている。その目は蔑み切っていて、心の汚濁が揺蕩たゆたっていた。

 息を殺し、男の数歩手前で様子を窺う。彼の所属を示す腕章は騎士団のものだった。騎士団は主に国主やその家族の護衛に当たるため、大教会内でも文武に秀でた者しか所属を許されない先鋭たちだ。そして、父親である総政公そうせいこうとも繋がりが深い。

 得体の知れない不安が、体内を侵食していく。

 今すぐこの男を揺さぶって己の煩慮はんりょを払拭したかったが、それは得策ではない。音を立てないように深呼吸し、衝動を収める。


 数秒後、男は満足したのか短い息を吐いて大教会内に引き返した。フランシスは迷うことなくその後を追う。大聖堂を通り過ぎ、研究棟内へ。

 長い廊下を歩く。建物内は絨毯が敷いてあり、足音は吸収されるので尾行する時は大いに助かる。姿は消せても、声や立てる音までは消すことができない力なのだ。

 関係者しか立ち入らない区画は特に静かだ。聞こえないはずなのに息づかいや服が擦れる音が気になってしまい、鼓動が早くなる。

 もし気付かれた場合の対応を頭の片隅で精査し始める。左右には沢山扉があるが、どれも似たようなもので、何の部屋なのかは歩きながらではわからない。やり過ごすため、中に飛び込んで人がいたのでは意味がない。事を大きくするだけだと思いとどまる。


 大教会内は広大で、フランシスも大部分は知らない。立ち入るのはほとんどが入口に近い大聖堂なので、奥には父に連れられ数度訪れた程度だ。完全な部外者である今、できることは限られてくる。

 目の前の男は迷うことなく進んでいく。

 いくつか角を曲がった先、小走りで向かい来る一人の男がいた。こちらへと手を上げて寄って来る。腰に帯剣している事から、彼も騎士だろうと推測できた。


「どうだ、あのくそ生意気なガキはしっかり帰っただろうな?」

「ああ。途中でぶん殴りそうになるほど生意気だったぜ。だが我慢して、ちゃーんと門まで見送ったからな。今はお家でのんびりしているだろうよ」


 フランシスの前を行く男が気楽に応じる。

 人を笑いぐさにし、下品に大口を開けて笑う二人に虫唾むしずが走る。今、あなた方のすぐ後ろにくそ生意気なガキはいますけどね、と心の中で失笑を漏らす。

 まさか本人に聞かれているとは露ほども思っていない男たちは、声を潜めもせずにあざける。


「ようやくこの日が来たよな。ラフィリア様のために、まずは一人」

「罪名は『この国を揺るがす力を持った異端児をかばい、騎士団への侮辱罪』だ」


 嫌な予感が現実味を帯びてフランシスに襲い掛かる。まだ決まったわけではないが、アードルフの事だとフランシスの頭はこの瞬間、決定付けていた。弟は今、何をされているのか。恐ろしさに血の気が引いていく。


 目の前が明滅するようなふわふわとした感覚のまま、連れ立って歩き出した男たちをける。行き着く先にはどんな光景が広がっているのか、想像は悪い方にばかり手を広げていく。

 開け放たれた扉の向こうには青空が見えた。石材でしっかり舗装されたここは、騎士団の訓練場だ。

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